Family Medicine and Pandemic

 According to the literary critic Ryota Fukushima's essay "The Inner Enemy and Negative Festivals: Between the Earthquake and the Coronavirus," the peculiarities of SARS-COV-2 are twofold. The first is that SARS-COV-2 infection has a wide spectrum of symptoms, ranging from asymptomatic to cold-like symptoms to acute pneumonia to multiple organ failure, but the symptoms of SARS-COV-2 infection are generally generalized to the respiratory system and are not as dramatic as those seen in Small Pox, Ebola, and Plague, such as rapid death or flashy skin rashes and bleeding. This is what Fukushima calls the "mediocrity" of self-expression. Another characteristic of the disease is that the number of asymptomatic patients is so high that it is difficult to know who is infected and where. SARS-COV-2 has a tendency to quietly conceal himself, which Fukushima calls "self-concealment". This mediocre and self-concealing characteristic has a similarity with the characteristics of radioactive materials that have been a concern since the Great East Japan Earthquake. Fukushima adds his thoughts on the pandemic from the perspective of disaster and recovery, and this essay is deeply encouraging to us.


 I would also like to draw your attention to the urgently published collection of essays by a young Italian novelist in one of the countries most devastated by the pandemic, Paolo Giordano's "We in the Age of Corona" . The book contains a dense description of the pandemic in relation to climate change and environmental issues, as well as issues surrounding individual lives and ethics, with excellent science communication skills that only a literary scholar with a background in physics and mathematics could provide. The message, "At this time of year, each of us should write down the things we think we should not forget in the future," is compelling.
After reading these two essays, it is important again to pay attention not only to the knowledge of the sciences (natural sciences) but also to the knowledge of the humanities. I think that's more necessary than anything else in the field.

 

 SARS-COV-2 is transmitted through droplet and contact infection. Therefore, SARS-COV2 propagates along with human communication such as talking, listening, expressing joy and sorrow, and physically touching each other. So, as a family physician, I have been forced to retain the basic values that I have been emphasizing, such as communication, physical examination, visiting the patient's home, and approaching the patient rather than the disease, which has created a situation in which I have been forced to treat my patients with a simple thought pattern, such as diagnosing SARS-COV-2 or other diseases. However, even under these circumstances, when people in the community who have been using me as a family physician as a health resource come to the outpatient fever clinic, the family structure and lifestyle recorded in the past medical records are very helpful, and it is very relaxing to consult with people I know. They often understand that their current practice is unavoidably changing from their usual practice. They keep the physical distance, but they keep the psychosocial connection.
 

 This pandemic has called into question the very raison d'être of primary care. 

 

Mugen

Theory, Culture and Family Medicine Interest Group 作ります

 ご無沙汰しております。首都圏でもSARS-COV-2パンデミック第一波がおさまりつつあります。この間停滞した様々な活動もありますが、対話や学びの機会は、リモート会議システム等の発達もあり、むしろ増えてきているという印象があります。

 そういう状況もありまして、以前アイデアとしてあった、哲学を始めとする人文社会学や、精神分析等のセオリー群、そして音楽や映像コンテンツ、文学等の社会文化と家庭医療学をつなげて深める、遠隔ベースでの研究会を立ち上げることにしました。

 7月はじめくらいに第一回の懇談会をZOOMベースで行いたいと思っています。

 また、詳細が決まりましたらご報告します。Let's enjoy Family Medicine ! 

 

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診療所経営戦略に関するメモ

 2020年になりました。今年も細々とですがBlogエントリーを作っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 今回は昨年の秋に内輪の研修会で行った講演の記録が手に入りましたので、若干の加筆訂正を施して、一般に公開したいと思います。生協の内輪の研修会での講演なので、すべての診療所に当てはまる話ではないですが、一定参考になると思います。

 

 地域包括ケア時代の診療所モデルを考えるにあたり、日本の人口動態を確認しておきます。高齢化の推移と将来推計(令和元年版高齢社会白書)をみると、2010年くらいをピークに、人口は減ってきます。そして、私が関心があるは、0〜14歳/65歳 〜74歳/75歳以上を合わせた人口(子どもと高齢者を合わせた人口)でして、それが全体に占める割合をみると、次のようになります。

