Reflectionと医学教育(Part 2)

月刊誌「治療」2013年4月増刊号 巻頭インタビューのダイジェストの続きです。対話していただいたのはひきづつき若手総合診療医の北村Drです。ありがとうございます。

 

北村:本特集では, 振り返りの手法としてClinical Jazzを取り上げています.そのなかではエビデンスに基づいて分析するというものもありますが,その概念はどういったところからきたのでしょうか?

 

藤沼:Clinical Jazzというのは,もともとオハイオの僻地のMad River Family Practice Residencyで家庭医療の指導医をしていたLongenecker先生が始めた教育方略です.彼はreflectionが家庭医の成長にとってすごく重要だと考え,臨床経験をきちんと振り返る機会をつくる方法として“Jazz”といったのです.Jazzはコードとアドリブの組み合わせですが,彼はコードをある種のエビデンスと捉えました.エビデンスは決まったことであり,ニューヨークであろうと東京であろうと同じです.しかしそれ以外に,その土地それぞれのコンテクストに依存した部分もあるわけで,誰が診療しているのか,どんな人が住んでいるのかなどによって考慮することが随分と違ってきます.そこでコンテクストに応じたアドリブをします.このコードとアドリブを上手く組み合わせていこうということです.

家庭医は場所によって,どんな人と一緒に働いているのかによって,どういう実践をするのかが違ってきます.それが外科手術などとは違うところです.外科であればネパールであろうとニューヨークであろうと手術は同じですが,家庭医の場合はネパール型とかニューヨーク型というように,アドリブがすごくたくさんあります.

ただ,アドリブというのは結構センスと経験が必要で,そう簡単ではありません.そこで私たちは看護研究を参考にしています.看護研究,とくに質的研究は,アドリブが難しいレジデントにとってはよい指標になります.たとえば,あるレジデントが認知症のかなり進行した患者さんを担当し,胃瘻を造設するかどうかの判断をしたときのお話ですが,患者さん本人には意思決定能力がないので家族と相談します.その際,このレジデントは「胃瘻のメリット」,「胃瘻自体の合併症」,「日本における胃瘻造設者数」についてのエビデンスを調べました.こうしたことは文献を参照すればすぐにわかりますが,文献を読んでも家族とのやり取りは進みません.そこで,私は「胃瘻造設に対して家族がどうやって決断をしたのか,という決定プロセスについての文献を調べてみてはどうか」とアドバイスしました.検索してみると,代理決定者としての家族が胃瘻挿入の決断に至るプロセスを,何家族かにディープインタビューした論文がみつかり,そのレジデントはそれを読んで,「家族はこういうことを考えているのか」ということが,ものすごくわかったそうです.これは,まさにアドリブに近いものです.そして彼は,もう1度家族と話し合って,その結果どうなったのかを,エビデンスと質的研究に基づいた家族とのやり取りという形で言語化しました.これが現代的なClinical Jazzのアドバンスだと思っています.そういう意味で,いわゆるハードエビデンスといわれているものと,質的看護研究や人文社会科学などほかの領域の研究を組み合わせるということがClinical Jazzとしての次の段階なのかもしれないと思っています.

 

北村:Clinical Jazzを行う際,エビデンスをどうやって振り返りの形に落とし込むのかで悩むことも多いと聞きます.そういったあたりはいかがでしょうか?

 

藤沼:エビデンスを入れているのは,自分が今まで教育されてきた医学で解けるのはどこまでかを測定させるためです.エビデンスによってアドリブ的なナラティブの部分をあぶり出すのです.

 エビデンスとナラティブの2つを同時平行的に進めるというのは,実は家庭医の臨床的方法論の特徴ですが,家庭医以外の優秀なスペシャリストもそれとして意識せず難なくやっているものです.また,純粋に医学的な知識や技術や臨床経験はその背景にナラティブがないと定着しないといわれています.いわゆる台本みたいな形ですね.たとえば,「バイタルがこれとこれとこれであったら,肺梗塞だよね」ということはマニュアルとしていくらでもありますが,そういった形で知識が蓄積されているかといえば,そうではなく,ある患者さんと結びつけて覚えているものです.肺梗塞を診るときには,その患者さんの顔が浮かび,あんな顔つきをして,こんなことをいっていたな,と診断していくわけです.ですから,経験がもっている医学的に還元できない部分が知識の定着に関係していて,振り返りによってエビデンスの部分も知識として定着するのではないかと思っています.

 

北村:Clinical Jazzで振り返るに当たって,どのようなことから始めればよいでしょうか?

 

藤沼:「これはちょっと振り返ったほうがいいのかな」ということは日常的にいっぱいあります.だけど,すぐに忘れてしまいます.振り返りを含めた学びで一番大切なのは,記録することです.気づいたことがあれば,スケジュール帳などに書いておきます.まあ,もし私ぐらいの年齢の医者が書ききれないほど書いていたとしたら,それはわからないことだらけということですから,ヤブ医者かもしれません(笑).とにかくレジデントも含めて指導医も一緒に,そういったジャーナリングの癖をつけるようにします.

