Expert Generalist PracticeにおけるInterpretive Medicineの意味

 健康とは、繰り返し必ず実施している日々の生活(ルーチン)を保証ためのリソースであるという前提で、健康をどう支援できるかを考えることが自己あるいは主体へのアプローチだといえるでしょう。生活ルーチンは、たとえば職業上の複雑な業務から、日々の買い物、仏壇への線香立てまで、実に様々なです。

 この生活ルーチンは自己/主体の一貫性の根拠となると考えられますが、この一貫性こそが、自己/主体というものの本質の一つです。
 さて、病いのなかにある主体は、ルーチンを行っていくことに様々な支障をかかえていますが、なんとかルーチンをすすめていくために、生活上の「創意工夫」を行っているものです。ちょっとした身体の姿勢や動かし方の工夫から、生活道具の創作まで様々な、創造的ともいえる能力を発揮すしています。この「創意工夫」する力をCreative Capacityと呼び、病いのなかにある主体は、単に病み、弱っていく主体ではなく、クリエイティブな主体、Creative Selfであるというのが、Expert Generalist Practiceにおける主体認識のキーだと考えられます。Creative Selfを支援することが、患者の主体へのアプローチであると言い換えることができます。

 この病む主体におけるCreative Selfという考え方は私自身の病い体験からも、その重要性が納得できるものです。

 そのためには、患者自身がきづいていないこともある、自己の一貫性を保証する日常ルーチンを医療者ととともに探索し、その意味を見出していく必要があるのです。おそらくこれがInterpretive Medicine(解釈学的医療)の、実践的な内実だと思います。

 

https://www.instagram.com/p/BvEE_DeF8do/

Instagram post by 藤沼 康樹 • Mar 16, 2019 at 9:12am UTC

プライマリ・ケア連合学会設立の意味を振り返る

 医学の世界に限らす比較的少数派のグループは、立場の違い、理論的違いによる対立と分裂が生じやすいものです。逆に集団として大きな力をもつと、内部の対立があっても全体としてのまとまりはなんとか維持されます。例えば政権与党内には様々な派閥があり、それぞれが別の政党であるといってもおかしくはない政治理念の違いがあるのですが、政権という一点でキメラ上にまとまっています。医学界においては、日本内科学会がそうした政権与党的な構造をもっていると思いますが、僕は会員ではないし、関わりは少ないので、妥当性のある見方かどうかはわかりません。

 プライマリ・ケア連合学会の母体となったかつての3学会、すなわち総合診療医学会、プライマリ・ケア学会、家庭医療学会に関してみてみると、それぞれの学的基盤はかなり違っていたことは確かだと思います。僕はむしろ、この3学会の統合は学問の統合というよりは、今後の日本の少子高齢化を軸とする人口動態の変化、それにともなうヘルスケアシステムの再編成、そして国民の医療に対する意識の変化等に、医師の学術団体としてどのような社会的役割をはたすべきなのかという大義Cause)にもとづいて行われたという印象をもっています。ただし、各学会メンバーの、それぞれの学会への思い入れは、小規模集団だからこそ強いものがあり、合併による様々なルサンチマンが生じたことは確かでもあります。また、合併にかかわれなかった(あるいは声がかからなかった)、多くの関連学会や研究会、関連施設団体にもそうした感情が生まれていたことが今となって、はじめてわかるところもあります。

 日本は、少子高齢化と人口減を基調とする人口動態が確実視されていますが、これは見方をかえればこどもと高齢者をあわせたレイヤーの人口が増えることであり、このレイヤーは居住地の周囲でほとんどの時間を過ごす人たちであるということが重要です。いわば地域ベースで生活をするレイヤー中心の社会に日本が変化しているということであり、医療や介護、保健のしくみに関しては、地域ごとの最適解を探索する時代になったということです。おそらく日本のすみずみまで、同じシステムのもと、同じ内容の医療や介護が提供されるというこれまでの通念が変わってきています。これが地域包括ケアの時代の本質だとおもいます。

 地域包括ケアの時代において、どのような医師像がもとめられるのかということについてはまだ十分議論されているとはいえませんが、

*地域ベースで多職種と文化や価値が共有できて、連携実践ができること(水平統合

*大~小病院、あるいは療養施設の医師同士が施設違いを超えて、文化や価値の共有でき、質の高い施設間連携ができること(垂直統合

*上記の水平、垂直統合の基盤が患者中心性、あるいはPerson centredであること

といった構成要素が重要になると思います。

 地域包括ケアにおいては、文化や価値の共有ができていることを規範的統合(normative integration)と呼びますが、地域~大学病院までこの規範的統合ができるような医師が配置されることが地域包括ケアの時代にもとめられますが、このスタイルの医師はジェネラリスト医師あるいは総合診療医がもっとも近いといえるのではないでしょうか。そして、この日本における総合診療医は、従来型のLone physician(孤高の医師)像に対して、Saba[1]が提案したCollaborative alternative(協働的オルタナ医師)像とホモロジーがあると思います。

