家庭医的問題リストとはなにか?

 外来診療の場面でのカルテ上の問題リストですが、たとえば80歳女性の患者さんを想定すると、よくみるタイプというか、大多数が以下のような書き方になります・・・

 

問題リスト(一般的なもの)

間質性肺炎

#高血圧症

#2型糖尿病

認知症の疑い

脳梗塞後遺症・左不全片麻痺

既往歴

5年前 右脳梗塞

12年前 胃がんで胃切除

背景

#50歳の息子さんと二人暮らし

#要介護1

 

 これを家庭医的に書き直すと・・・

問題リスト(家庭医的なもの)

1.80/50世帯

2.Frail Elderly

Stroke survivor、要介護1、入浴はデイサービスを利用

3.安定した間質性肺炎

4.2型DM、高血圧症

コントロール目標はHbA1c8%前後

5.Cancer survivor

6.Personal health resourceは東京ロマンチカ

 

 この家庭医的問題リスト作成のポイントは、重要度ランクあるいは優先順位を表現することで、そのために順位(ナンバリング)をつけること。そして、BioPsychoSocialな様々な問題点を「等価値」なものとして評価することです。つまり、安定した間質性肺炎と80/50世帯の、どちらが優先度が高いかということを「あえて」考えることが家庭医としては大切なのです。よくきく「まず、Bioの問題は◯◯、Psychoの問題は◯◯で・・・」といった言説はある意味で「内科医的」であって、家庭医的ではないのです。

 家庭医療のトレーニング、特に診療所や在宅医療の場では、患者の問題リストの立て方の脱構築を、私は重視しています。病院病棟医療に必要な問題リストの立て方はプライマリ・ケアにおいてはそれほど有効ではないと考えています。

vacant house

診療中こんなことを考えています

 50年以上CP(脳性麻痺)の娘さんを介護していた80歳の女性を診ました。最近娘さんは施設に入所したのですが、娘さんがいなくなって、はじめて介護自体が自分を生かしてきたのだということに気づいて、「これからいったい何をしたらいいかわかなくなってしまった」とのことでした。家族をはじめ周りからは「時間ができたのだから、いろいろ楽しいこと、なにかあたらしいことをしなさい」といわれるが、出来ない自分がつらいとのことでした。

 ここで私は米国の家庭医Robert Taylor先生のRetirement(定年や退職)で悲しげな表情を浮かべている患者さんに対するアドバイスのあり方に関する記述を思い出す。家庭医療学のテキストブックの記述です。長く続けた仕事からリタイアすると、つい温暖な地域に転居しようとか、あたらしい突飛なことをしようとするが、それは家庭医としては止めなければならない。転居や突飛なことをやることによって、これまで自分にとってきづかなくても重要だった所属コミュニティや人との関係をたちきってしまうことの危険性を指摘しなければならないってことが家庭医療のテキストには書いてあります。シンボリックには「じっとそこに座っていなさい」ということばをかけなければならないということです。

 私はそれを思い出し「新しいことはしなくていいですよ。ただ、毎日淡々と普通にいつものことをくりかえしやればいいんですよ」とその患者さんにおはなししたところ、「そういうふうにいってくれるひとははじめてです。それでいいんですよね、安心しました。ありがとうございます」と安堵の表情をうかべていました。あたらしい生活ルーチンやリズムは坦々とした日々の生活から派生してうまれてくるはず。ちなみに医学的問題は高血圧症のみです。Havi CarelやJoanne Reeveの患者主体(Self)の研究、特に日常ルーチンの重要性に関する研究も理論的にこうした診療を下支えしていると思います。

Fuyo flower

あと10年現役指導医を続けたいと思います

9月もすでに第3週となりました。10月から本気だそうと思います笑


 昨年4月から私の主戦場の診療所で連続18ヶ月ローテーション研修していた家庭医療専攻医(CFMDとは別のプログラムの方で、女性です)がいよいよ来週でローテ研修修了で、次のローテに移動します。すっかり診療所に馴染んでいて、もはやスタッフのように、スタッフに頼りにされて働いています。私がダイレクトで1年半連続でずっとマンツーマンでTrainer-Traineeの関係を間断なく続けたのはのは彼女が初めてですし、長い指導医生活のなかでもフィードバックやディスカッションの時間に関しては一番ながく共有したTraineeでした。おそらく、私の現時点での指導に関する持ちネタはほぼすべて彼女に提供したと思います。フィードバックの内容をかなり熱心に記録していたので、彼女のEvernoteにはおそらく私の遺稿集(笑)がつくれるくらいのさまざまなコメントが溜まっているはずです。

 さらに、この1年半の中で、自分の指導医としての力量の伸びしろも実はまだまだあるな!、という気づきを得たことは自分のこれからの人生を考える上では、かなり大きいことです。だから、今後診療自体はどのくらいのボリュームやるかは別にして、今後あと10年は家庭医療の指導医、GP Trainerの仕事は続けようと思っています。つまり、現在3年生以上の医学生さんが家庭医呂う専門研修を修了するくらいまでは現役指導医でいるってのを目標にしたいと思っています。Retireして陶芸やったり、暇を淡々と味わうというスタイルは私にはあわないようです。

 

big pumpkin

将来のプライマリ・ケア・プロバイダー

 今後の日本に必要な真のプライマリ・ケア・プロバイダー(つまり非選択的外来診療、在宅診療、感染症外来診療の3つをやれるところ)はグループプラクティス=総合診療所、と、強力な家庭医機能をビルトインした中規模病院の2つになると予想しています。「総合診療所」はわたくしの造語で、総合病院という言葉に対比させる意味で使っています。

 特にこの中規模病院が強力な家庭医療機能をビルトインするために必要なことは、大体以下のことだと個人的には考えています
1.病院トップ集団が未来戦略として採用する気概がある
2.家庭医療のチャンピオン(ほぼずべてのスタッフが信頼しているDrとNs)がいる
3.病棟医療と2次救急をやらないかわりに、毎日午前午後に各2単位の外来診療枠を運営し、ボリュームの多い在宅医療(100件以上)を担う
4.複雑困難事例、多疾患併存、下降期慢性疾患、未文化健康問題、小児期発症疾患成人移行例の外来診療を担当する
5.発熱外来を担当する
6.最初からジェネラリスト医師4名、高度実践看護師2名、専任クラーク1名でスタートする
7.最初からレジデンシープログラムを設置する
8.最初から小規模のリサーチプロジェクトをたちあげる


Memories

モデルコアカリキュラムを巡る対話

 先日医学部卒前教育のモデル・コアカリキュラムをめぐってのインビューを受けました。その書き起こしの公開許可を得たので、多少の編集をしてブログエントリーといたします。

 ただ、かなりラフな対話になっておりますので、言葉足らずのところや意味がとりにくいところがありますが、ライヴ感を重視して、あまり手をいれずに公開してみます。

 

現在の世の中の状況について

H(インタビュアー) すでに、モデル・コア案っていうのを見てもらったと思います。それはかなり以前とは変わったものになっていると感じられたと思います。それで、今の社会の変化っていうのも、先生ずっと感じられてるんじゃないかなと思うんですけども。その中で先生が見てる景色っていうか、そういうところってどんなふうに見えてますか?