2010年:36.0%

2020年:40.9%

2030年:42.3%

2040年:46.1%

2050年:48.2%

2060年:48.4%

 こんな感じです。こどもと高齢者をあわせた人口比率は2040年に向かって、かなりの増加傾向になります(図1参照)。

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 子どもと高齢者に共通する特徴は、ほとんどの時間を居宅近くで過ごすことです。あまり遠出しない人たち、地域の中で生活のほぼすべて満たしている人たちです。働いている人の多くは一日のほとんどを居宅以外のところで過ごしています。子どもと高齢者が増えることで、日本社会のあり方は地域単位で構成される方向に進みます。これからは地域の時代です。地域内で経済、教育、子育て、福祉、介護、医療をどうするかを考えていく必要があります。少し前までの日本は経済成長を背景に、田舎でも都市部でも同じサービスを受けられるという方向が目指されてきました。地域の時代になると、ナショナルミニマムを前提にしつつも、どこに住んでも同じということは無くなってくるでしょう。地域単位の最適解を見つけないといけません。私の住む地域ではどういう介護系事業所があるのか・あるべきか、ここに病院が本当に必要か、そういうことに地域最適解が必要で、これを考えるというのが地域包括ケアです。地域包括ケアは、地域ごとのベストをすべての人で考えていこうということです。

 

 生活協同組合(生協)は、地域ごとに最適解をみつけだす時代の社会モデルの一つであると、私は考えています。お金の流れも含めて、非常に先進的な仕組みをもっています。ただ、その可能性はまだ眠ったままです。たとえば、みなさんご存じのように医療生協の組合員さんは高齢化しています。世代交代とか、担い手とか言われていますが、今のままでは世代交代は難しいと思います。なぜかと言うと、生協は昭和の家族モデルをベースにした組織だからです。昭和の理想的な家族モデルというのは、専業主婦がいて、子どもが2人いて、通勤で1時間半くらいかかるところに一軒家を建てるといのが成功モデルです。生協運動の中心は昭和の家族モデルの専業主婦でした。医療生協もその影響を強く受けていますので、専業主婦の運動という側面が色濃くあります。

 

 夫婦共働きなど、家族モデルや社会モデルが変わってきた今、地域購買生協で大きく広がっているのが個配です。個配は新しい家族モデルにあっています。医療生協は新しい家族モデル・社会モデルに沿った形を、残念ながら提示できていません。

 

 そこで、医療生協の診療所は新しいモデルを提示するミッションを持っていると、私は考えています。地域包括ケア時代の診療所のありようを考える際の柱はプライマリ・ケア指向性のヘルスケアシステムです。厚生労働省も、実はこの方向をめざしています。厚生労働省がやりたいのは、まずは近くの診療所に行ってそこから必要なら病院にというルートを通じた受療行動のコントロールです。

 

 この流れに沿う形で、診療所は最初の入口機能を高める必要があります。具体的には「よろず相談」です。「困りごとの相談にのります」、こういう入り口としての役割です。同時に、病院から在宅に戻ってきて最期を迎える方を支える「最期の受け手」としての機能も高める必要があります。

 

 診療所のまわりには患者になってない人、普通の人たちがたくさんいます。この方々に「なんでも相談にのりますよ」「最期は受けますよ」と伝えることがポイントです。よろず相談は、極論すると医師が不要です。相談にのって道筋を一緒に考えることは、別に医師でなくてもできます。医療的な相談でも、ある程度トレーニングを受けた専門家であれば入り口対応が可能です。1日何十人も相談に来ることはありません。

 