 日本における総合診療は場によってその診療スタイルをかえる、System oriented specialtyですが、Generalism(総合性)という価値を共有しています。そして、ある時期は大学病院、ある時期は診療所、といった働き方が可能です。おそらく地域包括ケアの時代を世界に先駆けて、いち早く迎えざるを得なくなった日本において、これから登場しつつある総合診療専門医をめぐる制度設計のためには、世界的に20世紀以降のジェネラリスト医師が家庭医、総合内科医、ホスピタリスト等に分化していった歴史を見直し、それらを再び統合するというヴィジョンがなければなりません。このヴィジョンなしに、様々なステイクホルダーの利害調整に終始するような制度設計は「なにも変わらなくて良いし、このままなんとなくうまくいくんじゃないか」という医療界特有のレガシー発想に他ならないのです。

 

[1]: Saba W, et al. The myth of the lone physician: toward a collaborative alternative. The Annals of Family Medicine 2012;10(2): 169-173.

 

Old Bar

専門医から内科系総合医や家庭医への転向

 最近、長らく循環器内科医を病院でやっていたが、諸事情で診療所開業することになったが、どんなふうに自分を整え、診療にフィットさせたらいいのだろうか?とか、あるいは眼科医をずっとやっているのだが、内科の勉強も続けていきたいのだが、どうしたらよいのだろうか?といった相談を受けることがあります。

 これまでは、あまりそうした相談を表立ってするような「空気」はなかったので、時代の変化を感じます。

 50代半ばをすぎて、大きな仕事の転回点を迎えるわけですが、ライフ・シフトの時代になり、その仕事はおそらく10年でおわることはなく、どうしたら70代や80代すぎても、医師として社会貢献できるのだろうかという課題があらたに浮上もしているのです。

 そして、ながらくやってきた専門医としての診療スタイル、知識や技術ベースのブラッシュアップなどをそのままもちこんでもうまくいかないだろうという直感もあるんだろうと思います。

 こうしたキャリアの転換で私が必要だと思うことは

1.それまでの専門医のスタイルを否定しない

2.これからの総合医としてのスタイルを否定しない

3.自分が学びほぐし(Unlearning)、学び直しが必要であることを認める

4.自分がどのようなタイプの人間なのか、どんなバイアスをもっているのかに気づく機会をもつ

5.中年以降の自分自身が現在直面しているライフサイクル上の課題、そして今後直面するだろう課題に自覚的になる

ということが、実は大事だと思います。

 おそらく、そのためには学習共同体の形成がキーになるでしょう。いわゆるバリント・グループの形成を思い浮かべるかもしれませんが、私が考えているのはどちらかというと現代のオンライン・サロンに近いような仕組みで学習共同体が形成できないかということです。

 そして、地理的に遠くても、同じようなニーズをもっているキャリア転向組の医師、そしてちょっとメタレベルに立ってアドバイスができるメンター的な役割をはたす家庭医がそのグループに参加できるといいですね。

 そしてかくいう私も、そうした役割をはたせるような仕組みをつくりたいと思います。気軽にお声掛けください♫

 

jazzy

医学教育について15年前に考えていたこと

 今回は、今から15年ほど前、卒後臨床研修必修化直前に日本医療評価機構日本医師会の合同で開催されたシンポジウムでの僕の講演記録です。非常に古いものなのですが、当時医学教育にかなり燃えていた時期でした。
 もう15年前なので、話の内容はそうとう古くなっています。しかし、おそらく当時の卒後研修の変革前夜の熱さをちょっと感じることができると思い、エントリーにすることにしました。
 では、はじまります〜

 

司会 それでは、続きまして、藤沼先生。藤沼先生は、家庭医療学センターのセンター長でございます。新潟大学の医学部を卒業され、大変臨床研修に関心が高くて、家庭医療学にも関係しておられますし、また日本プライマリ・ケア学会等にも関連が深い先生でございます。どうぞ先生、よろしくお願いします。


