診療中こんなことを考えています

 50年以上CP(脳性麻痺)の娘さんを介護していた80歳の女性を診ました。最近娘さんは施設に入所したのですが、娘さんがいなくなって、はじめて介護自体が自分を生かしてきたのだということに気づいて、「これからいったい何をしたらいいかわかなくなってしまった」とのことでした。家族をはじめ周りからは「時間ができたのだから、いろいろ楽しいこと、なにかあたらしいことをしなさい」といわれるが、出来ない自分がつらいとのことでした。

 ここで私は米国の家庭医Robert Taylor先生のRetirement(定年や退職)で悲しげな表情を浮かべている患者さんに対するアドバイスのあり方に関する記述を思い出す。家庭医療学のテキストブックの記述です。長く続けた仕事からリタイアすると、つい温暖な地域に転居しようとか、あたらしい突飛なことをしようとするが、それは家庭医としては止めなければならない。転居や突飛なことをやることによって、これまで自分にとってきづかなくても重要だった所属コミュニティや人との関係をたちきってしまうことの危険性を指摘しなければならないってことが家庭医療のテキストには書いてあります。シンボリックには「じっとそこに座っていなさい」ということばをかけなければならないということです。

 私はそれを思い出し「新しいことはしなくていいですよ。ただ、毎日淡々と普通にいつものことをくりかえしやればいいんですよ」とその患者さんにおはなししたところ、「そういうふうにいってくれるひとははじめてです。それでいいんですよね、安心しました。ありがとうございます」と安堵の表情をうかべていました。あたらしい生活ルーチンやリズムは坦々とした日々の生活から派生してうまれてくるはず。ちなみに医学的問題は高血圧症のみです。Havi CarelやJoanne Reeveの患者主体(Self)の研究、特に日常ルーチンの重要性に関する研究も理論的にこうした診療を下支えしていると思います。

Fuyo flower