小説「家庭医療2044」

この作品はフィクションであり実在する人物団体等とは一切関係ありません(^_^;)

はじめに

 しかし、なぜ僕が2044年にタイムスリップしてしまったのか?その理由は、今もまったくわからないが、おそらく数日のちにはもとの時代に戻れるという確信もあったので、数日間だけではあるが日本の家庭医療はどんなふうになっているのかを視察と洒落こんだのだった。

 そもそもプライマリ・ケアの起源は実は非常に古く、おそらく原始共同体に遡るのではないかと言われている。共同体、すなわち人々がそこで生活しうるためにの基本要素は、「住居があること」「食料を確保できること」「子どもを産み育てられること」そして「苦痛や苦悩、病いのケアがあること」とされている。そして、プライマリ・ケアの源流はここにある。地域のメンバー内に生じた苦痛や苦悩の相談にのり、なんらかの手当をする、つまり身体やこころのよろづ相談がその起源であろう。生物学をはじめとした自然科学を基盤として発展した現代医学の時代になっても、プライマリ・ケアが「身近でアクセスしやすく」「多種多様な健康問題の相談にのる」ことによって、「地域でひとびとが生活していくための基本的なインフラ」となっていることは変わることはない。もちろん、2044年になってもその本質にかわりはない。

 

日本の医療をめぐる状況

 さて、2044年の日本である。当初心配されていた高齢者の絶対数の増加は2030年にピークアウトし、また少子化対策として2020年代にとりくまれた様々な施策がそれなりに功を奏し、若年人口は徐々に増加に転じていた。そして、2011年の大震災に伴う原発事故をきっかけに、廃炉に関連した研究や技術開発が東北地方を中心に進展し、特にロボット工学の進歩がめざましいものがあった。特に2015年に本格実用化に入ったロボットスーツHALは医療以外に領域に応用され進化を続け、廃炉作業にも大きな貢献をすることになった。また自然エネルギーの利用技術が実用化に向い、2020年には実質的な「原発ゼロ」を実現していた。

 

未来の診療所の姿

 さて、2044年の東京にタイムスリップした僕がみた、プライマリ・ケアはどうなっていたか?まず、僕がいた時代に中心であった、ファミリービジネス的なソロプラクティスの開業形態はほとんどみあたらず、プライマリ・ケアの担い手は二つのスタイルの診療所により担われていた。つまり、4〜10人くらいの複数の家庭医と多職種チームによるグループ・プラクティスと、きわめて小規模であるが、ひとりの医師だけですべてまかなうことで経営的に成立するマイクロ・プラクティス型の開業医が混在して存在していた。

 前者の大規模グループ・プラクティスは、もともとは地域で比較的小規模の病院だったものも多く含まれていた。2030年以降高齢者人口がピークアウトしたことによって、それまで高齢者のケアに重要な役割を果たしていた地域小病院の病棟はすでにその役割を終えており、もともと中途半端には果たしていたプライマリ・ケア機能をより拡充する方向に展開していったのである。

 家庭医のグループ・プラクティスはかつての病院なみに大規模な外来診療と在宅診療をおこなっている。また地域の中規模病院(およそ200ベッド前後)は大規模グループ・プラクティスのいくつかにより共同運営されている。このタイプの病院は不特定多数の救急は対象とせず、あくまで診療所のかかりつけ患者のみが利用出来る。入院管理は主として家庭医をベースとしたホスピタリストが行っており、家庭医療レジデントも大きく診療に貢献しており、基幹総合病院へのハブ機能も果たしている。

 

救急医療

 この時代には、一定の人口規模の地域にはいつでもだれでも必ず受け入れるER部門をもつ総合病院があり、すべての専門科をそろえている。また、各専門科は集約化がすすんでいる。僕の時代のように、どの病院でも様々な診療科をそろえているが、救急対応はできないという、たらいまわし的な救急医療は基本的には解消されていた。

