家庭医療学研究がマヂに盛んになってほしいです

ふたたび、家庭医ってなんですか?
 いいかげんもう定義云々はやめにしたいが、日本では今後おそらく以下の仕事をする医師が家庭医と呼ばれることになるだろう。


*診療所あるいは病院において非選択的プライマリ・ケア外来診療を行う
*在宅ケアチーム及び地域包括ケアチームに属し医学的管理を行う
*地域ベース、あるいは一定の限られた人口集団に対して保健予防活動を行う


 上記3つは家庭医療の実践表現型である。

 そして、いま議論されている「総合診療」がもしジェネラリストが行う医療(generalist medicine)の総称するとするなら、家庭医療は総合診療の派生型のひとつといえるだろう。ちなみに日本において総合診療の英語名として、general practiceやgeneral medicineが使われることがあるが、諸外国では前者は家庭医療、後者は総合内科を示す用語であることは知っておきたい。

それで、家庭医療学ってあるんですか?医学部にはそういう科目はないようですが?
 家庭医療学の定義は世界的にコンセンサスがあるわけではないが、私は「質が高く、費用対効果に優れたプライマリ・ケアを、地域住民に公平かつ効果的に妥当性をもって提供することに資する学問分野」と考えている。
 では、この定義自体からどんな研究課題がみちびかれるだろうか?それは以下の質問群にさらに限りなく足すことができるはずのものである。

  • プライマリ・ケアってなんですか?
  • どんな診療の内容のことですか?
  • 患者にとってどんな意味があるんですか?
  • 社会にとって必要なんですか?
  • ヘルスケア・システムにおいてどんな役割があるんですか?
  • そもそも質ってどういうことですか?
  • 質の高い医療ってどんな医療ですか?
  • 質は評価できるんですか?
  • たとえば糖尿病の患者さん達の診療の質はどんなふうに測ることができるんですか?
  • 費用対効果の高い医療ってなんですか?
  • コストはかければかけるほどよい結果がえられるんですか?
  • どんな検査や治療が費用対効果が高いんですか?
  • プライマリ・ケアにとって地域住民ってだれですか?
  • 地域ってなんですか?
  • 妥当性のある医療ってなんですか?
  • 必要なところに必要な医療が保証される必要条件はなんですか?
  • 公平をたもつためにはなにが必要ですか?平等とどうちがうんですか?

 こうした質問群にきちんと自分なりに答えることができるだろうか?私はこれらの質問にそれなりの根拠をもった見解をもっていることが、優れた家庭医の条件の一つであると考えている。

家庭医が行うプライマリ・ケア研究のタイプ
 家庭医療学はその定義上、「世界の真実」あるいは「これまで知られていなかった新しい真理(ノイエス)」を実証的にあきらかにするという通常の自然科学研究とは違う。もっと多様で放射的な射程のある研究領域である。
 ランダム化比較試験で有効性が示された治療、たとえば「抗凝固療法による心房細動患者の脳血管障害の予防」が自分の診療現場のコンテキストでもやはり有用なのか?あるいはそうした診療内容が実施しにくいとすれば何がバリアなのか?というようなことを調べるような、第2世代橋渡し研究(2nd generation translational research)や実装科学(implementation science[1])という分野の研究がプライマリ・ケア研究らしいスタイルの一つである。
 また、地域の具体的な健康課題(たとえば小児や思春期の肥満[2])に対して、アクションリサーチの手法を用いて、地域ぐるみでその問題に取り組み解決をめざすような、実践と研究のハイブリッドのような地域基盤型参与研究(community based participatory research)のような手法が用いられることもある。
 さらに、家庭医の診察のプロセスにおいて、「主体としての患者」はどのようにたちあらわれ、そしてそれにかかわる家庭医の主体の働きはなにかということを、現象学的に追求している研究グループ[3]もある。
 自然科学、社会科学、人文学など多様な研究領域がクロスオーバーするのがプライマリ・ケア研究であり、家庭医療学と呼ばれているのである。

家庭医が必要とするプライマリ・ケア研究のテーマ系

世界的にどんな研究テーマ系があるかを以下に5つ程紹介しよう。
1.質 Quality
 医療の質は何で測るか?という問いについては、疾患の軽快・治癒、症状の緩和、機能改善といった通常のアウトカムで測定するだけでは不十分であると家庭医は考える。安全性、患者中心性、適時性、公正性といった、ヘルスケア・システムに関するアウトカム、そして、よりよく生きること、ハッピーであることといったソフトなアウトカムも医療の質を考える時には重要である。 
 また、質保証のための、医療質改善(quality improvement)をどうすすめるか、施設の運営やマネージメントをどのように進めるかといった経営やリーダーシップに関連した研究が行われている。
 医療者教育に関する研究も広い意味でこの医療の質向上の問題につながる。たとえば日本の医学教育研究については、生涯教育の研究が非常に少ない。家庭医はどうしたらヤブ化を防げるのか?「◯◯病治療の最近の進歩」のような講演をたくさん受講すれば大丈夫なのか?おそらく成人教育の原則に基づいた生涯教育の仕組みの変革が求められており、そのための教育研究が必要だろう。

