教養と雑学の違い

教養と雑学の違いに関することを記述しておきます。


1.前提として,仕事の役に立つプラクティカルなマニュアル的知識ばかりおいもとめるのはバーンアウトを準備する条件の一つになるということを理解しておきたいです。


2.仕事の役に立たないが,自分の知識や価値観を変化させそうなもの,あるいは知識や経験の構造に注目して,自分にビルトインできるもの,なんらかの学問的分野に水路づけされるようなものを「教養」と呼びたいと思います。たとえば,小松理虔さんの「新復興論」(ゲンロン)を読むといった行為は,震災からの復興の事実を知るということだけでなく,なぜ今これが書かれねばならなかったのかを考えましょう。この時代はどういう時代なのかを考えられることです。

 この教養をつける学びを意識ときに,ユーリア・エンゲストロームのActivity Theory(活動理論)あるいは,拡張学習はよい学びの枠組みになります。そのシェーマはこんな感じです。僕としては,この拡張学習理論におけるOutcomeが「教養」だと考えています。そして,エンゲストロームによれば,すべての人間の活動は矛盾から生じるということですので,教養をつけるチャンスは矛盾あるいは,え?というような驚きや遭遇にあるのです。

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元リンクは👇

www.blog.crn.or.jp

 


3.仕事の役に立たないが,享楽として限りなく追い求めることができる知識を「雑学」と呼びます。例えば,歴代戦隊のピンクを演じているスーツアクターの男女比を調べたりすることは,まさに享楽に関する知識群でしょう。楽しくて楽しくて,意義とか意味とか関係なく没入してしまう知識や経験のから得られるものです。

 

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