 救急医療の問題への対応に関しては、かつてのような「必要なところにたくさん総合病院をつくる」というような非現実的な路線を転換し、発想を転換し、高速に患者移送が可能な、特殊ヘリの開発が行われた。救急車ならぬ救急ヘリが全国に普及したのである。ヘリポートは地域の要所要所に計画的に配置された。その結果僻地や離島から、天候不良でもまったく問題なく移送できるようになり、都市部でもヘリの離発着もスムーズに行われるようになった。その特殊高速ヘリは、エアーウルフと名付けられた。救急医療の問題は施設とマンパワーを増やすことよりも、集約化と通信移動手段の開発により解決がはかられていたのである。

 

家庭医療とプライマリ・ケア

 再度家庭医療の2044年の状況に目をむけてみよう。プライマリ・ケアはその国の保健医療システムや医療政策に大きな影響をうけるものである。健康保険システムに関しては、日本の伝統である国民皆保険が、この時代でも堅持されていた。

 1960年代のような高度経済成長は、この30年の間もなかったが、経済状況は堅調であったが、やはり長期にわたる国家財政の赤字基調の中で医療費全体のパイが増大したわけではなかった。そして、2030年代の政権は、保健医療政策で、非常に大きな決断をすることになる。それは、国民皆保険を保証し自己負担を一律1割とするかわりに、国民の医療の利用法、すなわち受療行動を国家がコントロールすることを決定したのである。具体的には国民はひとりひとりが自分の家庭医をもち、家庭医を経由する限りは医療費を保証する。それを希望しないものは民間保険に加入するというシステムとなったのである。つまりプライマリ・ケアあるいは家庭医療をヘルスケアシステムの中心に位置づけるという方向に日本は向かい始めたのである。

 僕は、家庭医5人で運営する診療所を訪れてみた。自分が2014年に相談にのっていた健康問題と同様の問題が30年後にももちこまれていたのは驚いた。特にめだったのはICTの全面的な導入とその驚くべき進歩である。かつては、レセプトコンピュータの延長にすぎなかった電子カルテは、自然言語処理も可能となり、データーベースとして、診療の質保証やリサーチに使えるようになっており、プライマリ・ケアは常にそのアウトカムをデータとして示すことが制度的に求められているとのことだった。また、もはや当然のように、電子カルテは患者やその家族が自由に閲覧できるようになっていた。ICTをつかった遠隔診療、いわゆるE-consultationも一般的になっており、家庭医あるいは看護師は、朝一番の仕事はメールなどに対応することだとのことであった。また、自然言語処理とニューラルコンピューターの進歩により、医学的診断支援は驚異的に進歩しており、かつて重要な役割を果たしてきた、診断エキスパート養成は徐々に下火となったとのことだった。僕の時代もエコーだけで飯が食える時代があったが、あっというまに技術は標準化され、名人芸的な手技は共有されたことを思い出したのである。

 

チーム医療

 さて、僕が訪問した診療所は約一万人の登録患者(パネル)がおり、パネルは医療上のニーズによりレイヤー化され、レイヤーごとに最適な職種が責任をもって適切なマネージメントを行っている。レイヤーと担当責任者の一部は以下のようになっていた。

 

   パネル                                         責任職種

スクリーニング対象の地域住民          保健師と事務

軽症の急性疾患の患者群                    プライマリ・ケア専門看護師

安定した慢性疾患の患者群                プライマリ・ケア専門看護師と管理栄養士

複雑な慢性疾患の患者群                    家庭医とケアマネージャー

メンタルヘルスの患者群                    家庭医

緩和ケア・End of Life care                家庭医と訪問看護

 

 看護師あるいは保健師はそうしたパネルマネージメントや患者教育や診療の質改善などの手法を学ぶことができるプライマリ・ケア専門看護師のコースを修了しているものが多くなったとのことだった。

 家庭医は医学的に複雑で込み入った健康問題により長い時間をさけるようになっている。また、リスクの低い妊婦管理もふくめて、各種がん検診など、ウイメンズヘルスは家庭医が普通に診療所で行っている。産婦人科専門医はよりハイリスク妊娠や外科手術などにより多くの時間をさけるようになっている。全体に家庭医の診療のレンジは非常に広く、専門医はより専門医らしい医療に集中できるようになっていた。