 なにをジャーナリングすべきかわからない研修医もいますが,それはほかの研修医がやっているのをみるとわかるようになってきます.最初は「困った患者さんのことを書いてください」と,簡単なことをいうようにしていますが,「困った」の基準が人によって違います.「とくに困ったことはない」という人でも,ほかの人がやっているのをみて,はっと気づくこともあるわけです.これは共同学習ですね.

 Longenecker先生も,記録することがすごく重要だといっています.彼のところでは「今週のClinical Jazzは君の担当だ」といわれたレジデントは,手帳を1週間もたされます.その手帳はジョッター・ウォーレットという皮のジャケットに入ったすごくお洒落なもので,気づいたことを書き込み,そこからネタを探すのです.

 今なら,スマートフォンなどでも記録ができます.そうすると,1人でも調べられることはたくさん出てきます.よく,「1人ではできません」という人がいますが,そんなことはありません.

 

北村:ソロプラクティスでは,とくにナラティブなところを振り返るのはすごく難しいと思うのですが…?

 

藤沼:ソロとはいえスタッフはいると思います.スタッフの振り返りをちゃんと聞いたり,コメントしたりするセッションの場をつくることが求められます.少人数であっても,日々起こるいろいろな問題を振り返り,共有することはすごく重要です.たとえば,看護師が「今週はとてもいいことがあって,患者さんがこんなことをいっていた」ということを「それは素晴らしい」といって共有することもあるし,ミスがらみのこともあり,その出来事はいますぐに取り組んだほうがいいのか,当分は取り組まないのかをみんなで相談することもあります.これによって診療所やプライマリ・ケアの現場の質が上がるといいます.

 このように,振り返りはチームの質改善につながるので,自分自身のスキルというよりも,プラクティス全体がよくなるように,自分の経験のほかのスタッフとの共有を繰り返していくことが,ソロでやっている人ができることではないかと考えています.ソロプラクティスでは,そのプラクティスの質をどうやって向上させるのか,業務改善や診療の質改善にどうつなげるのかといったことを考えながら振り返る癖をつけるのが非常にいいと思います. 

 

北村:今のお話のところで,ミスを振り返る際に「当分は取り組まない」のはどういったことからでしょうか?

 

藤沼:解決が無理な場合です.振り返る出来事をみんなで共有して,それからどうするかには何パターンかあります.1つはコングラッチュレーションです.みんなで「よくやった」といって褒めて共有する場合です.それから,いますぐ取り上げてすぐに解決策を探ろうという場合,あるいは大事なことだから,みんなでもう少し考えてじっくり取り組もうという場合があります.そして最後は,ライフ・イズ・ライク・ザットで,人生とはそういうもの,ということです.このライフ・イズ・ライク・ザットはとても重要です.

 医療者は問題解決がすごく好きで,問題が生じると「どうやって解決しようか」と考えますが,世の中には解決できないことがいくらでもあります.問題解決ができないとへこむ人がいますが,それは間違いです.とくにプライマリ・ケアの現場では多いのですが,医療従事者としてもうこれ以上は成す術がないという場合,「私たちには見守ることしかできないが,見守ることができた」という総括の仕方もあります.そうやって「よく見守った,俺たちよくやったよね」とサポートするには,チームでの振り返りがすごく大事で,医師がそこをきちんとやらなければ,スタッフはへこみます.

 

北村:藤沼先生の施設ではClinical Jazzをどのような体制で行われていますか? 

 

藤沼:指導医4人と同期のレジデントで行っています.指導医といっても,僕はほかの3人よりひと回り以上年上なので,年の功で褒め役ですけどね(笑).

 

北村:レジデントの方は,最初から発言できるものですか?

 

藤沼:もともと日本って,進んで手を上げるような文化ではありませんから,私が指名して発言してもらいます.端のほうから発言してもらったほうが,「そんなことを考えていたのか」ということが出てきます.もちろん,意見をいいやすい雰囲気づくりはしています.

 この雰囲気づくりは大切です.どうしても欠点指摘型の指導に慣れてしまい,足りないことはないかを探しがちですが,それではフィードバックはできません.足りないことのない,完璧なプレゼンをされると,突っ込みどころがないので指導医はイラつくものです(笑).一方,研修医のほうは突っ込まれないように,全部しゃべろうとして,たくさんのデータを並べるため早口になります.それで疲れてしまうレジデントに,どこかミスはないかと指導医がつっこむ…これは一番不毛な教育です.こういうカンファレンスは多いですが….

 

北村:最初はClinical Jazzに馴染めない研修医も多いのではないですか?