 私の希望的未来予想図というか、若干妄想的な展望なのですが、まず診療所に医師が1〜2名いて、近くに、まあ私の造語ですが「外来看護ステーション」があります。訪問看護ステーションではありません、外来看護ステーションです。そこには高度実践看護師(ナースプラクティショナーあるいは特定看護師でもいいのですが、包摂的にこの用語を使います)がいて「○○という症状だったら、こういう可能性がありそうです」というような臨床推論あるいは診断推論、それから一定の身体アセスメント、薬の解釈と理解、それから一定の処置ができれば良いと考えています。社会保険制度上、このような施設はないため、当面は組合員限定サービスにして月額会費を払ってもらうイメージもアリではないかと考えています。利用者がサービスごとにお金を支払うのではなく、サービスを一定期間利用できる権利に対してお金を支払うサブスクリプション方式がフィットすると思います。このシステムを保険制度上で行うとすると、まず医師会を代表とする既得権益団体が反対するでしょうし、おそらく日本の意思決定システムを勘案すると、こういうイノベーションを制度化に10年以上かかるような気がします。月1000円、2000円程度のお金を出し合いながらファンドをどういう風につくるのか、これがすごく重要な時代です。こういう時代にすでに組合員制度という仕組みを持っている協同組合には実は相当のアドバンテージがあります。私の妄想をシェーマにすると図2のようになります。

 

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 組合員になると予防接種や健康診断を組合員価格で利用できますというような、モノとカネの交換という枠の中で組合員を捉える思考は旧来型モデルです。そうではなく、組合員になること・少額のお金を払うことに自己承認欲求を満たす作用があったり、居場所があったり、安心ネットワーク、あるいはセーフティネットに入っている実感があったり、「協同組合というコミュニティとちゃんとつながっていることがすごくいい」と感じる、この点が協同組合がこの先の日本の社会モデル、お金の流れも含めて非常に先進的と申し上げた中身です。

 

 診療所の経営においては、外来・在宅・地域活動が3本柱です。これらのバランスが重要です。外来患者にたくさん来てもらうためには、どうしたら良いでしょうか。最初に確認したいのは、患者の数は「患者件数」で考えること、患者件数とレセプト枚数です。ひと昔前までは、患者さんに頻繁に来院してもらい、物療やったりして再診料で剰余を出す方法がありました。少ないレセプト枚数で売上をあげるには、頻繁に来院してもらう必要があると考えられていました。このモデルは近い将来終わる、あるいはすでに終わっていると思います。なぜかというと、包括報酬(いわゆるマルメ)が広がっていく可能性が高いからです。マルメになると何度来院しても報酬は変わらないので、かかりつけの患者さんが多くなることのほうが経営的には重要です。毎日来院する患者さんを増やすのではなく、何かあったら診療所を利用してくれる人をどう増やすか、ということです。普段は利用しないで何かあったときに来院する人たちは、風邪やケガをした人です。これをもう少し詳しく分析してみます。

 

 診療統計だと今月の初診患者は○○人と言う感じで数字が出るのですが、あれでは不十分です。初診料を算定した患者さんではなく、はじめてカルテをつくる人が重要です。2年かかってないけど、風邪でまた来ましたという人は初診料を算定するから初診とカウントしますが、違います。それは、再来初診です。初診料を算定した再来です。慢性疾患はどうでしょう。いまから30年ほど前、医療生協では健診をやってその中から慢性疾患に該当する人をピックアップするモデルが広がりました。いわば、大量の組合員健康診断マーケットをつくるのです。それをやると、高血圧疑いの人とか、高脂血症疑い、糖尿病疑いの人が見つかります。この方々を専門外来に流し込むのです。そうすると何が起こるか。外来のほぼ全員が慢性疾患でしかも完全予約、ほぼプロトコルあるいはパス(手順や規約などの約束事)に沿って医療がおこなわれ、しかも来院は月1でOKという世界ができあがります。これは利益が出やすいです。また、検査も含めて、全部プロトコルにするので、医師が関与する必要があまりなくなってきます。看護師の予診と「今日の検査これですね」と基準通りやれば、日常がまわっていきます。まあ、医者はだれでもOKってことですね。

 

 この結果、何が起きたか。組合員利用率の高さです。生協の本旨に従えば、組合員利用率が高まることは大切なことと承知していますが、裏を返すと組合員以外には利用されにくいということでもあります。「何かあったらあの診療所に行こう」と考える普通の人がアクセスしにくい診療所になったということです。

 

 このモデルのリスクは2点あります。一つは高齢者のフレイルに適したモデルではないことです。フレイルな高齢者は、マルチモビディティ(multimorbidity:多疾患併存)状態であることが多く、生活機能的が落ちてきています。ですので健診で糖尿病をずっと指摘されているからということで、糖尿病の専門医だけが診ていると、大抵は本来のニーズにあうケアにならない場合が多いのです。適切なケアができません。この慢性疾患「管理」モデルは高齢化社会に適したモデルとは言えないのです。