 医薬分業は基本的に見直されており、特に大規模診療所では院内処方が復活し、薬剤師はプライマリ・ケアチームの重要な一員として位置づけられている。特に処方設計や採用薬評価などの最高責任者となり、院内でPharmaceutical care=薬剤師外来も行うようになっている。

 また、PTOTSTといった職種については、あらたに拠点として地域に計画的に設置された、「地域セラピストセンター」に集約化され、様々な家庭医療診療所からの要請にチームとして対応している。

 管理栄養士は行動変容やヘルスコーチングのスキルをもった、プライマリ・ケア専門管理栄養士コースを修了したものが多く、プライマリ・ケアチームの重要な一員であり、比較的安定した慢性疾患のパネルマネージメントの責任者になっている。

 こうした各職種の特徴を十二分に生かしたチーム医療は、僕が理想としていたものであったが、それが目の前に実現していたのである。

 

大学のプライマリ・ケア部門

 各大学医学部に本格的な家庭医療学講座が出来ている。その診療拠点は大学病院ではなく、上述の大規模家庭医療診療所になっている。家庭医療学講座は大学内では卒前教育全般に責任をもつ部門になっており、地域の家庭医がおおかれすくなかれ大学に出入りするようになっている。各家庭医療学講座のトップ=教授には、実際に地域での十分な診療経験がある家庭医で、一定のリサーチの経験があるものが採用されていた。

 

2020年問題

 しかし、2014年の時点で、2020年以降、危機的な状況になると予想された高齢者絶対数の増加、絶対死亡数の増加=多死社会をどのように日本は乗り切ったのであろうか。僕が話をきいた診療所家庭医のコメントでは、地域での高齢者ケアが危機的になることに対して、2017年前後に医療界全体で結束して対応すべきだという機運が盛り上がったのが大きかったらしい。在宅医療を地区ごとのプライマリ・ケア医が共同ですすめると同時に、地域の病院群がそれらをバックアップしたりするなど、「みんなができる在宅医療」を可能とするシステム化が急速にすすんだとのこと。当時力をあわせた日本の地域の医療者のパワーと奮闘は、今ではレジェンドになっているとのことだった。

 家庭医の絶対数は2020年前後で相当ふえたのであるが、それは、既存のプライマリ・ケア医が、家庭医療専門医になるための家庭医療ステップアッププログラムが、ある大学の具体的なプロジェクトをきっかけに急速に全国で運営されたことがその原動力だった。新卒で専門医評価機構が認証する専門医研修プログラムを修了した、新世代家庭医はそれほど急速には増えなかったが、こうした既存医師対象のTransformativeなプログラムを通過した家庭医群は診療報酬上のインセインティブもあいまって、急速にその数を増やしたのであった。

 

おわりに

 この時代のプライマリ・ケアが真に国民の健康を守るものとして機能するかどうかは、もうすこし先の検証を待つほかない。しかし、日本の医療人の真面目さと、いざという時に見せる協同の力に感銘をうけたことは確かである。

 あ、またあの雲が現れた・・・そろそろ元の時代に戻る時がきたようだ。

 

<参考文献>

Sturmberg JP. The foundations of primary care. Oxford: Radcliffe Publishing; p311, 2007.

中島孝. 神経・筋難病患者が装着するロボットスーツ HAL の医学応用に向けた進捗, 期待される臨床効果. 保健医療科学, 60(2): 130137, 2011

藤沼康樹. 日本におけるマイクロ・プラクティスの可能性. JIM, 19(8): 571-571, 2009

Al-Shayea, QK. Artificial Neural Networks in Medical Diagnosis. International Journal of Computer Science Issues (IJCSI), 8(2), 2011

Bodenheimer, T. Primary care: current problems and proposed solutions. Health Affairs, 29(5): 799-805, 2010

Bodenheimer, T, et al. The 10 building blocks of high-performing primary care. The Annals of Family Medicine, 12(2), 166-171, 2014

 

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