F(わたくし) やっぱ今のパンデミックって、僕、いわば第3次世界大戦みたいだなと思っていて。第1次、第2次ってだいたい4年ぐらい続いてたんですけど、これもまた、おそらく4年ぐらい続くのかなと思っていて。相当、価値観が転換するだろうと思ってます、いろんな。おそらく元に戻るということはない。要するになんか、例えば人が集まってたら、もうやばいものを見たみたいな感じになると思うんですね。集団で居るとかって。例えば、簡単にいうとそういうことだし。今まで普通だと思ってたこと、人が集まってなんかやるみたいなことが、これ、ほんとに必要なんか?という話になったりとかするし。身近でいうと、そういう感じですよね。
 例えば、Disney+とかが最近『ブラック・ウィドウ』とか、あとなんだっけ『ジャングル・クルーズ』とか、ああいうのを全部配信と映画館と同時で進めてるじゃないですか。だから、ディズニーはもう映画館やめたってことなんだよ、あれね。従来型の映画が主たる問題じゃないんだという、完璧かじを切ってしまっているんだけど。そういうのは、おそらく元には戻らないというのが1つ。だから、相当な価値変化というか、文化の変化も来るだろうなというのがありますね。
 あと、日本ってことで限っていうと、これは僕、はっきりいうと、医者の貴族主義が終わる。貴族としての医者が終わるんだというふうに僕は見ています。何か、社会における医師というのを政治的に体現しているものとしては、国の重要な委員会の委員になる日医幹部とかが代表的だとおもうんだけど、そういうのが、あくまで比喩としてですが、全部破壊されるという、転倒されるという現象が、僕は実は起きてると思っていて。
 その人たちは「医療者に感謝を」とかいってるけど、そういう言説は医者の貴族的な側面を表してるわけなんだけど、実際には医者の「脱神話化」が進行していると感じます。Lone physicianといって、医者というのが最後の責任を担い、ほかの職種っていうのは、もともと医者が持ってた職能をほかにシェアしたものだっていう。一応、取りあえず一時的に委託してるものだって考えてるわけだよ、昔の医者って。あくまで孤高なわけ。孤高なんです、医者は。孤高の存在だったわけだよね。Lone physicianという。おそらく、それはもう成り立たなくなるっていうことだと思っている。
 米国の家庭医の先生、いってんだけど、僕はそれ、全面的賛成してるんだが、コラボレーティブ・オルタナティブといって「協働的なオルタナ医師」というふうにいってますが、チームの中で相対的に医学的知識の豊富な一専門職という。そういう存在になることです。だから、何か特権的な存在じゃなくなると思う、僕。
 ただ、一部にすごいハイテクノロジーとか、企業と結び付いて、めちゃくちゃ豪勢にやる人も居るとは思うんだが、そんな医者は少数になると思う。それほどたくさん必要ないということになっていると思う。僕は、やっぱりなんか医師像の根本的な変化が必要で、全体に例えば地域包括ケアの世界とかで、医師誘発性困難事例っていって、医者が困難事例を生んでる例をごまんと見てきてるわけね。そういう地域の人にめちゃくちゃ迷惑掛ける存在、迷惑なやつってことになってんだよ。なんかアポロガイストみたいな。ほんとに、マジでそうですよ。そういう例かなり見たんだよね。この医者だから困難事例になってんだろうみたいな。そんなのたくさん居たんですけど。そういう点で、なんかみんなに好かれる医者になることがすごく重要だと思う。ほかの職種に、好かれることが重要。尊敬じゃないんだよ。好かれることが重要だと思ってるわけ。

H 先生がいってるコラボレーティブ・オルタナティブという、それがまず1つの将来の医師の役割ですかね。

F 特に日本ではね。日本ではそうだと思います。

 

プライマリ・ケアを誰が担うのか

H それって具体的にどういうことなのかってことを少し聞かせてもらってもいいですか。

F さっきいった、シンプルにいうと、チームがプライマリ・ケアを担当するというイメージです。だから、まずはチームがあって、それが例えばかかりつけの担当グループがいるわけ。

H それは、地域にあるというイメージでいいですか。

F 地域にあるというイメージですね。その中に医師という専門職が居て、彼や彼女はチームの中のメンバーとして役割を果たしているというイメージです。

H そうすると、診療所単位でって見るわけでもないですよね。

F そうじゃないです。僕は、やっぱり将来的に間違いなくレジストレーションは視野に入れた方がいいと思ってます。それなしの先進国はあり得ないし、低経済成長と人口減の中で、おそらく今みたいなマーケティング的なそういうものはもうやってる余裕はない。お金持ちがやる場合はありますけど、おそらくそんな余裕はないと思いますね。だから、それを前提に考えてます。基本レジストレーションシステムで、プライマリ・ケア・ドリブンのヘルスケアシステムになるということが、僕は日本が生き残る唯一の道だと思ってます、ヘルスケアシステムでは。
 だけど今、フオイパンとかでコロナ予防外来ってやってたり、白玉点滴を安くしますよっていう医師はいなくなってほしい。いいかげんにしろ、おまえらみたいな。でも、ニーズはあるんだよ、それ。だけど、ニーズはあるから、それに応えていいのかよって話に。ニーズ万歳ではないんだよね。なんでもニーズに応えますよってことじゃないと思ってます。

H 先生が今、レジストレーションとおっしゃってた、そのレジストレーションのイメージって、イギリスのNHSのGPのイメージに近いですか。

F かかりつけ医というより、かかりつけチームですね。だから、ヘルスケアの入り口としてチームが存在してる。だから、僕はどっちかというとメディカルホームに近い考え方です。Patient-Centered Medical Home。そこ、医療におけるわが家みたいなやつを地域の住民が持ってるっていうことです。それをまずちゃんとやるという。それは、全部医者で構成する必要はまったくないというふうに考え、むしろ医者じゃない担当の領域がすごく多いと思ってます。

H そうすると先生がイメージするのって、地域にはグループで開業してるというイメージですか。それとも、今の日本のようにいろんな診療所がある中で、いろんなスタッフが居る中で、その中でうまく、この患者さんにはいろんな診療所のいろんなメンバーがかかわってるというイメージですか。

F 未来の話だからなんだけど、もういわゆるソロプラクティスの開業というのは極めて限定した役割しかなくなるんですよ。だから、なんかライフスタイルを変えたいとか、なんか大幅に事業拡大していこうみたいな人はおそらく普通に開業しないと思います。もうそんな時代ではない。開業してアルバイトしてる人、たくさん居ますからね。昔は、病院の部長が終わって、そろそろライフスタイル変えるみたいな感じで、55ぐらいで開業したりして、収入が2倍ぐらいになってみたいな、そういうイメージが昭和はあったんです。でも、平成でほぼ全部崩れたからね、それ。この30年で。
 だから、むしろさっきいった機能果たすのは、僕は病院とかだと思う。病院とか、でかい医療法人とか、あるいは公立、例えば区立診療所とかね。そういうのが僕は必要だと思ってます。それはなんでかといったら、マンパワーがいるから。そういう人たちを雇用する新しい事業を立ち上げるというのはちょっと無理なんですよね。だから、むしろ今のリソースを再編成する形でやるしかないと思っているんですね。機能分化が必要だと思います。

H そうすると、そういうデザインというか、設計がたぶんすごい大事になってきますか。

F そうですね。それが、だからおそらく、さっきいった日医的価値観の崩壊というのが1つあるんだけど。それに基づいてほんとにフラットに議論できるってことと、ヘルスケアシステム自体をどういうふうに設計したらよいかがみえていること。救急と感染症学の医者を増やすみたいなレベルでヘルスケアシステムを考えるみたいな浅はかな脊髄反射ポピュリズムで考えるのではなく、複雑な存在は複雑に考えなきゃ、考えられるはずはないんです。そういう人をちゃんと政策筋に送り込まないとだめだね、優秀な。ヘルスポリシーの人、必要だと思うよ、僕。医者でちゃんと養成しないとだめだと思う。政治家じゃなくて。
 医者のキャリアって、だからなんか臨床医を育てるというのはほんとにいいのかっていうのは、僕はずっと考えていてですね。○○大学で講義した後に、かなり意識の高い12~13人の医学生と話したときにものすごい僕は衝撃というか、それはそうだろうなと思った。そのZ世代と話して思ったのは、今の医者の先生たちがやってる仕事に比べると、医学部がハイスペック過ぎませんかというわけだ。つまり、今やってる仕事にほんとに全部これ必要なんですかという話になるわけ。そうすると、彼らはそれを逆転していて、これだけ広く勉強してんだからもっと社会貢献できるだろうといってるわけだね。つまり、医者になるってことじゃなくて、医者になってやる仕事って医学教育で受けた中のほんの一部しか使ってないから、それを全部学んだものとしてもっと別のこともできるんじゃないかといってるわけね。それで社会貢献したい。僕、これ、すごい面白いと思う。だから、例えば今、看護学部が必ずしも看護師になるための学校じゃないって宣言してるでしょう。
だから、ほんとに医学部って臨床医を育てるためのとこなんですかという考えがあっていいと思う。僕は、ソーシャルアントレプレナーの講義があってもいいと思うし、それこそ卒業して起業する人も居ていいと思いますよ。まあ、実際今、居るけどね。でも、そういうポートフォリオドクターというか、おそらくそれがないと逆に今の定員のままでいったら当然どうなるか、だって2050年代とか、同世代の100人中1人が医学生だよ。同世代の100人中1人ですよ。全然レアな存在じゃなくなるわけでしょう。

H そうですね。

 