 

 もう1つは、慢性疾患自体の考え方が変わってきたことと関係しています。たとえば総コレステロール値が230mg/dlの人は医療管理しなければダメだという時代が、かつてありました。でも今は違います。基準が変わってきているのです。特に定期通院の必要はない人が増えています。高尿酸血症も同様です。変わっていく基準にあわせて専門外来を維持しようと思えば、慢性疾患管理数をふやすためには母数の健診の数を増やさねばならなくなり、マッチポンプ状態になります。健診を増やせという管理部からの指令で疲弊している人達も多くなっているとおもいます。

このような限界を乗り越えるためには、家庭医型の診療所にすることが有効です。要するになんでも診る。フレイル・慢性疾患・子ども・よろず相談・最期の時期と言う具合に、困りごとを受け止めることができる診療所に変わっていかなくてはなりません。

 

 さて、初めてカルテをつくる新患を増やすためには、地域の方々に「何かあったらあの診療所に行こうかな」という存在として認識される必要があります。そのための方法はいくつかあります。最もシンプルで効果的なのは口コミです。そして外部宣伝。最近よく見る黒い折りたたみ型のPOP黒板が意外に有効です。「本日○○やってます」とか、近所でよく見かけるあれです。次は地域アウトリーチ、地域づくりへの参画です。あとはイベント、たとえばバザー。最近だとマルシェのようなやつです。「母と子の○○」のような診療所の特性を生かした知的な体験型学習イベントも有効です。

再来初診はリピーターなので「もう一度来たい、何かあったらまた来よう」と思ってもらうことが大切です。つまり、診療の満足度をいかに上げるか、診療・ケアの質が課題になります。

 

 新患・再来初診ともに急性感染、つまり風邪が多い。風邪の患者さんを大切にしましょう。医師の診察は1分くらいで良いですが「あと何日たって、こういうふうになったらもう一回来てください」等の予後の説明はもちろん、セルフケアの指導も行うことが満足感につながります。「変わったことあったら来てください」「よくならなかったら来てください」から一歩踏み込むことがすごく大事です。パンフレットをつくるという方法もあるでしょうが、あまり読む人はいません。医療者がつくるパンフレットは文字ばかりですから、むしろ口頭のでのシンプルなメッセージ方が伝わります。

 

 慢性疾患はどうやって増やすか。意外に見逃しているのは急性疾患で来院された方へのアプローチです。風邪で受診した方の血圧を測ったら結構高くて「いやあ・・健診でずっと言われているんですけどね…」という経験はないでしょうか。バイタルで見つかる病気はとても多
い。他にも見逃されがちなのは脂質系です。問診票にはみなさん「異常なし」と書きます。それでも「コレステロール高いと言われていませんか」「糖尿の気があるって言われていませんか」などと聞いてみてください。実は…、と言う人が必ずいます。

 

 それから、自治体の高齢者健診ではADL(Activities of Daily Living)・IADL(Instrumental Activities of Daily Living)・AADL(Advanced Activities of Daily Living)の状態、現在利用している医療・介護関連施設、飲んでる薬を確認することが重要です。

 

 ADLとIADLの項目、すぐ出てきますか?私はそれぞれの頭文字をとって「D・E・A・T・H」と覚えています。DはDressingで着替え。EはEating、食べる。AはAmburatingで移動。それからTはToiletingで排泄。HはHygiene、お風呂のことです。ADLを聞くときに、着替えから順番に聞いていては効率が良くありません。最初にお風呂を聞きます。自分で湯船に入ることができて背中が洗える人は、他の項目も自立している傾向が高いです。お風呂が自立しているのであれば、次はIADLです。同じようにIADLは「S・H・A・F・T」です。SはShopping、買い物。HはHousekeepingで掃除や洗濯。AはAccounting、銀行や役所です。FはFood Preparationで調理。最後にTはTransporting、公共交通機関を使って移動です。これも最初の買い物から順番に聞くのではなく「電車に乗って遠出することはあるんですか?」とか「1人で遠出することありますか?」と聞けば良いと思います。「よく行ってるよ」という答えであれば、他は全部自立と予想されます。もしこの質問に引っかかるようであれば、他の質問に移ります。この程度の感覚で大丈夫です。ADL・IADLともに自立している人は、AADLを聞きます。これは生きがいや趣味に関する分野です。「ご趣味は?」「いつも運動されてるんですか?」等です。

