情報伝達ではないコミュニケーションも医療現場には必要

 吉田尚記著「なぜ,この人と話をすると楽になるのか」太田出版,を読んで,いろいろ考えさせられました.
 

 プライマリ・ケアの現場では,患者医師関係はきわめて重要な構成要素であり,また地域基盤型ケアにおいては多職種連携実践が必要であり,また施設連携でもさまざまな情報をやり取りすることが多いです.プライマリ・ケア医とは,コミュニケーション量が相当多い仕事であるといっていいと思います.

 そして,医師の間では,コミュニケーションが効果的,効率的に情報を伝達しあう道具あるいは媒体とみなされることが多いことと,とくに患者から診断のヒントとなる情報を引き出すための問いかけが基本的はな臨床スキルとして求められるため,情報は正しく誤解なく伝えなければならないし,患者からは診療に必要な情報を必ず引き出すことができるという前提に無意識に立っていることが多いのです.
 

 しかし,構成主義的なコミュニケーション論の観点からみると,正確に意味内容が伝わるコミュニケーションというのは基本的に不可能であるという前提に,まず立つことが必要となるかもしれません.たとえば,発信する側が意図しなくても,何かが伝わってしまい,コミュニケーションが成立してしまう不可避性や,意味とメッセージの関係が恣意的であるということを前提にするということです.
 

 さて,世に流通しているコミュニケーションに関する一般書籍のなかでから,とくにこの本に興味をもった理由は,著者が「コミュニケーションを通じて最終的に何が伝わるかは,こちら側の意図とはほぼ無関係なんです」と述べているように,著者はそうは語っていないのですが,この本が構成主義的なコミュニケーション論を実生活に生かす観点で読めるように思えたからです.
 

 繰り返しになりますが,本書の出発点は,医学教育で重視される医療面接,メディカルインタビューからイメージする情報媒体としてのコミュニケーションとは違った地平のコミュニケーション観です.というのは,著者は,そもそもコミュニケーションの目的は,楽しくなるため,うれしさや喜びを体感したいというところに本質があるといい,コミュニケーションはよいコミュニケーションを成立させるために行うということ,いわばそのためのゲームであるとしているところです.そして,ダンバー数(人間が意味のある関係を築ける最大数,おそらく150人程度)で有名なロビン・ダンバーを引用しながら,猿が毛づくろいという気持ちのよい行為により集団形成をしていったが,人間は毛づくろいの代わりにコミュニケーションを発明したといっています.つまりそもそもコミュニケーションとは意味のある社会=人間集団をまとめるためのものだったと考えます.
 

 そして,次のように述べています.
「いちばん気持ちいい,毛繕い的な会話とは何か? もう答えは出ているようなものですね.ムダ話,雑談,バカ話,そういう類のコミュニケーションだったんです」
「意味のない会話と意味のある会話,両方のハイブリッドこそが,現代の社会生活に絶えず要求されるコミュニケーション・スキルです.くだらないワイドショウと真剣な意思の疎通,両方大事.毛繕いをコミュニケーションに変えてきた人間は,そういう無意味と意味のハイブリッドを生きているんですね」
 

 こうした観点は非常に重要だと思います.コミュニケーションは必ずしも言葉によるものだけではないです.たとえば,子どものころ友達が家に遊びにきて,それぞれが別のマンガを寝そべって読んで,かっぱえびせんを一つの袋から二人でつまみながら,だまってマンガを読み続け,2時間位たって「夕飯だから帰るね~」といって友達が帰っていくっていうような経験は誰でもあると思いますが,この2時間は気持ちがよいもので,充実した時間だったのではないでしょうか.こうした沈黙の時間を共有するだけでも満足感の得られる関係は現代社会においてはずいぶん少なくなったように思います.おそらくこうした友達との沈黙の時間は,それ以前のどうでもいい世間話の継続がその基礎になっているのでしょう.
 

 さて,医療や介護などの現場ではどうでしょうか?意味のある会話がを追求しなければならないというプレッシャーのなかで,毛づくろい的なコミュニケーションはどこにあるのでしょうか.
 たとえば20年近くみている,比較的安定した患者さんとの外来における定期診察で,
「どうですか?」
「かわりないです~」
「あ? そう,血圧はかっとこうね」
「はい」
「いつものくすりでいいかな?」
「はい」
「じゃ,またね」
といったやりとりは,特別何かを伝えているものではないのですが,お互いに長いつきあいのなかで,到達した沈黙がそこにあるといえるのかもしれません.これは意味のある医療面接や,インフォームド・コンセントの結果生まれたというよりも,著者が「ムダなゴシップを延々やりとりしなければ絶対にたどり着けない場所,それが沈黙です」と述べているように,いわば毛づくろい的なコミュニケーションの蓄積の結果なのかもしれません.
 

 著者の吉田尚記さんは,ニッポン放送の人気アナウンサーであり,現代の若者のラジオ人気の復活に一役かっておられるようですが,彼は自分自身を「もともとコミュニケーション障害」があるともいっていて,自身が生活や仕事のなかで獲得してきたコミュニケーションに必要なスキルをていねいに解説しています.たとえば,「相手のことは完璧には理解できない,誤解ウェルカムでいこう」,「ふだんの会話から,「嫌い」,「違う」の単語だけ外すように心懸けてみてください」,「「ホメる」,「驚く」,「おもしろがる」は,コミュニケーションの技術を考えるうえですごく重要な三大テーマと言っていいと思う」といったフレーズは,実生活だけでなく,著者が意図しなかったであろう医療や介護現場でのさまざまな文脈で有用だと思いました.
 

 コミュニケーションとは,その場の全員が気持ちよくなることをゴールとするゲームであるという視点の咀嚼を続けていくことも必要ではないでしょうか.

 

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