気候変動とヘルスケア

F 医師の貴族主義が壊れるとはどういうことかといったら、医療問題の解決はまず医者の問題であるというふうに考えるのが医者の貴族主義的なとこなんですよ。医者をたくさん入れることによって、なんかヘルスケアシステムとか、国民の健康問題とかをいじれるんじゃないかと思ってるのは貴族主義なわけ。それが僕は、おそらく崩壊すると思ってるから。そんなに医者たくさんいらなくなるんじゃないかと思ってるんですよ。
さらにいうと、プライマリ・ケア・ドリブンのヘルスケアシステムに再構成するってことは、実はエコ的にも重要なんだよね。僕、ちょっと記事で書いたけど、例えば日本のヘルスケアって、カーボンフットプリントでいうと、だいたい炭酸ガス排出の5%ぐらいに寄与してんだよね。結構な量なんですよ。実は気候変動と無縁じゃないんだよね。そういう場合に、エコってなんだっていう。エコな医療システムってなんだって考えなきゃいけないと思うんです。そんなに移動しなくて済むとか、あるいは高度機械をがんがん使うとか、入院。入院って、外来に比べて8倍の炭酸ガス出すからね。これ、計算されてんです。だから、なるだけ入院しないで済むようにするとか。そもそも病院に行かなくて済む。例えば、近くにちょっと相談する人が居るとかさ。そういうので車で移動する必要なくなるわけ。それを考えないと、僕、絶対だめだと思う。
 気候問題。これ、しゃべる人、ほとんど居ない、医者で。なぜだって感じだよね、僕からいうと。なぜ、気候変動問題と自分らは無縁だと思ってるのかというのが、すごい僕はね。だって、白内障の眼内レンズ1つ変えるのだけで、確か320キロぐらいの炭酸ガス出すんだよ。カーボンフットプリント換算で。そういう話があるから、やっぱりなんかそういうエコロジーとか、地球環境と、あと人口減を考える医師がいないとね。やっぱり日本の国土環境は非常によい状態で維持するには、だいたい5,500万人がベストだときいています。

H 半分ですね。

F 半分。5,500万人ぐらいになると、非常に地球環境にやさしい国になるというふうに。そういう国が必要っていうわけだよね。国っていうか、国造りとか。

H そこに向かってる感じはしますけどね。

F そうそう。だから、人口減は地球の正義だっていうふうに。人が多すぎるだろうというのは基本あるんです。だから、そういう点では脱成長とか、そういうこともやっぱり絶対視野に入れなきゃいけなくて。そういうことから来る医師像なんですよね。ヘルスケアシステムからどういう医師像が必要かということを考えていくのが必要です。

H そういう発想ってたぶん線形ではなくて、いろんなものを複数考えながらやっていくってことがすごい大事になってくると思うんですけど。それって医学教育では、どんなふうに方略で、どう教えるかとか、誰がどんなふうにというのはやっぱり課題になってくると思うんですけど。先生、どんなふうに考えています?

F だから1つは、年数を減らす。

H なんの年数ですか?

F 年数を減らすというか、つまり6年制はやめるっていう。
H 医学部6年制をやめる。面白い。そのココロは?

F か、6年制で初期研修をなくす。

H プラス2年をなくす。

F 要するに、炭酸ガス出すんですよ、6年も医学部に居ると。

H 大学にいること自体がということですね。

F そう。だから、やっぱり臨床医教育はするけど、その後のオプションをちゃんとたくさん用意すればいいと思うんですね。例えば、社会起業家コースとか、あと政治家コースとかさ。そのくらいの感じで、だからなんていうの、臨床教育で4年間やるけど、その間に応用も。だから、そういう生涯教育じゃないけど、ずっと成長していけるスキルを最低限コアで身に付けておいて、その知識を持って社会に貢献しなさいっていうことですね。だから、そんなにたくさん教えなくていいんじゃねってことだよね。だいたいこれ教えろとかっていうのは、自分のちっちゃい城を守るための大学の医局の要求の固まりでしょう。だから、うちの科はどうなるんだとか、どうでもいいんだよ。地球がまずいんだから。下手すると、ほんとに。ちょっとマジ、考えてよ、それって感じですね。

H そうなんですよね。その医療だけじゃない、社会の全体像ってあるじゃないですか。今の先生の話もそうなんですけど、やっぱり多くの大学の部門では自分の所しか見えてない。自分の所さえよければいいみたいなところを医学生はずっと臨床実習のローテーションで回っていくわけですよね。

F だから、徳の高い人を教授にすればいいんですよ。医者の幸せな人生とかが狭すぎんだよね、イメージが。ハッピーってなんだよって聞きたくなるよね。あなた教授やってるけど、ハッピーってなんですかみたいに。今度、なんか年末にプロフェッサーの有志にあつまってもらって、ワークショップやるんだけどさ。結構申し込み多いです。

H それは、もうすでに教授の人ですか。

F そうです。プロフェッサー限定。オブザーバーでそれ以外の人も参加するけど。だから、仲良く励まそうという感じです。だから、なんか大学の中じゃなくて、教授って横のつながりって意外にないでしょう。

H まあ、一応教授会みたいなのがありますけどね。

 

Well-beingな組織

F 最近、矢野和男さんの不確実性の時代に生きるためにというような本を読んだんだけど。あれ、すごい面白い。ハッピーな組織って、会議中に体が揺れるらしいんですよ。いつもこうやって動いてるって。これはバイオセンサーでちゃんと測定して、それを集めてデータ解析してんですけど。じーっとしてこうやって会議中動きが少ない所は、だいたいハッピー度が低いそうです。あと、5分から10分の立ち話が多いっていう組織。これ、すごい重要なんで。それは全部バイオセンサーでちゃんと計測されてるんです。短時間の雑談と立ち話が発生している組織。これが非常にウェルビーイングな組織らしいです。

H 組織をそういう視点で見るのも面白いですね。一方で、先ほど徳の高い人が教授に就けばいいっていう話があったんですけど、もう少し詳しく教えてくれますか。

F 基本的にやっぱりなんか未来志向っていうか。例えば今、日本で臨床医っていうのは基本的に過去に投資してるでしょう。つまり、対象が高齢者が圧倒的に多い。むろんいうまでもなくこれは、大事なんです。高齢社会っていうのはある意味文明史の勝利だっていうことは大前提としていて、これはこれで大事なんだけど、未来に投資ってあるわけだね。だから医学の世界でも、なんか未来型の投資ってあるわけじゃない。未来型の仕事をする人が居ていいんだけど、みんなケアだとか、プライマリ・ケアとか、地域医療とか、高齢者医療だとかっていってると、若いわりと優秀な人たちを全部そっちへ投入してるって図式になる。
 だから、どっちかというと、医学部だってことで比較的基礎体力のあるような、そういう人たちをもし集めてるとすると、その人たちの一定数、未来に投資するような仕事に向けるっていうのはすごい重要だと思うよ。それは技術開発でもいいし、アントレプレナーでもいいし、なんでもいいんだけど、なんかそっち系にちゃんと回るような形にしていかないと、僕、あまり世の中のためにならないと逆に思ってるんです。だから、それこそ基礎研究でもいいし、バイオベンチャーでもいいんだけど、なんでもいいや。そういうことに何か。臨床医っていって、地域に行く人を増やしましょうみたいなやつは、僕は、だいたい全学生の40%ぐらいでいいと思ってます。

H 臨床医になるのが40%っていうことですか。

F ううん、じゃなくて、臨床医の中の40%が、いわゆる過去に向かう医療に従事するべきってこと。つまり、地域でプライマリ・ケアとか、高齢者医療とかに関わる医師が臨床医の40%くらいはありだなと思って。特に、さっきいったプライマリ・ケアは40%かな。僕は、いろんなデータ見てて、思います。あんまり少なくなると、逆にちょっと医療自体の質は落ちるんで。コストは下がるけど。コストダウンしていくっていうのはすごい重要なんですよね。医療のコストダウンは、その部分をとにかく教育に回すということですよ、普通の。日本は他国と比べると異常に教育に投資してないんで。リサーチ&ディベロップメントに投資してないし。
 あと、大学を夢のある職場にしないとだめなんですよ。大学が夢のない場所にだんだんなっていっちゃって、ほんとになんかみんな大変だもんね。やっぱりそれがないとなって感じになったりとか。だから、なんか10年かけてじっくり煮詰めていくような研究とか、すごいしにくいじゃん、めちゃくちゃ。だから、そういうのができるようになるといいなと思いますよね。夢のある職場にまた再生したい。大学の再生は、僕、すごく重要だと思う。それは、医局員を増やすことではないですね。単純にお金回してポスト増やすってことだし、安心できる場所っていうことだよね。安心して働ける場所っていうか、安心して研究ができるとか、そういうことが大事かなと思いますね。