 

 次は、現在利用している医療・介護関連施設を聞きます。「〇〇診療所で血圧の薬もらってます」という人がいます。「あぁ、そうですか」とここで終わってはいけません。眼科はどうですか?歯科は?整形は?。この3つは必ず聞きます。白内障で眼科から目薬だけもらっている人もいます。入れ歯の調整で歯科にかかっている人もいます。整形で気を付けないといけないのは、整骨院接骨院と整形外科が区別できていないだ人が結構いることです。「整形外科に行ってるよ」と言うのでよく聞くと整骨院だったり、その逆だったりします。なぜここに拘るのか。実はポリファーマシー(多剤投与)のケースがあるからです。飲んでる薬はお薬手帳で確認しますが、健診の時に持ってきている人は少ないので健診結果を聞きに来るときに持参してもらうように話します。このように質問していくと、ひとり暮らしで時々外出、足が痛い時は整形に行き、普段飲んでいるのは血圧の薬というような人がいます。この方々のかかりつけ医になることが大事です。ただし、いきなり「これからはウチの診療所に通った方がいいです」とは言わないこと。そうではなくて「今行っているところにちゃんとかかってください。何かあったらいつでも相談のりますから」と伝えます。そうすると「いや実は、今のところは待ち時間が長いし、あまり話聞いてくれないし、こっちに変われませんか」という人がいます。また、あきらかに遠方の医療機関に「しがらみで」通院している高齢者の場合は、近くのほうがなにかと相談にのれますよ、とお話しすることが多いです。いずれにしても。「自然に」で持っていくのです。

 

 これはナッジ(nudge)と言って、行動経済学の分野で提唱されています。直訳すると「肘で軽く突く」という意味で、少しのきっかけを提示したりちょっと後押しすることで、自発的な行動を促していくものです。

 

 整理します。外来患者が伸びなくて悩んでいるところは、次の3領域にアクションを起こすことが大切です。
①新患対策:地域に行って何か活動する
②再来初診:1回ごとの診療の質を高める。特に風邪などの急性感染やケガで来院した人に対するケアを丁寧にする。2年後にケガをしたら、また来てもらうという意識でとりくむ
③慢性疾患:健診と再来初診の患者の中に慢性疾患の人がいる可能性を考える。健診を受けに来ただけの人の中にも対象の方が必ずいると予測しながらコミュニケーションをする。

 

 最期に在宅患者の増やし方です。在宅患者が増えるきっかけは①病院からの紹介、②外来に通えなくなった人、③ケアマネジャーからの紹介、という3つです。

 

 ①の病院から在宅患者を紹介されるために重要なのは「断らない」ことです。一度でも断ってしまうと病院側は「また断られるのであれば断らない別のところにしよう」となります。確実 に受けてもらえるところがファーストチョイスになります。在宅専門診療所に電話かけると、100%受けてくれますから、そちらに流れます。

 

 ②の外来に通えなくなった場合は、一律「そろそろ辛そうなので、こちらから行きましょうか?」という営業姿勢はお勧めできません。むしろ、外来診療はある意味、生活のごく一部しかみれませんから、「どうもふだんの生活が気になる」「老老世帯らしい」「単身生活で食事どうしてるんだろう」というような洞察が重要です。ADLやIADLを定期的にチェックしたりすること、異臭や尿臭があればハイリスクと考えたり、包括的高齢者評価の視点をもってフォローします。気になるので一度家にいってみるというのをコスト意識せず看護師がおこなったりすることで、実は定期訪問診療のほうがのぞましいと判断されることも多いのです。

 

