プライマリ・ケア担当総合診療医の臨床推論(承前)

 通常の診療は、それが初期診療であれば、症状/主訴から病歴聴取、身体診察、各種検査を経て医学的診断にいたり治療が可能になると考えられているが、それだけで実際の初期診療が成立しているわけではない。
 Fukuiら*1によると一般日本人1000人が一ヶ月間になんらかの不調を自覚するのが862人、そのうち医師に受診するのが307人(診療所に232人、病院外来に88人)とされた(下図参照)。

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 つまり、地域で不調を自覚する人たちのうち約65%が医師を「受診しない」。受診しない場合は、セルフケアやOTCの利用などが考えられるが、医師を受診する場合は、なんらかの動機あるいは受診ドライブがかかって医師を訪れる。たとえば、頭痛が主症状で来院した患者が、頭痛をなんとかしてほしいということではなく、この頭痛がくも膜下出血と関係があるのではないかという不安で来院するようなことはプライマリ・ケアでよくあることである。つまり、頭痛が主訴であるが、「くも膜下出血が心配」は受診理由である。この主訴と受診理由がキメラ上になっている患者への対応が初期診療の最大の特徴のひとつであり、主訴に対する診断と、受診理由の「診断」が必要である。

 この受診理由の診断は患者にとっての病いの意味(Meaning of illness)を明らかにするプロセスといえるが、そのための必要なスキルは患者中心の医療の方法に集約されているといってよい。このMeaning of illnessはこれまでおそらく医学のアートの部分といわれていたところだが、これもやはり認識の枠組みがある。

 さて、とりあえず、総合診療医に求められるのは、非選択的な健康問題の相談ができることである。とりあえずどんな問題にも対応し、相談にのれるということであるが、あくまで「相談」であって、大部分の健康問題の「診断・治療ができる」と記述していないことに注意したい。相談によりおよそ90%の問題は総合診療医で対処可能だが、必要な場合は専門家への紹介をするが、この紹介もある種の問題解決である。
 そのためには、年齢、性別、臓器にかかわらずプライマリ・ケアにおける主要症状に対するアプローチ法を熟知することが必要で、経験にたよるだけでなく、症状へのアプローチに関する系統的で整理された知識が必要である。たとえば「プライマリ・ケアにおける頭痛へのアプローチについて20分で初期研修医にレクチャーできる」といった具体的課題を設定するのも有用だろう。総合診療専門研修の目標に挙げられている以下の症候については、外来や救急の現場での経験だけですべてに習熟するのは困難であるが、知識を常にブラッシュアップしておきたい。

 ショック、急性中毒、意識障害、全身倦怠感、心肺停止、呼吸困難、身体機能の低下、不眠、食欲不振、体重減少・るいそう、体重増加・肥満、浮腫、リンパ節腫脹、発疹、黄疸、発熱、認知機能の障害、頭痛、めまい、失神、言語障害、けいれん発作、視力障害・視野狭窄、目の充血、聴力障害・耳痛、鼻漏・鼻閉、鼻出血、嗄声

 総合診療医の臨床推論プロセスの力量設定は、繰り返しになるが、プライマリ・ケア外来診療、あるいは軽症救急で実施できる能力を念頭においている。
 特に重要なことは、事前確率が、地域あるいは施設のコンテキストによってことなることを前提に診療ができることである。そして場所によって臨床推論のプロセスを切り替えることができることが、総合診療医に求められる「多様な場での診療」を妥当なものにするからである。
 例えば内科学における臨床推論パターンは、患者の問題は、A、B、C、D・・の診断名の中のどれか?と問う構造をもっているが、総合診療特にプライマリ・ケアにおいて必要な推論パターンは、AかNot Aか?ということが求められる。Aとは、生命に危険が及ぶ可能性があるもの、今すぐ治療を開始すれば経過や予後に影響をあたえることができるもの、専門医に紹介することが有益とかんがえられるもの、などがあげられるだろう。ちなみにMcWhinney*2は上述の2つの推論パターンについてホワイトヘッドやポパーを援用しつつ論理的には2つは等価であると論じており、後者が前者に比して不徹底であるというわけではないとしている。
 特に見逃してはいけないものである症状・症候・所見はred flagsと呼ばれるが、一般的な健康問題におけるred flagsを捉えることができること、必要な除外診断能力が総合診療医にもっとも求められる臨床推論であろう。正しい診断にいたることがいつも可能というわけではないのが、プライマリ・ケア現場の所与の属性である。このあたりをどうしても不徹底と感じてしまう場合、プライマリ・ケアの現場は苦痛になってしまうだろう。
 また、プライマリ・ケアにおける臨床推論においては、継続ケアの結果えられる患者の様々な病歴に関する知識、家族の状況、地域の疾患頻度の特徴などが影響をあたえることはいうまでもない。しかし、こうした情報は臨床判断のうえで有用な場合もあるが、バイアスの元にもなることには注意したい。
 そして、一般的な検査や画像診断の感度特異度を考慮した検査選択と解釈もプライマリ・ケアにおいては重要になる。大病院や高度救急センターにおける検査のオーダーのしかたや解釈をプライマリ・ケアにそのまま持ち込むのは概して不適切である。なぜなら、検査前確率が全く違うためであり、同じ腹痛でも、プライマリ・ケアと大病院では鑑別診断のプライオリティも異なり、検査結果の解釈も変化する。診療の場によって、適切な思考プロセスにチェンジできることが総合診療医の特徴である。
 治療に関しては、Common disese群のガイドラインを知ることだけでなく、ガイドラインの批判的吟味ができることも総合診療医には求められるが、これは患者の権利擁護にも繋がるだろう。むろん、Common diseaseの経験豊富なパール群に触れることも大切である。
 総じて、総合診療医に臨床推論からケアや治療に至るプロセスは、Sackettら*3によるEBMの定義、

「Evidence based medicineは、一人ひとりの患者のケアについて意思決定するとき、最新で最良の根拠を、良心的に、明示的に、そして賢明に使うことである。Evidence based medicineの実践は、個人の臨床的専門技能と系統的研究から得られる最良の入手可能な外部の臨床的根拠とを統合することを意味する」

 とほぼ同等であると言ってもよいだろう。総合診療教育においては、日常的なEBMに関する研鑽をうながす教育が求められるだろう。

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*1:Fukui T, et al. The ecology of medical care in Japan. JMAJ 2005;48(4):163-167.

*2:McWhinney, I. R. (1997). A textbook of family medicine. Oxford University Press.

*3:Sackett DL., et al. "Evidence based medicine: what it is and what it isn't." BMJ: British Medical Journal 1996; 312: 71.