H それにはすごく大きな変化が必要で、大学自体の変化だけじゃなくて、もう少し大きな変化ですかね。

F やっぱりお金だと思うよ、僕。
 
H お金の割り付け方とかですか。

F バジェットの割り付け方。国にあるお金の割り付け方ですね。教育になんとしても回したいというんだったら、僕は社会保障費5%ぐらい削るのは国民、納得すると思うよ。5%あったら、教育無料化できるからね。全部大学まで。5%でいい、社会保障費。そういう点では、実はお金はあるんだよね。年金まで含めると、全体で中国の国家予算と同じだよ、日本は。実は現金があるんです。だけど、年金と社会保障でほとんど持っていかれるということになってるので。そういう点では、そういう国民の合意も必要だと思いますよね。

H そういうポリシーにかかわる人が必要ってことですよね。

F そうですね。だから、おそらく僕は政治に対する参加ってほとんど今選挙でしか考えてないけど、選挙に頼らない政治への参加っていうのがちょっとずつできてきてんですよね。政策提言をちゃんとやるとかね。ある政策をある議員に結び付けるとか、そういうNPOとか起業家も現れてますね、若い人で。PoliPoli(ポリポリ)とかね。そういう人たちみたいな。だから、なるだけ選挙への依存度を落として、もっと政策提案できるような形というのをもうちょっと模索した方がいいと思ってるけど。それ、これから10年ぐらいの課題だと思うけどね。
 ヘルスポリシーは、やっぱりもっと専門家をつくんないとだめですね。医療経済学者何人か知ってるけど、みんなだいたい臨床医崩れですとかって自虐的なこというんだよね。もともと経済学やってる人は別なんだけど、元医者とかってみんな、いや、あたしはみたいな感じなんだけど。そうじゃないヘルスポリシーやってる人が欲しい。だから最後は、臨床やんなくていいよという。医学的な知識とか、臨床のセンスとかのところがあって、それでいけばいいと思ってるので。
 1つは、大学院のコースがプアだと思うね。卒業した後の。公衆衛生大学院も思ったほど人、集まらないですよね。医者はあまり来てないって話も聞くし。もっとヘルスポリシーとかちゃんとやるようなところが欲しいよね。

H そんな中でも、卒前の医学教育のモデル・コアっていうところに、具体的にどんな内容を入れていったらいいかとか、どういうことをやっていったらいいかということが今回の本題にはなるんですけど。

F よく地域に出せっていうんだけど、地域そんなに理想的じゃないよというのがあるんだよね。僕は、だからほんとは大学が教育の診療所とかを出店するのが一番いいと思ってる、実は。外に場所を持つっていう。これ、医師会の神話というか、貴族主義がなくなったら可能になると思いますよ。だから、大学自体が実はそういう地域医療教育の拠点を自分で持つべきだというふうに僕は思ってます。あまりに今の地域に居る人たちが玉石混交というか、なんていったらいいのかな。だって、白玉点滴やってる医者が居るんだよ。
 あとは、やっぱり僕は教育の認証制をつくるべきだと思う、地域で。医者に対してやっぱりなんか一定、だからFDちょっと出ましたぐらいじゃなくて、この人がいいっていうような人を、大学のファカルティとかでやって、その人がなんていうかな。英国のGPでも卒前教育とかやってる人たちって、人生彩りだからっていうんだよね。つまり、そのことが楽しくてやってる人たちなんですよ。お金とかじゃないわけ。だから、お金要求する人はみんなカットして、楽しくやれますよみたいな雰囲気で、200人ぐらい集めれば相当変わると思うよね。そういう地域で教えられる人。
 あと、僕はほかの職種の人もちゃんとファカルティとして採用すべきだと思います。地域包括の人とか。そういう人たちも含めて、地域医療教育を担ってもらうっていう。そのときは、IPEでやるんです。地域IPE実習ですよ。これは絶対重要ですよ。そうしないと、コラボレーティブ・オルタナティブにならないんだよね。

H おっしゃるとおりですね。

 

医学部教育と健康観

F あとは、やっぱり医学部に看護学の講義を入れないとだめです。看護学原論とか、あとソーシャルワーク総論とか、そういうのをちゃんと入れるということですね。それをちゃんと看護学部にお願いするという。看護理論でいいと思いますよ。そういうところとか。他領域の人たちがどういうふうに育ってるのかということを体感するときがないと。結構みんないい人たちだよねみたいな、そういう話で終わるじゃん、だいたい。看護の人たちってすごい大人だよねとか、医学部の人たちって頭がよくてすごく話しにくいかと思ったけど、すごいフレンドリーなんですよねみたいな、そんなことはIPEじゃねえから。IPEじゃないんで。育ちを知らないとだめなんです。こういうこと勉強してんのかみたいな。そこはすごく重要で。それなしでは、僕はあり得ないと思います。
 IPEは重要。さっきのすべてのヘルスケアシステム上のプライマリ・ケア・ドリブンのヘルスケアシステム構築っていう点でいうと、IPEは肝だよね、ほんとは。そこで脱神話化していかないとだめだよね。

H ほんとに、まさしくそうだと思います。

F そうなんですよね。だから、そういう点では、僕は他学部、特にソーシャルワークと、看護学部だけでもいいや。看護学部のちゃんと学問としての看護学のレクチャーとかあるってことと、あとIPE地域実習。この2つですね。

H 看護学の理論が先生は必要だと思うっていう背景って、なんかありますか。

藤沼 それは、いろいろあるんですけど。健康とはなんぞやということについて追求しているのは看護学だからです。看護理論ってだいたい幾つか構成要因があるんだけど、例えば看護の対象とは何かとか、アプローチは何か。それから、そもそも健康ってなんだとか、ハッピーってなんだみたいなことはずっと追求してきてるわけ。それは医学部には存在してないんだよね。医学部教育を普通に受けると、病気を消滅させれば健康でしょっていう感じ。だから、例えば歩いて入院した肺炎の患者がだいぶ手こずって、帰るときは車いすで帰っていったみたいな。肺炎治ったからね、よかったね、健康になったよみたいな。家じゃ全然だめなんですけどみたいな。
 そういう話っていうのは古典的な生物医学モデルだったわけ。さすがにそれはもう相当なくなってるけど。基本的に、でもそれ以上のコンセプトは何かといったら、医者の健康観ってその人の人格に、人のよさとかに還元されちゃうんだよね。医者の資質っていうか、彼、優しいからとか、そういう話になるわけじゃない。イルネスの部分とか、人が病むといったいどういうことなのかみたいなことをちゃんと言語化するとか、そういうふうに考えてるのかってことをもっと知ったほうがいい。
 例えば今、当事者の語りとかあるじゃん。例えばレビー小体病の著者の『故障した脳』とか読むと、あの手記の学びはでかいよね。あと、『リハビリの夜』とかさ。ああいう病い体験とか、それを通じて、生きるとは何かとか、そこに関連して、そもそも健康ってなんなんですかとか。そういうことをちゃんと難しく教えることが重要だと。おまえらに分かってたまるかという高度な講義をすることが重要なんです。分かりやすくじゃないんだよ。ハイデガーとか出てきていいわけ。

H 簡単に教えてくれとか、分かりやすく教えてくれというまだまだ医療者も多くて、いろんな話をするたびに理論とかを使って話をしたりすると、そんな理論の話はいいから、つまりどんなことをいいたいんですかみたいなことって多いですね。

F 医学部、受験勉強の特徴だよね。こうやって、ペン回してるんです。くるくるって、こうやって回して、先生、結局なんなんですかみたいな。

H そんな感じです。

F 正解なんなんですか、試験、何出るんですかみたいな感じ。

H それって、医者になってからもそういう人が結構多くて。

F だからそれは、結果のない課題を与えるのが重要なんだよ。正解のない課題を与えて、考えさせるということが重要だと思う。正解ないんだよね、これって。どうやって採点するんですか。そんなのおれが決めんだよって、そういうふうに、そのぐらいの感じでやればいいと思いますね。ただ、複雑なことは複雑に考えないと無理だというのは、それはすごく教育した方がよくて。なんか脊髄反射的な考えじゃなくて。それ、おそらく僕、やっぱり何か書いたりとかする力だと思うな。ライティング。それを小論文の解法、技法みたいなのじゃなくて、そういう課題は僕、やっぱり初期には大事だと思うな。僕、それ、看護学から学んだわけなんだけど。看護師になるというのはどういうプロセスたどるかというと、泣きながら自分の思考プロセス全部言語化してるわけだよね、看護過程といって。このとき何考えたのか全部説明しなきゃいけない。僕は、あの言語化のプロセスが実は頭を看護師にすると思っていて。それがあんまり医者、ないんだよね。
H ないですね。