藤沼 どうもありがとうございます。きょうは、表題についてのお話をさせていただける機会をいただいて、本当に光栄に思っております。 私は、いくつかの顔がありまして、一つは診療所の所長で、○○先生と同じように日本医師会のA会員でありまして、東京都の北区医師会で普通に医師会業務をやっております。また勤務している生協浮間診療所に併設している北部東京家庭医療学センターというところで家庭医療学関係の研究や教育にも携わっております。また医学教育全般に関心がありまして、一応自分では、専門は家庭医療学と医学教育学であると自称しています。


 きょうは、特に評価についてというお話だったので、私たちの施設における実践も交えながら私が学んでいる医学教育学の観点から、アセスメントとかエバリュエーションというのが、最近どういう動きになっているかということをちょっとお話ししたいと思います。 


 私は現在スコットランドにあるダンディ大学というところの医学教育学センターというセクションが提供している、遠隔教育による医学教育学のコースを受講しております。実際勉強している領域は、「カリキュラム開発」、それから「ティーチング・アンド・ラーニング」といって、これは教育学原論みたいなものです。それから、「アセスメント」というのは評価、きょう話題になっているものです。それから、「教育学研究」、そして「教材開発」といった内容をカバーしていまして、このコースの学生はみんな現場で教育に携わっている医師がほとんどです。診療等の仕事もやり、現場で学生を教えながら、それをセンターの方にフィードバックして、向こうからフィードバックしてもらうというようなコースです。
 先日佐賀で行われた医学教育学会に、ダンディ大学医学教育学センターの前主任教授のハーデン教授がいらっしゃいまして、ミーハーっぽいのですが笑、一緒に写真を撮らせてもらったりしました。

 

 実は、このコースを始めるときに、私は卒後研修に関心があるのだということをまずチューターにお話ししたら、だったら、向こうのチューター、まあサイコロジストなのですけれども、日本の卒前教育の問題点を一応整理しておきましょうというメールをいただきまして、いろいろ文献を向こうにも渡したり、レポート書いたりして、最終的にこういう結論になりました。  
 一つは、例えば何々大学医学部を卒業した時点では、うちの卒業生はこういう能力を持っているということが明確でない、つまり教育目標がハッキリしていないということが一つ。
 それから、実際にやってみる経験というのは少ないということで、クラークシップとかが従来少なかった。
 それから、とにかく最後に総括する評価、つまりhigh-stake testと言われているものが、実はかなりの部分が知識の想起を中心とするという国家試験になっているために、学習自体がsurface learning、つまり表層的な学習になって、deep learningつまり深い学習をすることはむしろ国家試験をパスするためには、ちょっと危ないと。なぜなら、全体をひろく、まんべんなくカバーしないと、深みにはまって試験に落ちますので、だから学生は余り深みにはまるのを拒否するのです。
 それから、あとはやっぱり情報をかき集める。問題解決にも、情報をかき集めるという方に主眼が置かれている。つまり、学生は教育目標よりも評価を見て、その学習スタイルを決めるものなのです。
 それから、例えばイギリスだと医学部は5年あるいは6年制なのですけれども、3年、4年、5年となるたび、だんだん医者らしくなってきたねという話になるんですけれども、日本の医学部の場合はいつまでも学生であるということです。メンタリティが、プロフェッショナルという形で涵養されていかないということがある。
 それから、あとは、まあ、これが向こうの先生がびっくりしたのですけれども、国試合格したら、突然医師免許が来て、しかも責任としては医師の責任をとらされるということで、この格差たるや大変なものがあって、これをかなり向こうの先生は問題視していました。相当ドロップアウトがいるのではないか。あるいは、デプレッションになったりとか、メンタルプロブレムを抱えたりとか、転科だとか、そういったことがふえるのではないかということを言っていました。
 それから、あとは病院ベースの教育が圧倒的で、地域ベース教育がないということが問題とされました。
 このあたりの問題を抱えた学生が、卒後研修に参入してくるのだということです。

 
 今の医学教育全体の世界的な流れ、トレンドですけれども、かつては、とにかく今、現時点でできる力をたくさんつける、あるいは、今、覚えている知識をたくさんつけるということを目標にして、とにかく講義をたくさんやり、実践もたくさんやるという形だったのですが、世界的には、もう全部教えるのは不可能、無理だという前提に立って、むしろcapabilityを、つまり今後自分で学び取っていける力をつけた方がいいと。自分の診療のコンテキストに沿って、きちっと自分で学習し、成長できるような医者を育てた方がいいのだということで、自己決定型学習法ですとか、あるいは問題解決、あとはモチベーションをきちっと維持する力とか、そういったことを養っていく方がいいのだという方向に流れています。これは実は日本の初等教育で盛んに言われている生きる力を養う教育とパラレルなものであるというふうに思っているのですけれども、これが今の世界の医学教育のいろんな改変を支える中心的なコンセプトといえます。Education for capabilityという考え方です。