 ③のケアマネージャー(地域包括支援センターも含む)は、在宅患者に紐付いている人という認識を持っているかもしれません。しかし、ケアマネージャーは外来患者に紐付いている人でもあります。外来患者のケアマネージャーはたくさんいます。外来患者のケアマネージャーと交流することが、実はとても重要です。ケアマネージャーに集まってもらって学習会を開く。定期的なコミュニケーション総量を増やす。これを繰り返すと、間違いなく在宅患者の紹介が増えます。外来患者のケアマネージャーを大切にしましょう。

 

 今後も建設的、Constructiveなアイデアや構想を提示公開し、妄想的でもいいので、イノベーションをおこしていきたいと思っています。

 

 以上は、医療福祉生協連プライマリ・ケア看護研修会(2019年6 月16日)での講演記録に加筆訂正したものです。

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困難事例の元になりにくい医師の「体質」とは

 医師誘発性困難事例についてのエントリーとは逆のベクトルのエントリーです。では、困難の元にならない医師の体質を考えてみます。

 このことを考えるときに、真っ先に思い浮かぶのは、ロチェスター大学家庭医療学教授のRonald Epsteinが1999年にJAMAに発表したMindful Practitionerに関する論文です。現代において、マインドフルネスというと、ややスピチュアルな印象を持たれるかもしれないですが、この論文は違います。当時医療事故防止はどちらかというとシステム論やFool's Proofという、まあ、事故はシステムの問題で個人の問題ではないという流れがはじまったところでした。しかし、Epsteinは、事故をおこしにくい体質の医療者をどうそだてるかということで、Mindful Practitionerというコンセプトを提示したのでした。おおよそEpsteinのいうMindful Practitionerの構成要因はおよそ以下のようになります。

 

1.自分自身、患者、そしてそれらをとりまくコンテキストを積極的・能動的に観察することができる


2.周辺視野をもっている、こまかな違いや変化に気づくことができる


3.あらかじめ生じそうなトラブルを事前に察知し処理することができる


4.批判的・批評的な好奇心をもって問題にとりくむことができる


5.あるがままに世界を見る勇気をもつ


6.もともと自分がもっている枠組みやカテゴリをすぐにあてはめず、自分がもっている先入見を省察しそれを脇に置くことができる


7.ビギナーズマインドを意識的に使う


8.自分自身の能力の足りない領域があることを認める謙虚さをもち、むしろ力の足りなさを伸びしろとて称揚できること


9.知る人と知られる人をつなげることができる


10.直線的な同情ではなく、洞察に基づく思いやりをもつことができる


11.「存在感」を周囲に感じさせることができる

 

なかなかハードルが高いですが、プロフェッショナルとしてのマスターとはこういうものだと思います。生涯かけてめざしたいところです。

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医師誘発性困難事例の類型

 地域医療において,複雑度の高い,対応の難しいいわゆる困難事例に対応することは,地域基盤型プライマリ・ケア担当総合診療医=家庭医としての重要な仕事です。

 この何年かの間に様々な地域や集まりで,地域の難しいケースに関して,家庭医として相談にのることががありました。で,医師や医師グループの知識,技術,態度,価値観,慣習などにより事態が複雑になっているというパターンをかなり発見しました。いくつかの類型に分類し,これらを医師誘発性困難事例と密かに呼ぶようにしています。

 

医師誘発性困難事例のパターン

1.健康問題が複数で,つまり多疾患併存状態で,それぞれの疾患に対して担当医がいるポリドクターの状態。情報が散逸して,しかもだれが最終的にまとめ役になるのかがはっきりしない場合

2.現在の担当医が訪問診療を行っていないため,「通院することがリハビリになる」という謎の論理を主張し,在宅ケア移行を先延ばしている場合。そのため必要なサービスの導入がとてもやりにくい

3.担当医が在宅医療に熱心すぎるケース。「自分がこの患者のことは一番わかっている」と信じており,スピリチュアルから看護,人生観から死生観,医療システム論まで高い見識をもっていると思っており,看護や介護職が自分の思うとおりに動かないと「君たちはわかっていない」とおこったりして,チームが萎縮している場合

4.ケアマネージャーや介護担当者からの情報提供(最近良く転ぶ,元気がない等の漠然とした高齢者独特の症状・経過等)に対応するための老年医学的アプローチをしらない。例えば,食欲が落ちているという訴えに対して「ん~内視鏡は異常ないですけどね」といった答えを返している場合