F 泣きながら自分のやったことを説明するとか、そういうのないから。だから、そういう点ではなんつうかな、ちょっとかわいそうっちゃかわいそうなんだよね。結局、だからなんか単純な解決法あるんじゃないかとか、絶対解決できない問題があって、それを複雑に考え続けること自体が重要だ、みたいなことって医学生にはまったく経験ないから、今までの人生の中で。それやってたら、おそらく受験落ちるんで。だから、そういう教育法は、僕、いろいろ医学部で試した方がいいと思うな。

H 医学部初期の段階でですよね。

F 初期の段階で。だから、看護過程に準ずるような何かですね。でも、感想文とか。僕、この間久しぶりに大学に呼ばれて。地域医療実習ができなくなったっていうんで、急に教授からメールが来て、先生、急なんですけどやってくれませんかみたいな。で、まあ、いいっすよって感じで。2時間、時間もらって、やたらしゃべりまくったんだけど。3年生相手だったんですよ。はっきりいって専攻医並みの話をした。ところが、みんなめちゃくちゃ理解してましたよ。感想文見ると、めっちゃ深い感想もあって。一般的な人間論とか、医療とはどうあるべきとか、こういう患者どう診ますかみたいなことに関していうと、相当難しいこといっても理解するね。おそらくそういう講義がないんだと思うんだよね。この人が生きるっていう意味、どう見てるでしょうね、みたいなのは結構みんな考えてましたよ。それは真正面からむしろ出した方がいいと思うんだよね。
 あと、音声がすごく褒められた。今までの先生の中では最も聞きやすくて、音質がよかったですって。疲れませんでしたって。今までよっぽどひどいマイクでやってたと思うんだよね。マイクとカメラをPCの付属でやってて、聞きづらい上に話が面白くないっていったら、それは学生、面白くないですよ。面白くない話だったら、音質だけよくしろという。僕はそれをいいたい、大学の先生に、マジに。それっていろんな教育方略あると思うので。ここはやっぱり人間の自律性が大事なんだなとかありきたりの回答をさせないというのは重要なんだよね。そういうポリティカル・コレクトネス的な答えってさ、例えば、やっぱり多様性が重要だと思いますとかさ。簡単にいえば、僕は、医学生で、患者さんに寄り添った医師になりたいですっとかっていったら、もうアウトにしたい感じだよね。それ、決まり文句過ぎるだろうって。寄り添うって説明してみろよ、もうちょっとなあ、みたいな感じ。そういう答えは期待しない。今回、なんか寄り添いたいって人が増えて、教育成功しましたみたいなこといってるようじゃだめですね。みんな、えっなにそれって感じることが大事。こんな生き方いいのかみたいな。
それは、だからブレンナーが東海岸でやったIPE実習。実際、多職種で地域のハイ・ユーティライザーの患者宅行かせて、ケアを組織し直したみたいな。ああいうのは、ほんとにすごいと思います。(※ニュージャージー州カムデン市の家庭医、ジェフリー・ブレナー博士はデータを利用してターゲットとなるハイリスクの患者の住居をヘルスケアホットスポッティングとして特定し多職種でケアに関わった。https://camdenhealth.org/wp-content/uploads/2019/12/core-model-print-10.18.19.pdf )
あと、レスター大学の、一応身の守り方を学生に教えて実習に送り出すとかさ。こんな人が近づいてきたら、ここに連絡しろとか。そういう危険地域に行くわけだ。その中で、いったい生きるとはどういうことか、このホームレスの人っていったいなんなんですかみたいな、そういう感じのインパクトがあるようなことがやれるといいと思うね。なんかもう患者さんに寄り添った医療を行いますとか、在宅医療行いますとかってホームページに書いてあるようだったら、アウトって感じだね。そんなこといってるようじゃだめですって。さて、それで、どういってたっけ。複雑なこと。そういうこと。だから、複雑なものを見せないと複雑に考えられない。

 

モデル・コア

H そうですね。そもそものことなんですが、モデル・コアの構造って、先生見ていただいたように、比較的体系的にきれいに構造化されている。

F そうですね。

H ここにどんな文言を入れていくかってことが、たぶんこれからディスカッションするポイントになってくると思うんですけど。

F 僕は、Aの2のとこをいかに削るかが一番重要だと思うんだよね。

H 医学知識のとこですね。

F そう。Smaller is Biggerみたいな感じですか。ほんとに少なく教えて多くを学ぶみたいな、そういう感じの内容にしといて、おそらくA5とか、6とか、7とかって、基本リンクしてるじゃん。

H そうなんです。

F これは、むしろ一体化して教育した方がいいと思うね、別々じゃなくて。さっきみたいに。僕はPBLってすごい好きなんですよ。日本ってなぜか衰退したじゃない。あれ、なんで? PBLって、すげえいい学習法だなと思ってるんだけど。特に短期間で応用力、育てる可能性ある。あと、高村先生がいってた、長期臨床実習(Longitudinal Integrated Clerkshipといって、ずっとそこに居て、なんか臨床実習やるみたいなやつもすごい好きです。
だから、教育方略をうまくインテグレートするというのは必要かなと思いますけどね。なんかクリティカル・シンキングみたいなやつ。僕がさっきいった、書くことがいいんじゃないですかって、なんか批評的なというか、クリティカルに物を見るような。今正しいっていわれてるけど、実はそれの両面が必ずあるとかさ。こういう見方もあれば、こういう見方もあるみたいな。そういう、これが一応正解とされているんだけれども、ほかの見方からするとこういう見方も考えられるみたいな。そういう方向のやつが、僕は最初に欲しいなって思いますね。大変ですね。

H それをどう教えるかっていうと。

F どうなんですかね。だから僕は、それこそゼミ生とかね。ゼミっていうか、普通の大学でいうゼミがあるじゃない。ああいうのもいいなと思ってるんだけどね、ほんとは。研究室配属でも、僕、いいと思うけど。その中にそういうクリティカルなことをちゃんとやってるような人たちも居たりしてという感じですかね。学者って、基本クリティカルだからさ、ほんとは。常に批判意識を歓迎してるわけだから。

H そうですよね。でも、誰が教えるかっていうことに関しては、結構先生からも地域の医者だけじゃない人たちがやっぱりしっかり教えるっていうこととか、内容に関しても書くっていうこととか、複雑なものを複雑に教えるとか、批判的思考を学ぶとか、たぶんそういうところってすごく大事なところなんだと思うんですよね。

F 大事。超大事。

H それがベーシックな能力としてそろった上で、あとは何をするかということに関して多様性があるキャリアが進める道をちゃんと準備しておくっていうことが大事なのかなというふうに先生の話を聞いて思いました。

F 大変上手にまとめていただいて、ありがとうございます。

H その上で皆さん、3人ほかに僕以外にも居るので、質問を聞きたいなと思うんですが、どうですか。

 

医師国家試験

M(インタビュアー) 例えば6年間の、先生の提案では2年間は研修医の時代でするとすると、4年間をどう使うかっていうのが、今のこのコアカリのボリュームをどれくらい減らすとか、何かパーセンテージ的に、先生の考えでどう思いますか。

F 僕、1つは、国試に通るっていうのが1つあるわけでしょう。僕は、もう国試対策やった方がいいと思う、大学で。要するに、ある短期間集中して。そこでちゃんと出て、ちゃんと。だから、国試に受かるためになんかそれの判断力をたくさん付けておこうとか、そういうのはいらないんじゃないかと思ってて。ほんとに最後のとこは予備校がしてもいいかなと僕は思ってますね。その前はわりとゆったりしてるっていうか。それこそPBLじゃないけど、ああでもない、こうでもないとかってやってるのはすごく大事だけど。最後の半年ぐらいは、じゃあ、これからちょっと国家試験と臨床研修に向けて知識詰め込むぜみたいな感じで行くっていう。だから、それやりゃいいやって、その前サボる学生も居るかもしれないけど、きつくしかっていただけばいいじゃないでしょうか。

M すでにもうそれに近い状況ではあります。

F そうなんだ。

M 状況っていうか、国試前にみんなばーっと部活もやり終えて、勉強してっていうタイプの学生は、ほぼそんな時間の使い方をしてることを思えば、その前の時間にあたしたちが与えられる環境次第では、きっと楽しいことがあるかも。