 そういうずっと生涯にわたって伸びていく医者のためのカリキュラムの要件というのは、既にいろんな研究があります。一つはコア・カリキュラムをきちっとつくることです。コア・カリキュラムをつくるということは、要するに教育目標がきちっとしているということです。しかも教育目標はできるだけ少なく厳選されている方がいい。コアは小さければ小さいほど逆に得るものは大きいと言われています。そして、その学習者のニーズとモチベーションに合わせたエレクティブをきちっとやらせる。選択をきちっと用意するということが重要なのだというふうに言われています。  
 それから、あとは、実際にやってみる。見学ではなく実践であると。クリニカル・クラークシップ、あるいはクリニカル・ラボだとか、模擬患者、シミュレーターみたいなものをきちっと用意して、実際自分でやってみるということを保証していかなければいけない。  
 そして、教育の場として地域を重視しろと。これは今、本当に世界的な傾向です。イギリスでは、病院では余り身体診察を教えるほど患者がいないので、ほとんど診療所でGP(家庭医)がヒストリー・アンド・フィジカルあるいは、いわゆるclinical methodは全部教えるという形になっています。また、診療所とかコミュニティでの問題解決の仕方と病院の問題解決の仕方は質的に全く違うので、例えば、使うリソースに関しては地域では、保健、福祉のリソースを使ったりします。大きな病院の問題解決のやり方がそのまま地域で通用するわけではないということです。コミュニティとホスピタル、両方併用して、きちっと経験する必要があるのだということを明らかにしているという点で、まあ、そういうところからみてみると、日本における今回の卒後臨床研修の改革はなかなかいいというふうに思います。  
 それから、これもすごく言われているのですけれども、generic competence、一般能力と言われているものの教育が重視されます。まあ、社会人としての医師の一般能力みたいなもので、例えばマネジメント能力、チームワーク、コミュニケーション、問題解決みたいな、こういったことをきちっと教育するのだと。例えばダンディ大学ですと、解剖学のときにコミュニケーションスキルを評価しています。また、ちゃんとプレゼンテーションができるか、あるいは仲間うちで相談して役割分担がうまくできるかみたいなことも全部評価されていますから、この神経の名前は何だみたいな、そういう暗記した知識だけで点数がついているわけではないということになっています。  


 これらの視点から見ると、今度の新臨床研修制度は、非常に大きな変化だなと思っています。一つは、プログラム、カリキュラム単位の認定になった。これはすごいことでありまして、施設の規模とか、施設の医療内容によって研修ができるかどうかを判定したのが、実質的に教育で判断することをめざすようになった。それから、もう一つは、learning outcomesという、これは教育学用語で、研修最終教育目標みたいなものですけれども、それが明示されたということ。この目標がクリアできるように、研修内容を組織化するカリキュラムを開発しなければいけない。これは実はoutcome-based medical educationという、目標から何を教えるかを考えていこうという、そういう従来の教育のベクトルの完全な逆転でありまして、これはもう非常に大きなことです。例えば大学でもしlearning outcomesがはっきりしていなければ、つまり卒業時点でこういうことができるということが設定されていなければ、例えば第一内科をローテーションしたときに何を教えるか決定できませんから、第一内科で教える内容を厚生労働省が明示したということは、すごく大きいと思います。まあ今までは、第一内科の教官が自分の教えたい事、あるいは興味のあること、あるいは教室のテーマなんかを教えていたわけですからね。outcome-based medical educationは医学教育カリキュラム開発における世界的な流れです。  


 では、ラーニング・アウトカムズ(教育目標)って一体何だという、つまり、最終的な目標は何だということです。これはダンディ大学のlearning outcomesというコースのテーマでした。
 まず、「できる」こと、それからそれを「適切にできる」こと、そしてやっている医者が「プロフェッショナルである」という、これらが教育目標における三つのゾーンを構成しています。そのゾーン毎にさらに細かな目標を設定したりしています。
 私が現時点で運営している卒後初期研修プログラムのlearning outcomesですけれども、歴史的に言うと1982年に非常に小さな小規模病院を中心とした、まあ、厚生労働省からは全く認可されない、「インディーズ・プログラム」と私は言っていましたけれども、インディーズの地域医療のプログラムが立ち上がって、私は83年にこれに参加しています。その後、ずっとインディーズでやっていたけれども、30人以上が私たちのところから卒業して、いろんな病院で活躍されています。そして、この数年は地域のいろいろなニーズに合わせて、家庭医養成プログラムに再編成しています。
 このプログラムの見直しの時は、本日いらしている○○先生等にもいろいろアドバイスをいただいたのですけれども、そして2004年から、私たちのところの法人の王子生協病院というところを管理型の研修病院、ここは150床ですけれども、いろんな周辺の医療機関と連携を組んで、卒後臨床研修プログラムの認定を今申請しているところであります。


