日本の総合診療は「Generalist Medicine」と呼びたい

 総合診療科

 2017年より総合診療が19の基本専門領域の1つとして認められることになり,「総合診療専門医」が日本に誕生する道筋がつくられることになった.

 日本の総合診療の特徴は,診療所をフィールドとする「家庭医」と,病院をフィールドとする「病院総合医」のハイブリッドとして考えられているということである.こうした“ハイブリッド型”の専門医像は,世界的にみてもあまり例がない.そして,地域のニーズに合わせた活動の場の多様性に,その特長がある.しかし,こうした「科」の設定は妥当なのか?という問いが絶え間なく現れている.

 総合診療と総合内科

 診療所家庭医,小規模病院の総合診療医,大規模病院の総合診療医あるいはホスピタリストは,それぞれ仕事の内容も求められる知識や技術が違うだろうという議論はもっともであろう.実際に必要とされるタスクはあきらかに異なる.たとえば病院の総合診療医っていわゆる総合内科とどこがちがうの?っていう疑問も当然のごとく存在する.そして,既存の診療科との違いが明確ではない,といわれることも多い.

 ところで総合内科ってなんだ?っていう問いに答えるディスクールは寡聞にしてあまりきかない.実は,「総合」内科が内科全般のオールラウンダーであること以外の定義をもとめられる場合,実は総合診療医ってなんだ?っていう疑問に応えるのと同等の努力が必要であるってことは,あまり指摘されていない.つまり総合内科における「総合」ってなんですか?という,内科領域特にサブスペシャリティ領域からの質問に答えなければならないことはあまり語られていないと思う.

 総合内科医の定義をオールラウンダーだとすれば,そういう分野はもし多領域の内科医がそろっていれば,いらないのではないかという根本的な疑問に答えられない.つまり内科医不足の状況下における便宜的な存在ということになる.しかし,総合内科にアイデンティティをもっている医師はそうした便宜的な存在であることを良しとはしないだろう.つまり,Expert general internistとは何か?という質問に答えなければならないのである.

 また,非常に多い疑問は総合診療科ってどんな病気を診るんですか?という仕事の対象を疾患で定義する,あるいは,テリトリー設定で科の境界線を確認する目的の質問である.これまでの「科」の境界線を疾患の集合できめていくタイプのパラダイムでは,総合診療医はオールラウンダーとしかいいようがなくなるので,前述した便宜的専門科というふうに認識されるだろう.

GeneralismとGeneralist Medicine

 内科をはじめ各科間の境界線を上述したようなやり方で設定しようとすると,重大な問いを隠蔽してしまう.それは「総合性=Generalismとは何か」という問いである.「これがあればジェネラリストといえる」という「専門性=Expertiseは何か」ということである.
 おそらく総合診療科という名称の本来の意味は,その出自がヘルスケア・ニーズであろうと,あるいは医療政策上の要請からであろうと,あるいは医師の地域ごとの不均衡配置であろうと,本質的に「Generalist Medicine」であるというのが僕の考えである.これは,コンテキストをあえて無視しているのだが.

 たとえば北米の家庭医,英国のGP,米国のホスピタリストなどは,ふつうに見れば,いわゆるオールラウンダーという意味にとらえられることが多い.幅広くすこしづつ(むろん能力によって「少し」ではなく「たくさん」の場合もあるが)いろんなことを知っていて,実践する医師である.しかし,オールラウンダーということをもって専門性であるというのは,おそらく専門性ということばの定義からしてなじまないと思う.むろんオールラウンダーということで十分仕事はできるし,そういう医師はもとめられているだろう.が,僕はExpertiseに関心がある.なぜなら,総合性って何?という問いの追求なしでは,医師の養成のしかたが恣意的になるだろうと思うし,それだけでは個人的には,単純に「面白くない」のである.

Expert Generalist
 僕は日本の総合診療は,家庭医と総合内科医のハイブリッドであるがゆえに,「エキスパート・ジェネラリストとは何か」ということを根本的に考えねば,それは見えてこないと思う.

 ちなみに,ジェネラリストの専門性を実地診療で発揮しているなら,専門科と関係なく「総合性をもった医師」といえるだろうが,それは“ナチュラルボーン・ジェネラリスト”であろう.つまり,そもそも資質がジェネラリストのマインドセットにフィットしていた,あるいは,たまたま上司がジェネラリストの価値観をもって診療をしていた,といった“偶然性”に多くを依存したタイプのジェネラリストである.ラッキーにも総合性を獲得すること自体は否定されるものではない.かくいう僕も,正規のプログラムを経ているわけではなく,上司が優秀なジェネラリストであり,研修の場が地域だったということで,海外の家庭医からは“Self-taught family doctor”と呼ばれていたりする.

 総合診療医は“ジェネラリストとしての特別のトレーニングを受けた医師”と言い換えたほうがよいのだが,ジェネラリストの専門性を言語化し,教育できるためには,従来の医学・医療パラダイムメタ認知して省察することが必要である.

 では,ジェネラリストの専門性とは何か? この数年,この領域で精力的に研究しているReeveら 1) によれば,それは「未分化な健康問題」「複雑な問題」「きわめて幅広い健康問題」に対応できることであり,そのために「診断治療技術」「ケアの継続性」「患者-医師関係構築」という患者次第でフレキシブルに対応する領域に加えて,どんな患者でも普遍的に適用する「患者と医療者の共通基盤の形成」「解釈的医療Interpretive medicineの実践」を組み合わせられることだという.

 このReeveらが提唱しているInterpretive MedicineはGeneralismの本質をつく非常に重要なコンセプトであると思う.いずれ日をあらためて紹介,考察しようと思うが,Biographical Disruption(個人誌における混乱)の解釈(Interpretation)とPersonalized Shared decision making(個別に共有化された意思決定)をコアにした医療スタイルである.

 この定義は家庭医ならすぐ腑に落ちるのだが,たとえば総合内科にオールラウンダー内科以上の定義を求めるなら,このジェネラリストの専門性がやはり当てはまると思う.実際に僕の知っている優秀な総合内科医はみな上述した実践をやっていると思う.ただし,学問としての日本の内科学にはこのGeneralismは射程には入っていない.実際に総合内科の認定試験においてはオールラウンダーあるいは総花的内科医としての知識を問う問題が出題される.

 そして,強調したいのは,総合診療あるいはGeneralist Medicineは診る対象の疾患で規定されないってことである.

MultimorbidityとGeneralism

 僕の考えでは,ジェネラリズムについて根本的に考えるうえで重要な領域が「多疾患併存=Multimorbidity」の問題である.Multimorbidityについて考え,ケアを実践することは,実は「ジェネラリストの専門性」について深く考えるところに直結していると思う.それは,日本における「総合診療とは何か」という問いに答えようとする試みでもある.この領域の研究と教育を今後数年で相当進めていくことが,日本の総合診療の離陸のために必須となるだろう.2015年12月号の「総合診療」(医学書院)において,Multimorbidityの特集を組んだことはそうした意図もあったのである.

 

文献
1) Reeve J, et al : Examining the practice of generalist expertise ; a qualitative study identifying constraints and solutions. JRSM Short Rep 4(12) : 2042533313510155, 2013.

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朝焼け