 

藤沼:そうです,なかなか振り返れない研修医も多く,「何をどうすればいいのですか…」ということになるのです.最初は,ちょっと困ったことや悩んだことをあげてもらいます.ただし,すでに終わったことについてです.これは大事なことで,「今,悩んでいます」ということを振り返っても,あまり意味がありません.「目下進行中のこの問題をどうしていくのか」を考えることになるので,これでは普通のカンファレンスになってしまうからです.その問題が落ち着いてから,事後的にやることが重要です.そうすると振り返りやすいです.問題の渦中にいては,そのことに悩んでしまうため,自分の学びへのreflectionができなくなります.reflection on actionという,Schönが提唱した事後的な振り返りこそが大切で,自分のコンピテンスを上げていくのは,問題が終わった後です(図1).

 

北村:最初のうちは慣れていなかった研修医が,2年,3年と経って振り返りの場を重ねていくことで,言いづらいことも自分のことばで話し,意見も出せ,よいカンファレンスになっていくものでしょうか?

 

藤沼:どうでしょうか.あまり整ってしまうと,予定調和っぽくなってしまいます.きれいなものを出せとはいいません.だから,自分なりにやってみてくださいという感じです.うちわの話ですが,看護研究が有効だとわかってから,看護研究を参照するレジデントが増えて,きれいにまとめてきてしまったりします.私はそれが若干不満です(笑).発見学習ではなくなってしまいますものね.だからこそ,ネクストステップはすごく大事だと思っています.次の課題を設定するために振り返るわけですから.そこで最近はフィードバックではなく,フィードフォワードというくらい,次をどうするのかに重きを置いています.

 

北村:clinical pearlですが,あれはどうやってつくるのですか?

 

藤沼:とくにつくり方にコツがあるわけではなく,「今日のポイントはここだったよね」とみんなが納得したら,それをclinical pearlとして共有しようということです.clinical pearlとしては,「定番」が必ず出てきます.たとえば,「母親と2人で暮らしている中年男性は鬼門」というのも定番です(笑).中年の高血圧の患者さんが来院し,家族構成をお聞きしたところ「母と2人で暮らしています」との答えであれば,これはハイリスクだなということになります.これがclinical pearlです.もちろん,診断上での医学的なclinical pearlもあります.

 また,医師は世の中を知らないから,家族の許容範囲がすごく狭かったりして,「親族なのになぜ見舞いに来ないのか」となどという人がいます.忙しければ見舞いに行けないということがわからないようです.私は彼らに比べれば歳をとっているから,こういったことが理解できますが,若い人には難しいようです.ですが,若いといっても,医師は人生全体を扱っているわけですから,そこには学びがないといけません.

 自分が育ってきた家庭が最高だと思っている人は,そうではない家庭をみると,「何これ!?」と思ったりします.しかし,医師は単に故障を治す人ではなく,家族も含めて包括的な視点をもつべきです.そうなると,「こんな家族もあるんだ」という気づきはすごく重要です.今までは,こういったことは「あの人は真面目で優しいから…」というように,人格に帰せられていましたが,家族に対する理解についてもきちんと語り合って共有しようという心がけだけで,全く違う文化になっていくと思います.

 

北村:最後に,これから施設でClinical Jazzに新しく取り組もうというとき,どういったところから始めたらいいのかについてのアドバイスがあればお聞かせください.

 

藤沼:研修医やレジデントだけで,今日あるいは今週の振り返りをするセッションを,時間を保証してやらせるだけでいいです.たとえ30分でも,時間をプロテクトすることが重要です.指導医は参加しなくて問題ありません.研修医のほうが指導医よりも上手くやります.ただし,報告をする,つまり共有するフォーマットだけはつくる必要があります.たとえば,「自分にとって一番上手くできたこと」,「失敗したこと」,「自分の心理状態」,「次月への目標」といった程度の項目だけ作成し,みんなで共有できるようにしたうえでプレゼンさせれば,それだけでいけると思います.「振り返りをしますよ」ということではなく,時間を確保してその間は呼び出されることがないようにします.そうすれば,研修医自身でちゃんとやります.

 

北村:研修医に対して指導医から「こうしなさい」というのではなく,フォーマットをつくるだけですか?

 

藤沼:それで十分です.若い人はやりますよ.今の若者はグループでの話し合いの経験が割と豊富ですから.まあ,だいたい頭の堅いのは指導医のほうです(笑).要するに一番大事なことは場を設定することです.そこで,患者さんのマネジメントについて話し合います.この事例が医学的にどう興味深いかということは,それはそれでいいのですが,「この患者さんはどうしたら幸せになれるのかな」といった感じで考えていくと,ナラティブが絶対に入ってくるので振り返りのお題としてはベターです.私のところでは看護師にも入ってもらい,医師だけではどうしても難しい場合は,看護的なターンで行ってもらうこともあります.

 

北村:なるほど.興味深いお話をどうもありがとうございました.