 さて、WHOのチャールズ・ボレンが提起した21世紀に求められる医師像ということで、ファイブ・スター・ドクターつまり「五つ星医」というのが提起されていまして、これが私たちの最終的な医師像だ、というふうに設定しています。
 一つ目は、家庭や地域の文脈の中で、患者中心の医療が実施でき、予防医療、ヘルス・プロモーション、患者教育、週末期医療を科学的根拠に基づいて高い水準で行うことができる。そのために、生涯教育を自己決定的に実施できるという、これをヘルス・ケア・プロバイダーというふうに言って、一つ目の星(スター)にしています。  
 次に、患者ケアや施設やチームの運営において、倫理的に妥当で、かつ費用対効果を勘案して意思決定ができるという、この部分がディシジョン・メーカーという星とされます。
 それから、3番目が、患者と効果的なコミュニケーションを行うことができ、長期にわたる信頼関係を構築できる。また、医療チームメンバー、さらには地域住民とのコミュニケーションに優れ、エンパワーメントすることができる。私たちは地域医療期間で、診療所とか小病院でやっていますので、こういうことがすごく重要なのですけれども、これをコミュニケーターという星になっています。  
 それから、地域からの信頼を勝ち得ており、地域における優先度の高い健康問題を同定し取り組むことができる。個別ケアと地域ケアのギャップを橋渡しできる。日本の場合、診療所をやっていますと、診療所でやっている個別ケアの部分と、それから保健センターとか行政がやっているパブリックヘルスの部分の乖離が物すごく大きくて、その真ん中の領域というのは非常に抜けているのです。小集団の健康問題とか、そういったことに関しては、すごく日本では抜けている部分だと思っていて、そのあたりはやっぱり日本では家庭医がやる仕事だろうと思っていますが、これをWHOではコミュニティリーダーという星として設定しています。
 5つ目の星は、患者や地域のニーズにあわせて、施設内外の医療・保健チームの中で協調的に必要な役割を果たすことができる。これは、マネージャーと呼ばれます。
 そして、プログラム開発を行うということは、この五つの最終的なlearning outcomesにどう到達するかということをどう評価するかということになるわけです。