F そしたら、その期間にちゃんと勉強すれば国試、通るんじゃないの、普通に。

M 実はそうじゃないかなってちょっと思うんです。各論とか教えなくて。

F むしろIPEとかちゃんとやった方がいいんじゃない? 長期間ある施設に行ったりとか。その方がなんとなく学生さんも将来像が見えていいような気がするけどな。

M 今結構、例えば3~4年生でやってることって疾患各論とかになるんですけど、そういった講義の時間を大幅に削れれば、きっと時間はたくさんできるんですけど。

F そうだね。これが国試に受かるためのこの病気の最低限の知識であるってことを渡しときゃいいと思いますよ、作って。そのくらいだと思いますよ。それが嫌だから講義とか聴いてたよね、僕。自分で本読むのめんどくさいから、講義でとにかく勉強しようと思って。僕は、講義受けるのがすごい好きで。なぜかといったら、自宅で勉強しないで済むからというのがあったんですけど。知識伝達としての講義っていうのはもうなんか、それこそ渡しておけばいいんじゃないかと思いますけど。

M そうですね。だから、取りあえず情報だけは渡しといて、基本的には講義でやるのはPBLみたいな感じでもいいんかなって、先生の話聞いて。

F 講義やるんだったら、自大学の医者はもうやめた方がいいっていう。名人級の人に全部の大学の講義をやらせろってことですね。自前はいらない。自分の大学でどう講義を組織するか。もうこのリモート時代ではやめた方がいいと思います。もうリモート時代になった最大もうコロナ後の世界では、教育リソースは共有化されるんですよ。だからそういう点では、いわゆる講義とかだったら、ほんとにいい講義をちゃんとやれる人を日本で準備するということだと思います、僕は。それを例えば1,000名にやるとか。僕はその方がいいと思います。

M 例えば多職種で先ほど先生から出たのって、看護やソーシャルワーカーだったと思いますけど、もっとほかにも医療職系以外も含めてこういう講義は講師を入れた方がいいとかってあります?

F それは僕、患者。患者の語りですね。ここで人類学者とか、社会学者呼んでもだめですね。そういう人たちはほんとに専門分化してるんで。社会学とか人類学の方がむしろ対象、狭いですよ、本人が語れることって。なんか人間一般について語れるとかってこと。精神科医が心の専門家ではまったくないと同じです。精神科医精神疾患の専門家なんで、人間の心の専門家ではありません。だから、例えば社会学者が人間社会についての専門家じゃないかと思ってると大間違い。それは違うんです。文芸評論家とか、そういう人の方がむしろ面白いかもしんないんだけど。ただ、あんまり学者とかじゃないんですよね。やっぱ専門職がどういう教育を受けてるのかってことをちゃんと知るってことと、あとやっぱ患者の語りです。ビデオでもいいです。なんでもいいんですけど。そういうのは僕、すごい重要だと思います。

M ありがとうございます。

 

モデルと独自性

K(インタビュアー) モデル・コア・カリキュラムを作って実際に使うのっていうのは、各大学の先生に任されて、使うんですね。そのコンセプト、今結構文章で先生が見てもらったのをうまく見せるというか、使ってもらうのに、こういう見せ方をしたらいいのではないかとか、そういうのがもしあれば教えてください。

F カリキュラムの?役所だから無理じゃね? それ。省庁の文書がやたら魅力的だなって100%あり得ないんで、まあ、こんなもんじゃないかと思うんです。そんなに読んでて面白い文書ってないですからね。全部網羅的にカバーしたっていうのは、役所的な文書としては非常に重要だと思うんですけど。だから、なんらかの形でそれをどういうふうに組織化するかの自由度とか、いろんなオプションとかを示しとくのはいいと思いますよね。教育方略は問わないから、レクチャーでもいいし、PBLでもいいよみたいな。そういう自由度、方略のところの自由度というか、そういうのをちょっといろいろ提示するというのが、むしろ教育の専門家としては大事じゃないかって思いますけどね。

K ありがとうございました。実践例みたいなんを付けるとか、そういう感じで。

F そうですね。

S(インタビュアー) ありがとうございます。わたしも1個聞きたいんですけども。さっき、大学が外に地域で教える場を持つというのもあったんですが、現状だとなかなかこれから新しくつくんなきゃいけないんで難しいと。そうなると、やっぱり地域にあるリソースを活用させていただくって形になるんですけども。そこで認証制という話があったんですが。例えば開業医の先生に今、学生をお願いするってなったときに、開業医の先生に結局インセンティブがないと続かないと思っていまして。楽しさってあると思うんです、エンジョイメント以外。エンジョイメントあると思うんですけど、それ以外のところでなんか作った方が、インセンティブって、もしあればちょっと教えていただきたいんですけども。

F 僕は、なんか基本おそらく今の地域医療実習の場所ってわりとちっちゃいというか、例えば1人でやってるとか、そういうとこすごく多いと思うんですよね。そういう人たち、基本的に寂しい人が多いんですよ。だから、場づくり。だからリモートでもいいんだけど、そういうなんかこう、例えば1カ月に一遍ちょっと懇談会、なんでも懇談会みたいな感じで、そこに参加してメンバーシップ。メンバーシップを渡すんです。メンバーシップって、バッジでもいいんだよね。メンバーシップカード、ゴールドカードみたいなやつとか。そういう所属意識を持ってもらうっていうのは、戦略はいろいろあるんで。
 居場所づくりってすごい重要なんですよ。それが進歩的な人だとPBRNとか、リサーチ一緒にやりませんかみたいな感じとか。そういうモチベーションのある人も居たら、それはそれでやればいいし。逆になんか臨床相談会じゃないけど、普通に普段悩んでることとか、ちょっと困ってる症例とかも含めて気軽に話し合いましょうみたいな場所があったりとか。
 ただ、そういうフィードバックを嫌がる人はもともとあんまり向いてない。なんか偉そうな、上から目線ですぐ行くような医者はほんとにいらない。フィードバックをいつも気持ちよく受けてくれる人ですよ。学生の意見とかちゃんと受けてくれて、なるほどねって思うような、そういうフィードバックを受け入れるというのはプロフェッショナリズムだからね。だから、もともとフィードバックに非常に気を使う先生とかだったら、基本プロフェッショナリズムにたけてんです。それがそういうことでちょっとずつセレクションしていくってことがすごく大事だと思う。

S メンバーシップっていう言葉がすごく腑に落ちました。ありがとうございます。

F そうなんです。メンバー間というのが、つくるのはちょっと方法が必要なんですよね。居場所と出番。ここが居場所だってことと、あと出番があるって。何か出番があるって、その2つがメンバーシップのコアです。それをなんか保証してあげるような仕組みを作る、そうすると、ここのメンバーなんだというふうな自覚が出てくると全然違うと思いますよ。だから、居場所と出番が、教育の協力者には重要です。

S ありがとうございます。すごく勉強になりました。

H ありがとうございます。いろんな側面で変えていかなきゃいけない部分があるなと思って。それは、今の話を聞く限りは、モデル・コアも超えた部分で考えていかなきゃいけないですね。

F ある意味、お題目でもいいと思うんだよね。お題目というか、なんというかな、それをどう応用できるかっていうところで大学ごとの力量勝負してほしいなという気がするよね。

H まさしく、ほんとに僕もそう思って。少し抽象的な言葉でも僕は全然いいと思って。

F いいと思います。

H それをどう大学で翻訳して、自分の大学らしい教育とか、そういう自由度はあって。

F それは当然ですよ。

H 今、それがなくなってるんです。

F そうなの? みんな同じようにやるの?

H というところ、全部が全部そうじゃないにしても。

F どこ行っても同じ教育が受けられるよみたいな感じ?

H それ、3分の2が一応モデル・コア・カリキュラムに沿った形でやりましょうとはいっているものの、モデル・コアに書かれている内容が多いので、ほぼその内容に従ってやっていますっていう大学が、まあまあある。そうすると、なんか困る。自分で考えなきゃいけないというふうにいう人が困っちゃうんです。

F えっ、自分で考えるのは困るっていってんの?

H そうです。

F まさに幕末のお公家集団に近いですね。みんな誰も決断できなくて、お上が、お上がみたいな感じになってるという。
H そうだと思います。

F でも、将来的なヘルスケアシステムがどうあるべきかというのがないと、おそらく教えられないと思うよ、僕。おれがやってきたように生きるためにはこうだっていってるだけでしょう。

H そうなんです。

F それ、もう通用しないんで。やっぱりなんかそこを描きながらやる人がちゃんと教育のトップをやった方が、僕はいいと思いますよ。40代前後ぐらいの人かな。そのぐらいの人たちだよね、やっぱね。

M 具体的な分量、だいたいなんとなく眺めていただいたと思うんですけど。先生の思う医学部教育をするためには、なんとなくこれからどれくらいのボリュームを減らした方がいいみたいなのはあります?