5.なぜか大病院医師が主治医意見書を記載している場合。外来単位が少なすぎて,ケアマネージャーや在宅チームが連絡がとりにくい。また,病院から患者が退院したあとも家族に対して「なにかあったら連絡してください」などと,家族にたいして主治医であることを悪気なく提示してしまう。在宅での意思決定がそのため非常に煩雑になることが想像できない

6.高齢者の総合的な診療のトレーニングを受けずに在宅医療あるいは地域医療に参入してきため, 症状に対する臨床推論が不適切で,熱がでたり,たべられなくなったり,うごきがわるくなったりするとすぐ入院させてしまう

7.薬剤の副作用(抗認知症薬による興奮など)に気づかず,逆に処方薬がどんどん増えていく。特にトランキライザーが重ねられている場合

 

 以上は自分自身への戒めでもあります。地域医療は簡単ではないのです。

FOG

大きな教育病院あるいは大学病院のなかで診療所家庭医が教育できること

 この5年くらい、大学病院や大規模公的教育病院などのカンファレンスにアドバイザーとしてよばれたり、家庭医としての自分に、主として総合診療あるいは内科レジデントが症例相談する会などを企画していただく機会が増えました。従来は、診療所家庭医と病院との関係といえば、紹介元、逆紹介先としての診療所に対する「接待」であったり、病院でおこなわれている「最新」の医学医療を学べるような無料教育サービスするためだったり、あるいは病院であらたに始めた医療を診療所医師にプローモーションする営業活動だったりしました。しかし、僕はまったく違うベクトルで教育病院にかかわっています。それは、むしろ診療所における外来や在宅医療、地域活動のコンテンツそのものが、病院医療への貢献になりうるという確信があるからです。

 今回のエントリーでは、僕が大規模教育病院で何を伝えているか、どんなことを意識しているかといったことについて、素描してみようと思います。個々の項目の詳細については、これまでのブログエントリー、Podcast(Reflective Podcast by YasukiF)、書籍、「総合診療」の企画編集や執筆した論文や連載で発信しているものですが、かなり播種的になっているので、いずれはまとめていきたいと思っています。

 

診療所家庭医による教育コンテンツ@大規模教育病院

1.外来医療に関するもの

診療所外来指導での教育技法の病院一般外来への適用

  • 外来診療モデル(patient centered clinical method等)の紹介や使い方
  • Disease-Illnessアプローチを病院外来で使うときの注意点
  • 診断推論,特にInductive ForagingとTriggered Routineの活用
  • 病院外来と診療所外来の疾患頻度、あるいは事前確率の違いの重要性と受診理由の違い
  • 患者フローのコントロール法~患者満足度を下げずにどうしたら早く診療を終えることができるのか
  • 各種健康診断の意味

病院外来という比較的孤独な診察室での診療の弱点~Frail Elderlyのみかた考え

  • 老老世帯が二人で診察室に入って来たときにどうアプローチするか
  • 高齢者総合評価の外来での実際

病院外来に紹介する診療所医師の言語化されていない意図の推測

  • なぜこの処方内容になっているのか,そこからみえる診療所医師の能力や経験,診療パターンの仮説設定
  • Ambulatory Care Sensitive Conditionであったかどうかの見分け方

地域での生活の様子の予想

  • 現在の職業、過去の職業、現在の家族構成、及び家族図からの生活像の仮説設定
  • 昭和と平成の理想とされた家族像と価値観~特に大都市部の特徴

 

2.病棟医療に関するもの


診断推論に関しても診療所や在宅の臨床経験からアドバイスできることはある

  • 特に日常病の非典型例
  • 皮疹がキーとなるもの
  • 内科領域以外の疾患存在のヒント
  • 自前の診断パール
  • どのように外来や在宅で対処したら入院が防げたかに関するディスカッションを促す~Ambulatory Care Sensitive Conditionについての認識を深める