 私がきょう、お話しするプログラムの評価というのは、研修医のミクロレベルの評価が中心です。例えばこういう評価システムをつくりましたが、実際に本当にそれは正しいのかとか、信頼性とか妥当性はどうなのかという話になります。そのあたりを教育学的観点からお話ししたいと思います。  
 一つは、こういうアセスメントの話を考えるときに非常に有用な図がありまして、これはミラーという人が、1990年に出した論文の中に使っている図で、コンピテンスというのは、この四つの段階で考えなければいけないといっています。一つは、「Knows」、そのことは知っていますということです。知識として知っている。「Knows how」というのは、これはその知識を一応、応用問題として生かすことができる。例えば国試で言うと臨床問題みたいなものにその知識を使うことができるということです。patient management problemとか、そういうふうに言われているような試験でよく使われます。「Shows how」というのは、その知識を実際に実施できる。公表としてできる、示せるということです。ただし、ある限定した場面です。そして、「Does」というのは、これは実際に診療の現場でやれるということです。実際に働いている場所でやれるという、この四つのレベルに分けて考えろといっています。
 「authenticity」というのは、真正性といって、教育学的に非常に妥当性が高いという意味なのですけれども、真正性は、私達の文脈でいうとより現場妥当性が高いってことだと思いますが、できるだけ現場でのカリキュラム開発の方向に持っていった方がいいというふうに言われています。  
 実際に評価法は、世界的にはもうずっと40年近くかけて徐々に形成されてきているのですけれども、Knowsについては、例えばマルチプルチョイスとか、多種選択問題とかで評価します。それは知っているかどうかを評価しているのです。Knows howというのは、やっぱりマルチプルチョイスで評価できるようになってきました。例えば今の医師国家試験というのは、マルチプルチョイスだけれども、Knows howの部分を評価することはできます。Shows howの部分は、最近非常に注目されていますけれども、OSCEという、ここでは詳しく言いませんけれども、先ほど写真に出たハーデン教授が開発したのですが、これが開発されたのが1975年ですから、もう30年たっているのです。
 では、Doesの部分、ではこの部分をどうするのかという、実際にやっているところをどう評価するか。例えばエスタブリッシュされた医者を評価できるのかという。例えば10年目の医者の評価は、どういうふうにするのだという問題というのは、実はつい最近まで余り発達しなくて、2000年前後ぐらいからかなりいろんなペーパーが出てきているという、非常に新しい領域です。日本はやっとOSCEが出てきて、このShows howの部分を評価するようになりましたが、それが実際に卒前なんかで、かなり導入されているわけです。
 Doesの部分では、実地臨床を評価する方法はまだ研究途上です。これをやれば一発でわかりますよというのは、まだ開発されていないということになっているらしいです。最近いろいろ言われているのは、mini clinical examination、後で紹介しますが、それからポートフォリオという、このふたつがパフォーマンス評価のところでいいのではないかというふうに言われているようです。
 mini clinical examinationというのは、米国内科専門医認定機構というところの依頼を受けて、ノルチーニという教育学者の方が開発をしました。とにかくレジデントの患者の診療を短時間で観察する。約10分から20分。ある評価表に沿って評価する。そして、一般能力の評価をレーティングスケールで評価する。例えばこういう実地パフォーマンス評価のとき一番問題になるのは、たまたまレジデントが相性のいい患者と合ったからすごくよい点数がついたのではないかという、まあ症例特異性というのですけれども、そういったことが物すごく問題になるので、できるだけたくさんいろいろの人が、いろいろの場面で評価した方が、信頼性が上がるということになっています。ですから、これはすごく短い時間でできて、割と手軽にできるし、4回以上やるとかなり信頼性が向上するという結果が出ているようです。実際の項目は、資料に載せましたけれども、例えば医療面接、メディカル・インタビュースキルはちゃんとできていますかというのを評価します。それから、身体診察。人間性とかプロフェッショナリズム、臨床判断、いろいろ書いてあります。実際の用紙はこういう用紙でありまして、何枚かつづりになっていまして、例えばここにメディカルインタビュー、1から9までグレーディングします。それはどれかというふうに、見た人が丸をするわけです。そんなのでわかるのかと思われるかもしれませんが、実はメディカルインタビューの構成要素を例えば100項目ぐらい挙げて、全部逐一こうやってチェックしたのと、実際にメディカルインタビューは、全体としてどうでしたという評価と、実際よく相関すると言われているのです。だから、余り細かくやらなくても、その点について経験のある人が見れば、かなり信頼度の高い評価が可能だという研究が出ています。評価したら、その場でめくって、それを研修医に渡して、君の評価、今こうだというふうにしていた。「どうして僕はここ6なのですか」と言われたら、そこについてディスカッションして、即フィードバックをするという形でやっていく。これが今いろんな領域で、特にアメリカではやっているようです。


 もう一つ、実はきょう、私が一番お話したいところでもあるのですが、先ほどの、ただミラーの三角形というのは、いわゆる診断治療領域の知識、技能、態度というようなもの中心にしているのですけれども、実はこれからの医者というのはそれだけではだめで、学び方を知っているとか、自己洞察、リーダーシップ、チーム運営、メタ認知、表現力とかreflection(振り返る力)だとか、こういったことをきちっとできるということがすごく求められていると言われていて、この三角形のところにメタスキルという形で当てはめて、これも同時にやらなければいけないのだと。先ほど○○先生でしたか、おっしゃっていたようなことというのは、実はこの領域に当てはまるというふうに考えられると思うのです。


 医師という一つのプロフェッショナルに必要な要件、つまり言い換えればプロフェッショナリズムの実質的な内容というのは、これはマーストリヒト大学のスライドを日本語にしたのですけれども、三つの領域があるようです。一つは、「仕事をうまくやっていける」部分に関するものです。ちゃんと効率的にマネジメントしたり、生涯学習ができたり、自分の限界も知っているというのが一つの領域。それから、2つ目の領域は「ほかの人とうまくやっていく」ということについてです。たとえばチームのメンバーの役割を果たせる。ほかのメンバーに責任がとれる。あるいはdysfunction colleaguesというのですけれども、問題のある同僚にきちっと物が言えるのが実はプロフェッショナリズムだと。それから、3つ目は「自分自身に対してうまくやっていく」ということで、自分の行動を批判的に見直したり、あるいは他からのフィードバックに対してオープンである。何でも言ってくれと。あるいは、みんなで自分たちの診療の内容とかをチェックしようと。そういうような態度を持つということがプロフェッショナリズムだと。このところをきちっと見るために、振り返りということが今盛んに言われていて、看護領域ではものすごく盛んにやられています。チューターをつけて、毎日振り返りしていますよね。それを私は医学教育、卒後研修に応用したのです。