2.患者中心性 Patient Centeredness
 日本においても、社会状況の変化、国民の医療に関するニーズの変化などから「患者中心の◯◯」といった言葉がよくきかれるようになった。患者中心性は「良い接遇」から「患者の主体へのアプローチ」まで、さまざまな意味合いで使われている。研究の側面からみると、患者医師コミュニケーションの量的・質的研究、患者の病い体験の現象学的あるいはエスノグラフィー研究から、患者中心性自体を測定する研究まで多彩に実施されている。

3.技術発展 Technology
 聴診器とペンだけで仕事をするような古典的な家庭医像は、近年の技術発展、特にICT技術の普及もあって、テクノロジー領域の言説なしでプライマリ・ケアを語ることは不可能である。
 高速通信環境を基盤としたインターネットを基盤とした電子カルテ、遠隔診療、施設間ネットワークにと診療のアウトカムの関係に関する研究が近年目立つようになった。また、従来は病院でのみ実施されていた診断検査や治療(超音波検査や化学療法など)が診療所や在宅に導入されるようになってきている。これからもプライマリ・ケア現場に有用なテクノロジーの開発が進むだろう。

4.研究 Research
 プライマリ・ケアにおける研究環境づくりや研究手法の開発そのものが、プライマリ・ケア研究の対象となる。
 自分たちに必要なエビデンスを生み出すことの価値と必要性はもはやいうまでもないだろう。現在エビデンスを生み出している研究施設とプライマリ・ケアの施設では、「なにか問題か?」という研究テーマ設定自体が違うからである。たとえば多疾患併存(Multimorbidity)は世界的には今最もホットな研究テーマであるが、日本のアカデミックな研究環境からの発信はほとんどない。その理由はMultimorbidityの問題が主としてプライマリ・ケア領域の課題だからである。
 家庭医が気軽に研究にかかわることができる環境をいかに作るかという点では、自分たちの診療所を家庭医療学の「ラボ」としてとらえ、その「ラボ」のネットワークを一定の地域内で構築することが必要である。このネットワークをpractice based research network: PBRNとよぶ。私達の経験では、この運営の成否のカギは以下の要因にある。
*大学のアカデミック部門(プライマリ・ケア部門、総合診療部門、臨床疫学部門等)との協力関係の構築
*研究指向の家庭医を養成するためのフェローシップの設置
*定期的なミーティングが、「出席すると楽しい」「勉強になる」「人のネットワークができる」といった参加したくなる運営を心がけること
*研究テーマは1〜2年で結果がでるようなものを設定し、できれば複数の研究を同時に走らせる

5.政策 Health Policy
 その出自から考えればすぐ理解できることだが,プライマリ・ケア研究そして家庭医療学には、ミクロからマクロまでの水準のヘルスケアシステムと医療政策に影響をあたえることが、もともとビルトインされているといってよい。たとえば、医療供給や健康格差に関心をもつのは、生活や地域の中にいきる患者に接することの多いプライマリ・ケア現場の特徴であろう。たとえば孤独や貧困、環境などの健康の社会的決定因子自体に、地域住民や自治体と協働して取りくむような研究が世界中にあることを知っておきたい。

まとめ
なによりも家庭医にとって、診療だけでなく研究(そして教育も)にかかわることは、職業人生において非常に多くのものを得ることができることを知ってほしいと心から願っている。


[1]: BAUER, Mark S., et al. An introduction to implementation science for the non-specialist. BMC psychology, 2015, 3.1: 32.

[2]: GOH, Ying-Ying, et al. Using community-based participatory research to identify potential interventions to overcome barriers to adolescents’ healthy eating and physical activity. Journal of behavioral medicine, 2009, 32.5: 491-502.

[3]: REEVE, Joanne, et al. Revisiting biographical disruption: Exploring individual embodied illness experience in people with terminal cancer. Health:, 2010, 14.2: 178-195.

このエントリーは雑誌「治療」2018年7月号に寄稿したものに大幅な加筆訂正を加えたものである

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