治療法などは馴染みがないものついて

  • 「それはどんな薬ですか?知らないので教えて下さい」「効きますか?」「それは一般的によく使われているんですか?」といった素人っぽい質問をすることが若い医師のプレゼンテーションの見直しに繋がり,振り返りを促す
  • 20年以上前の病棟医時代の臨床経験は意外に新鮮にひびく。安全性やインフォームド・コンセントの問題が今ほど重視されていなかった時代の医師の発想を紹介することで、現在行っている医療の歴史的な位置づけを伝える

病棟におけるコミュニケーション困難事例

  • Life Historyの聴取が有用であること
  • 病棟診療におけるFIFEの適用の際に注意すべきこと
  • 倫理的問題~食べられない高齢者,胃ろう適応は普遍的に存在する

看護師は何を考えているか~専門職連携の視点から

  • 看護とはそもそも何か,看護学はどのような学的領域か
  • 看護研究にどうアクセスし,どのように活用,適用するか
  • 看護教育の日本における歴史と,多様性と複雑性~受けた教育による看護観やコミュニケーションパターンの違い
  • 病院看護管理の特徴と問題点
  • 保助看法の読み替えのトレンド

家族指向性ケアの病棟医療への導入

  • 意思決定プロセスのための家族志向性ケアの基本的考え方~構造派家族療法の基本を知り、家族面談をしてみる

Creative Selfの考え方とInterpretive Medicineは病棟医療にもフィットする場合が多い

 

多疾患併存状態(Multimorbidity)をメタレベルで認知することと、ケアの組織化に関するアドバイス


どんな状態で,どんな条件が整うなら退院可能なのかに関するアドバイス

  • 退院後生活の予想にもとづく,退院後の経過に関する仮設設定,再入院はどのようなときに生じるか
  • 訪問診療に移行することのメリットとデメリット

3.その他教養に関するもの

医療と文化や政治との関連に関する示唆

  • マンガ,文学,映画,ドラマ,アートと医療の接続
  • 現在の日本の医療政策の流れ,世界の保健医療の話題
  • 昭和レガシー既得権益団体としての医師団体の紹介と対処法

コミュニティの話題,社会的な価値の変動の話題など

  • ものからことへ,お金の変化,GAFAなど最近の社会経済的動き
  • 若い医師の価値観を聞き,議論を促し,生産的な議論とはなにかを伝える
  • 検討事例と、今起きている社会的事件・事象との関連の考察

 

 これらの項目は、これまでその存在意義が模索され続けてきた、大学医学部総合診療科が他科にどのように教育的に貢献できるかのヒントにもなると信じます。 

 基本的に教育病院での教育活動は、お金には変えられない、非常に楽しく、やりがいのある仕事です。これからも続けていきますよ。

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教養と雑学の違い

教養と雑学の違いに関することを記述しておきます。


1.前提として,仕事の役に立つプラクティカルなマニュアル的知識ばかりおいもとめるのはバーンアウトを準備する条件の一つになるということを理解しておきたいです。


2.仕事の役に立たないが,自分の知識や価値観を変化させそうなもの,あるいは知識や経験の構造に注目して,自分にビルトインできるもの,なんらかの学問的分野に水路づけされるようなものを「教養」と呼びたいと思います。たとえば,小松理虔さんの「新復興論」(ゲンロン)を読むといった行為は,震災からの復興の事実を知るということだけでなく,なぜ今これが書かれねばならなかったのかを考えましょう。この時代はどういう時代なのかを考えられることです。

 この教養をつける学びを意識ときに,ユーリア・エンゲストロームのActivity Theory(活動理論)あるいは,拡張学習はよい学びの枠組みになります。そのシェーマはこんな感じです。僕としては,この拡張学習理論におけるOutcomeが「教養」だと考えています。そして,エンゲストロームによれば,すべての人間の活動は矛盾から生じるということですので,教養をつけるチャンスは矛盾あるいは,え?というような驚きや遭遇にあるのです。

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元リンクは👇

www.blog.crn.or.jp

 


3.仕事の役に立たないが,享楽として限りなく追い求めることができる知識を「雑学」と呼びます。例えば,歴代戦隊のピンクを演じているスーツアクターの男女比を調べたりすることは,まさに享楽に関する知識群でしょう。楽しくて楽しくて,意義とか意味とか関係なく没入してしまう知識や経験のから得られるものです。

 

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