 今までの日本の卒後研修の中心的な教育ストラテジーは、とにかくたくさん患者を診て、たくさんいろいろなケースに出会うことしかなかったと言われていたのですけれども、実はこの間、来日したボルダージュ先生という、イリノ大学の医学教育学の先生のお話などをおききすると、それは実証されているわけではないようです。本当にたくさん診れば、いい医者ができるのかというのは、まだだれもわからないのです。ただ、現時点で実証されているのは、確かに鑑別診断能力というか、その場のclinical reasoning skillというのは、たくさん診た方が明らかに育つというふうに言われています。でも本当にそれで全体としていい医者になるかどうかわからない。そういう教育研究の成果を勘案して、この振り返りという方法を使って、先ほどのプロフェッショナリズムという部分をやろうというのが、私が考える卒後研修のストラテジーです。当然そのためには、たくさん診る部分は以前より減らしました。


 まず、振返りというのは、自己評価が基本です。自己評価というのは、自分のいいところ、悪いところ、あるいは強いところ、弱いところをきちっと認識するということです。これは、研修当初は毎日やります。1日のあったことをみんなで振り返ります。あと、こうした自己評価は同僚とやった方がいいというのが、私らの今までの結論です。先走って言うと、それをまとめるとポートフォリオになるのです。経験をまず記録する。そして、学びを振り返り、特にその学びが教育目標のどこに位置づけられるかということをやることが重要です。そういう視点で振り返る。できたこと、できなかったこと、課題は何かということを認識し、そして評価者による読み込みを行って、評価者とディスカッションする。
 私たちの経験では、とにかく手探りでやったのですけれども、ケースログ、ケースを全部記録させて、学んだことを列挙する。症例とか疾患の一覧ではなくて、何をその経験から学んだかということを教育目標に照らし合わせて全部整理させるということ。それから、あとは心に残った症例をきちっと分析するということを重視しています。これはsignificant event analysisという方法です。そんなことをやっています。
 これはある研修医の一年目のポートフォリオです。彼女はsignificant event analysisでチーム医療に関する振り返りを詳しく書いています。彼女本人は在宅を希望し、娘さんは施設を希望したというケースから学んだといいます。「娘は患者が家に帰ってきて面倒見る気は全くない。娘は施設に入れて、現在患者が住んでいる都営住宅に移り住んで、自分が今住んでいるマンションを売ってお金をつくりたいというふうに考えている」、それでいろんなカンファレンスをやったと。何度も繰り返して、一応ゆくゆくは施設になるかもしれないが、とりあえずは在宅でという形で、ご本人、娘さん、両者それぞれそれなりに満足いく方針になったと。これが経験の中で彼女がどういうふうにreflectionしたかというと、初めていろんな他職種のカンファレンスを経験して、チーム医療を実感したと言っています。在宅設定という一つの目標に対して、それぞれの職種でそれぞれの専門性から異なった視点で患者さんを見ているため、持っている情報もさまざまだし、意見も異なる。それらの意見を引き出し、有効に生かしていくのはチーム医療、医師の役割なのだなと自分なりに学んだという、私はこれは非常にいい学びだと思うのです。またチーム医療になると、医師は意思決定者。先ほど、五つ星医の中にデシジョンメーカーというのがありましたけれども、それをここで位置づけているのですけれども、デシジョンメーカーとして大きな責任と役割を持っていて、それを果たすためにはキュア、つまり医者の役割ではなくて、ケア、つまりほかの職種たちのケアの部分の知識もやっぱり必要で、それがないとやっぱりチーム医療ができないという振り返りをやっているのです。まあ、こんな感じでやっています。


 まとめです。とにかく、新しい卒後臨床研修制度においては、評価がキーポイントになる。そして、パフォーマンス評価法は、ごく最近開発されたばかりで、いろいろ手探りですから、ぜひここにいらっしゃる皆さん、関心のある方と一緒に開発などをしていきたいと思います。今のところ、mini clinical examinationとポートフォリオが有力だと考えていますので、一応この二つに僕らも少しトライしていきたいと思っています。

 