F 知識レベルの各論的なやつを半分かな。50%ぐらい削るって感じじゃないですか。だって、昔の話なんだけど、僕、イギリスの卒前教育のラップアップみたいなセッション、ラップアップというか、実習後のラップアップに参加したことあるんだけど。すごいなと思ったのは、例えばリンパ腫でシンチとか知らない。シンチってなんですかみたいな話で。ただ、すげえつめの変化とか詳しいという。身体診察はめっちゃ詳しいんだけど、悪性リンパ腫でシンチグラムの所見がどうしたとかっていうのは、なんですか、それって感じでしたよ。
 だから、やっぱりそのくらい削ってるんだなと思った。それはもうその病気持ってからでいいよという感じなんだと思うんですね。そのくらいもう絞り込んでると思いますよ。むしろ診察の仕方、めっちゃうまかった、みんな。頭の先からつま先までちゃんとこういう診察してましたから、それはすげえ鍛えられてんなと思ったけどね。だから、ほんとに現場に出てからその病気受け持ったときに知ればいいんじゃねって知識をどんどん削っていくのは重要だと思うな。ほんとに基本的なことは押さえた方がいいけどね。さっきいった、この病気のときはこの検査でこんな所見が出ますみたいな、いいんじゃねみたいな感じですかね。

M ありがとうございます。

F 皆さん、またお元気で、いつかお会いしましょう。失礼いたします。
(終了)

island hotel

 

2020年の5月頃考えていたこと

はじめに 

 2020年の4月から5月あたりに「総合診療」2021年1月号のために書いたエッセイは今読み返すとあらためてあの頃の気分を思い出します。現在まで、パンデミック下で圧倒的に優勢であった自然科学の知、あるいは理系の知だけでなく、いまこそ人文知が要請されているのではないかという感覚があるのですが、その感覚の萌芽が当時の自分にはあったのだと思います。

 今このエッセイを再掲するのは、それなりに意味がありそうな気がするので、ちょっと加筆訂正してブログエントリーにしてみます。

 

パンデミックと家庭医療、理系の知と文系の知

 文芸批評家である福島亮大氏のエッセイ(内なる敵と負の祝祭――震災とコロナウイルスのあいだで https://slowinternet.jp/article/20200330/)によれば、SARS-COV2(新型コロナウイルス)の特異な性質の一つは、それによる感染の症状が、無症状~感冒様症状~急性肺炎~多臓器不全までスペクトラムがあるものの、総じて嗅覚低下症状もふくめて、呼吸器系の症状が中心であり、麻疹、エボラ出血熱、ペストなどに見られるような、急速に死にいたるような劇的な経過や派手な皮疹や出血といった症状に乏しい、自己表現の「凡庸」さにあるという。さらに、無症状者が多いゆえに「どこに=誰に感染しているのか」がわからないようになっており、いわば自身の身を静かに隠す性質をもっていて、これを福島氏は「自己隠匿性」と呼んでいる。この凡庸かつ自己隠匿的である特徴が、東日本大震災後に懸念され続けてきた放射性物質の特徴との相同性があり、災害と復興の観点から今回のパンデミックに関する考察を加えているが、深いところで励ましを感じるエッセイである。
 また、パンデミックの影響もっとも甚大な被害を与えた国であるイタリアの若い小説家が緊急出版した、エッセイ集(パオロ・ジョルダーノ「コロナの時代の僕ら」早川書房)には、物理学・数学を学んだ文学者ならではの、パンデミックに関する科学コミュニケーション力に優れた解説と、気候変動や環境問題との関連、個々人の生活と倫理をめぐる問題が、密度高く記述されている。そして、今この時期に、今後わすれてはいけないと思ったことを、個々人が書き留めておこうというメッセージが説得力に満ちている。
 この二人のエッセイを読んで、理系=自然科学の知だけでなく、人文領域の知に注目することも、改めて重要だ。それは現場にいるものほど必要になっていると思う。
飛沫・接触感染を通じて感染するということで、話すこと、きくこと、喜怒哀楽の表出、身体的に触れ合うことなどの人間のコミュニケーションの基盤にのって、SARS-COV2は伝搬する。たとえば家庭医である自分自身が重視してきた、コミュニケーション、身体診察、患者宅を訪問すること、疾患ではなく、患者の主体にアプローチすること、などの基本的価値観をペンディングして、SARS-COV2なのかそれ以外なのかというような単純な思考パターンにならざるを得ない状況が生まれている。こうした状況下で、やはり家庭医としての自分を、自身のヘルスリソースとしてこれまで利用してくれていた地域の人たちが、たとえば発熱外来を受診する際は、過去のカルテに記載された家族構成や生活ぶりがとても役にたつし、見知った人に対する相談にのることは、こちらもリラックスできるところがある。普段の自分の診療と今現在の診療がやむを得ず違っていることも理解してもらえることが多い。身体的距離は保っても、心理社会的な繋がりは保ちたい。
 この巻頭言を書いている2020年4月~5月の日本は、社会的な緊張感がもっとも高まっている時期となっている。読者の皆さんの毎日の安全を祈りつつ、連帯の意を伝えたい。

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総合診療/家庭医療に関心のある医師からの質問にカジュアルに答えてみたセッションの様子

 今年4月に学会(JPCA)地方会にリモート参加しました。「あらかじめ総合診療/家庭医療の専攻医や指導医からの質問を集ますので、その質問に答えるようなレクチャーをお願いします」というリクエストがあり、自分的にもはじめてトライするタイプのプレゼンだったので、かなり悩みましたが、やってみました。

 その時の語りをそのまま文字化するのは大変なので、ブログエントリーとしては作らない予定でしたが、「話のアウトラインだけ」でよいので、公開してほしいというご要望もあり、読み物としては成立していないのですが、アウトラインのみエントリーにしてみることにしました。

 読みにくいと思いますが、実際のプレゼンでは、たくさんの質問に対して一言コメントみたいな感じで返す感じになりましたので、実は、このアウトラインがすべての発言内容であったともいえます。

 質問、そしてこの答えという感じで列挙していきます。よろしくおねがいします。


【日本において今後の総合診療医、家庭医の立場はどうなって行くと思うか?】
 日本において、その必要性はすでに医師以外のヘルスケアプロフェッショナルには広く認知されています。ただし、世界史的には、医師集団自体がジェネラリストの必要性を認識し生み出し確立させた国はなく、ほぼ、国策=ヘルスケアシステムの再構築、あるいは市民団体などの運動と連動して生じているという事実は認識しておいたほうがよいです。

 

【Mtimorbiditydの患者のどのような点に注目したり、注意して診療しているか?】
 Basic Multimorbidity、Complex Multimorbidity、Multiple Functional limitationsをわけてとりくんでいます。健康問題を疾患の累積ではなく「構造」としてとらえることが大事です。健康問題を「構造」としてとらえることはGeneralism=総合性のキーの一つです。

 

【コロナ禍で地域ヘルスプロモーションが限定されますが、どのような取り組みをされていますか?】

 現実的には、ソーシャルディスタンスの関係もあって、従来型のものはもはや不可能になってきてて、まったくあたらしいコンセプトで創造的にとりくむしかないと思い始めています。安宅和人さんのいう「開疎化」や、「換気概念のアップデート」「SocialとPhysicalの距離の質的差異」「テクノロジーを使い倒す」「 紙メディアの再評価」などのキーワードで考えたり、ディスカッションしているのが現状です。

 

【家庭医としてのやりがいはどこに?】
 個人的には、様々な人、様々な問題にであえること、健康問題のヴァリエーションと振り幅の広さがあり、地域、社会、文化、グローバルIssuesへの接続可能性が魅力です。

 

【総合診療・家庭医療の専門性とは?】
 卓越性はありますが、排他的な専門性はありません。むしろ「段位」があります。

 

【家庭医やっててよかったなぁ」と思った瞬間は?】
 往診途中で、こどもから挨拶されたとき。

 

【若いうちに身につけておきたいこと、勉強しておきたいことを教えて下さい】

 謙虚であるということが一番重要で、特にこれを勉強しておきなさい、ということはありません。

 

【大切にしている家庭医・総合診療医の素質・アイデンティは?】
 病いや障がい、苦悩や苦痛の意味に興味をもてることでしょうか。その人にとってベストは何かを考えられることですね。

 