Onlooking

お節介な家庭医療がめざすこと

 25歳の男性が、咽喉が痛く、37.5度の熱があるとのことで、ある日診療所を訪れました。所見からウイルス性の咽頭炎つまりは、「カゼ」という診断をしました。ここで、薬を処方し、診察を終了するというのが、まあ普通の診療ですし、それ自体は正しい診療です。しかし、家庭医療学の観点から見た場合は、さらにいろいろ考える必要があります。

 

 処方箋を書きながら「他にかぜ引いている人います?あ,何人暮らしですか?」みたいな感じで、家族構成を聞きます。すると、23歳の妻と6ヶ月の息子の3人暮らしであることがわかりました。この時期の家族が直面する課題は子育てといっていいでしょう。「子育て大変ですか?」「奥さんの手伝いをしてます?笑」とさりげなくたずねると、もしかしたら育児に関する困難があることがわかるかもしれません。場合によっては、家庭医として、彼の妻の相談にのれること(産後うつ、妊娠中に指摘され放置されている高血圧や蛋白尿など)があるかもしれません。

 

 さらにこの患者さんは喫煙者でした。子育ての時期に禁煙を勧めるのは意味がありますし、禁煙のチャンスになるかもしれません。また、子供がよくカゼをひくというような情報があれば、禁煙のモチベーションの強化ができるかもしれません。

 

 はじめての患者さんだったら、さりげなく、血圧も測ります。カゼをきっかけに若年性項血圧が発見されることも、実はよくあります。また、職場の健診でなにかいわれていないか聞いてみると、肥満と脂肪肝が指摘されているが、放置しているのかもしれません。最後に「何か他に気になっていることある?なんでもいいですよ」と質問することなども有効で、意外な相談(勃起不全とか、爪白癬とか)をされることがあります。

 

 こうしたアプローチは、病院の専門外来などにおけるそれのような、従来の診療の枠組みをあきらかに超えているのかもしれません。カゼのような単純な医学的問題でも、家族に関心を寄せる、あらゆる機会を通じて予防医療を行う、ライフサイクルにそった支援の可能性をさぐるというような、家庭医療の原則にそってアプローチすることが可能です。

 これらのような、ある種のお節介を、お節介と感じさせないようなコミュニケーション・スキルも必要です。

 

 そして、家庭医は、何かあったらまたこの医者に相談しようと思ってもらう診療を心がけるのです。そのためには、年齢、性別、健康問題の種類によらない、非選択的な診療の能力をつける必要があり、そうした力を身につけるための研修が、本来の総合診療や家庭医療の専門研修プログラムが目指すところなのです。

f:id:fujinumayasuki:20190310084535j:image

なぜ省察的実践家としての家庭医なのか?

 地域のかかりつけ医としての家庭医はどのようにして育つのか?これは私自身がどの様に自らを成長させていくかということでもあり、また若い家庭医をどう教育し、育てればいいのかということにもつながります。

 家庭医の仕事の特徴は何でしょうか?たとえば、ある医師が自分に出来ることの一覧を提示し、それに合う患者さんを診ることが、診療だとすれば(Selectiveな診療)、その医師は自分が診るであろう問題に対処するための準備をあらかじめしておくことが可能です。しかし、家庭医が真に地域で機能するためには、非選択的診療(Non-selectiveな診療)すなわち「よろづ相談」を行う必要があります。このよろづ相談というのは、あらかじめ準備しておくことが難しいのです。しかも、「それは自分の専門ではない」ということで、入り口で断ることをしないのが原則です。また、そもそも問題が生物医学的な視点だけでは対応できないこともおおく、心理、家族、地域、社会などの問題が複雑に絡み合っていたりしますし、診断をつけること自体が不適切な場合もあります。そして、意思決定や問題解決の際には、科学的な根拠(エビデンス)だけでなく、患者さんの考え、医師の価値観、メディアやコスト、医師患者関係の文脈などが相互に影響しあいます。

 こうした現実世界の問題解決が出来るプロフェッショナルのことを、教育学の領域では「省察的実践家」と呼びます。この「省察的実践家」は、日々の仕事の中で感じる、驚きや引っ掛かり、また失敗を、きちんと事後的に振り返ることで育ちます。家庭医を目指している若手医師には、日々の医療実践や患者さんとの出会いの中で感じる様々な気づきを流すことなく記録するように指導しています。これは医学的なものを超えて、患者さんの生活、チーム医療、社会的な問題など、様々な領域に及びます。それを、定期的に集団やチームで振り返ることで彼らは多くを学んでいます。これは家庭医の生涯にわたる学び方そのものでもあるのです。

f:id:fujinumayasuki:20190309084746j:image