【読んで置くべき教科書・論文は?】

 特に指導医はAnnals of Family MedicineやJournal of General Internal Medicineなどのジェネラリスト系専門誌に親しみましょう。目次をみて、何に関する話題なのかを想像できるようになると、ジェネラリスト脳が構築されてきているとみることができます笑。NEJMとかJAMAとかのいわゆるトップジャーナルをありがたく読んだりとか、臨床疑問を解くためにだけ検索してダウンロードした論文を読むだけでは、ジェネラリスト脳にはなりません。

 

【どんなやり方で勉強したらよいのか?】

 基本的にケースを通じてです。外来、救急、病棟、在宅、診療所、病院といった診療のコンテキストの異なる場で出会ったケースをベースに、診療コンテキストの特徴を生かした経験を積みましょう。そして、JPCAの設定している提出ポートフォリオエントリー領域が何を期待しているかをいつも展望しながら学びをすすめましょう。

 

【どんな若手が育って行けば、総合診療・家庭医の未来は明るくなりますか?】
 様々な医療介護施設や地域にに総合診療医がいることが大事です。場所にかかわらず「共通の価値観」をもった医師グループになること、つまり規範的統合が可能な集団を目指すことです。そして、GeneralsitらしいSpecial interest、あるいはフィニッシュ・ムーヴをもつことも楽しいですが、それは、特定の疾患(特定の◯◯科ではない)、特定の問題、研究、教育、発信、政策等に関するものです。


【デジタル社会と家庭医療(総合診療)についてですが、「そう遠くない未来、自宅が診療所/病院と様々なデバイスで繋がり、多くの慢性疾患/急性疾患を自宅で治療する時代が来ると思っています。また私たちが今まで当たり前にしていた事がオンラインに置き換わっていくのではないかと感じております(在宅診療も徐々にオンライン診療とミックスされていく気がしています)。そうなると家庭医療を実践するチームに求められるintegrationの役割は更に増えるのではないでしょうか?】

 まったくそのとおりだと思います

 

【これから家庭医療がどんな発展をしていくとイメージしているか?】

 医者が脱神話化され、権威勾配がフラットになる世界で働く医師としての家庭医というイメージをもっています。つまり、孤高の医師(Lone Physician)という神話から協働的オルタナ医師(Collaborative Alternative)へのトランスフォームが進むと考えています。


【家庭医療の哲学ってなんですか】

 家庭医療のPhilosophical FoundationあるいはTheoritical Foundationに注目したのはマクウイニーで、それ以降はスタンバーグが重要で、著作にあたりたいところですね。で、個人的に注目しているのは、大陸哲学特に実存主義スピノザ、あとHavi Carelなどの現象学、そしてさらに重要だなとおもっているのはジャック=アラン・ミレールの精神分析学です。あくまで、個人的な考えですが。


【新専門医制度後の総合診療医の立ち位置】
 専門医機構にとっては、総合診療は組織自身の唯一の存在証明となっているので、学問や診療分野として運営側に大した関心はなくとも、必ず継続維持していくでしょう。ただし、専門医機構には教育、研究機能はありませんので、いわゆる学会やアカデミーの代わりはできません。大学の総合診療、ジェネラリスト系の学会、地域の教育や研究グループの発展がキーになるので、がんばりましょう。

 

【家庭医の専門性が社会にとって意味あるものとしてみとめられるための戦略は?】
 くりかえしますが、医師以外のヘルスケア専門家、そして意識的な市民にはそうとう意味のあるものとして、というか、そういう医者はやく増えて~という思いがたくさんあります、なぜなら、従来型の医師による「医師誘発性困難事例」が地域には多数あるからです。ぜひ、地域の困難事例の多職種カンファを定期的にやってみてください、そこで家庭医療がはたす役割を感じてください

 

 

【藤沼の5年後は?】
 診療:教育:研究の比率を2:5:3にします笑。そして、80歳まで社会に貢献できるためのスキルを、これから身に着けます笑。


【寄り添うことと依存(転移、逆転移)はどう違うか?】
 寄り添うという言葉は、ざっくりしすぎているので、もちっと分析が必要です。付け加えるとすると、寄り添っている自分はイケてるんじゃね?っていう承認欲求の表現だったりすることに注意。寄り添いすぎて、転移、逆転移が過剰になると、ATフィールドが崩壊し、自他の区別がつかなくなることは、実はバーンアウトに繋がります。

 

【都会と、地方では家庭医療の実践する上でどんな違いがありますか?】
 診療の内容、コンテンツ、患者層、受療行動はとても大きな違いがあります。でもプリンシプルは同じです。

【病院総合診療科と総合内科の違い】
 この質問多いですね笑。診療疾患、疾患の治療・手技に本質的な差異はありません。ただし、疾患の診断治療以外の診療実践レイヤーを「マネージメントや接遇」と捉えるか、本質的かつ「診断治療と等価」であるととらえるかの違いがあるといえばあります。が、重要なのは共通性や差異を分析して自分を規定しようとするのではなく、「ワイは総合診療科の医者だ!!」といいつづけるとだんだんそれっぽくなるので、しつこく言い続けましょう笑、アイデンティティの本質とはそういうことです。


【キャリアの点から総合診療医の専門医を取るメリットは何か?臓器別診療科の強みはわかるが、総合診療医の強みとは?】
 メリットで考えるとキャリアのことばかり考えるようになり、ドツボにはまるので、要注意です。こんなタイプの患者をこんな場所でこんなふうに診る仕事がしたい、と思えるかどうかでOKです。繰り返しますが、総合診療に排他的な強みはありません、相対的に弱みを少なくしていこうという志向です。 Special interestやフィニッシュ・ムーヴ(サブスペシャルじゃない)をもちつつ、ジェネラリストの段位向上をはかりましょう。

 

【非専門医であるためがどこまで治療していいのか?どこまでリスク判断をしていいのか?】
 すべての症状に関するレッドフラッグを熟知しておくことは必要です。で、専門医に紹介したほうがいい状態は、地域、施設の文化に依存します。


【臓器別診療科のDrとの棲み分けがむずかしいが、どうしたらよいですか?】
 とにかくお互い、人として仲良くやりましょう笑。さまざまなソーシャルなイベントやお付き合いが結構重要です。

 

【総合診療医がやっていることと内科医がやっていることが同じ?本当に総合診療って必要?】
 ほんと、みんなこのこと気にしてるんすね笑。卓越したジェネラリスト(Expert Generalist)ならその内科医は本物の総合内科医ですよ。で、どの疾患を診るかで自分の仕事を定義すると、旧劇の碇シンジになります。どっかで総合診療とか家庭医療って面白いな、やってみたいなという感覚がなければ、むりにエヴァに乗る必要はありません。

 

【総合診療からこそできることは?】
 総合診療医の存在意義は、場とチームと地域と患者がいてはじめて意味を持ちますので、総合診療の研修をしたからといって、宇宙空間でも総合診療医として存在することは不可能です。

 

【総合診療科が持つべき臓器別の知識は?どこまで知っていればいいのか?(救急、精神科 etc…)】
 これは、終わりのない旅のようなものなので、いつまでも「知らないことに出会ったら、その出会いを喜ぶ」という態度をもちつづければOKです。ただし、広範囲に博学であることは必要で、ナレッジベースを自身の「脳」以外にもつことが有用です。

 

内視鏡の手技も必要があるのか?いろんな考え方の指導医との付き合い方は?】
 内視鏡はそれが必要なコンテキストがあればトレーニングすればいいでしょう。指導医が自分のアイデンティティのコアになっているものを、それは私には必要ありませんといわれると気分を害することも確かですので「それはいいです」と軽くはいわないようにしましょう。


【総合診療をやっていく中で、他の診療科領域で、もっと勉強しておいたよかったなと思う分野は?】
 あまり思い浮かばないですが、 あえていうと精神医学、特に精神病理学ですかね。総合診療においては、整形外科を勉強するのではなく、筋骨格系の健康問題を勉強するというイメージでやること、小児科を勉強するのではなく、小児の健康問題を勉強するというイメージでやることですね。

 

【専門医を取った後のキャリアプランは?(他の道に行かれる先生もいらっしゃる?)】
 多様です。今後はもう医者+アルファでないと、厳しい時代になる可能性もありますね。そして、今後、医者っていったい何をする専門職なんですかってことが鋭く問われる時代がかならずやってくると思います。さて、個人的には、特に75歳くらいまでは、そこそこの生活ができる収入が得られるようになるためには、総合診療は非常によいキャリアチョイスだと思いますね。

 

Reeves spirea 2