イントロダクション~人口減少と経済成長の停滞を背景にしたヘルスケアシステム
近未来の医師について予想するために,まずは将来のヘルスケアシステムの大まかなデザインについて想像してみたい。
西村[1]によると日本の人口構成の今後の基調は少子高齢化と人口減少だが,特に実際の高齢者人口の予測をみてみると,90歳以上の人口の激増が目立つ。また,年齢構成別の医療費をみると,90歳以上の一人あたりの医療費は他のどの世代よりも高い。従って,現時点でのヘルスケアシステムや医療内容が継続する限り,おそらく医療費は上昇を続けるだろう。また,日本の経済自体が低成長の時代に入ってきており,加えて人口全体の減少が進行することはほぼまちがいないことである。これまでの日本の医療環境の最大の変化は高齢化及び低成長であり,医療自体の目的や価値が大きくパラダイム転換する可能性が大きい。
そして,65歳定年制で,それ以降を保証されるべき高齢者と設定すると,一人の高齢者をささえる勤労者が一人ということになる可能性があり,これは相当困難な状況であるが,もし75歳までが勤労年齢と設定すると,後期高齢者一人をささえる人数が2.4人以上になってくるので,実現可能な社会保障が可能になるだろう。その根拠としては,日本の高齢者の身体機能はこの30年で徐々に高くなっており,60歳以上の人たちの就業意欲も上昇していることが知られている。
さらに人口動態予想を視点を変えて,高齢者人口とこども人口をセットにしてみると,実は2010年あたりを境に,2050年頃までその絶対数は増加するといわれている。この高齢者プラスこどもという人口のレイヤーとは,主として地域ベースで生活するレイヤーといえるだろう。この生活の場所が居住地周辺というレイヤーが増加しつづけるということは,産業,消費のパターンのみならず,保健,医療,福祉も地域ベースで再設計していくヴィジョンが今後必要になるということでもある。
ヘルスケアシステムの方向性
ヘルスケアシステム構築を考える際にWHOが提示した4つの軸[2]が参考になる。すなわち妥当性Relevance,費用対効果Cost-Effective,質保証Quality,公平Equityの4つの軸のバランスがとれたヘルスケアシステムが良いとされる考え方である。上述した未来の日本社会において,この4つの軸がバランスよく保証されるようなヘルスケアシステムは,実はプライマリ・ケアを中心に据えたシステムといえると思う。
上述の4つの軸を保証するためには,現在の日本のフリーアクセスを建前とした皆保険制度自体も見直す必要がある。現時点でも国内で生活格差が拡大し,医療に関してもかならずしも公平性が堅持されているとはいえない状況があるが,すくなくとも市場化したヘルスケアシステム構築の方向は日本の国民性にはフィットしないだろうと思われる。
たとえば,英国をはじめとしたヨーロッパ先進国で採用されている登録制(Registration system)は,プライマリ・ケアを中心にすえたヘルスケアシステムの根幹であるが,日本においても登録制を導入し,質の高いプライマリ・ケアを保証しつつ,受療行動をコントロールする方向性が,公平性の保証という視点から肯定される可能性がある。すくなくとも日本の国民性と低成長時代においては,市場化,産業化した医療制度はなじまないだろう。
さらに今後のヘルスケアシステムにおいては,Curative medicineを主たる任務とする大病院,あるいは地域中核病院への技術の集約化がすすむことと,平行してプライマリ・ケア現場との連携が重要になる。特に連携に関してはTelemedicineなど情報技術の進歩とともに,移動手段の進歩もあいまって,「すぐ近くに大きな病院がないと不安」といった従来のカルチャーを変えていくインパクトがあるだろう。連携に関する価値と技術のブレイクスルーが予想される。
そして,先述したように,単に高齢社会ということではなく,高齢者+小児の人口の持続的増加[3]という観点からみると,生活地域密着型の人口層が増えてそこへのヘルスケアの比重が国民の健康を考える際に重くなるだろうが,これが本来の地域包括ケアの意味するところであろう。
医師像の変化~「孤高の医師」からの脱却
こうした未来予想図の中で医師像の変化も余儀なくされるだろう。たとえば,AI(人工知能)テクノロジーのブレイクスルーが予測されるなか,医師は何をする人なのかが根本的に問われるようになるだろう。医師の職業的アイデンティティの根本的問い直しである。
現時点で優勢な医師像はSabaら[4]によれば「孤高の医師:Lone Physician」といわれる。すべての責任は医師がおい,看護などの他の専門職に業務は委託するが,あくまで責任をとるのは医師というスタイルである。しかし,今後は権限を移譲すること,責任をシェアすること,協働と連携をPrincipleとするような医師像が求められるだろうし,これにより現在ある医師と他職種との権威勾配が平坦化するだろう。
医師は以下の2つの方向にわかれていくと思われる
1.対象を疾患に特化し,さらに高度に専門文化し,ハイテクノロジーとマンパワーに裏付けられた高度専門医療が集約化あれた施設で実施されるようになる。そうした現場を担う医師。こうした意思は専門医と呼ばれることになる。
2.対象を選ばず,非選択的にプライマリ・ケア診療を担う医師。在宅や施設での高齢者ケアの担い手にもなる。ケアの継続性を重視し,チーム,部門,施設,地域といった階層のヘルスケアシステムの構築や質保証を担うタイプの医師。こうした医師は家庭医あるいは総合診療医と呼ばれることになる。
プライマリ・ケアにおける医師の役割のゆらぎ
プライマリ・ケアを担い手として,医師は適切な職種なのかということは,世界的には様々な議論があり,たとえば英国では診療看護師(ナース・プラクティショナー:NP)の診療と家庭医あるいはGPの診療のおいて,診療の質や患者満足度もふくめたアウトカムの差を検討する研究[5]が継続して行われており,たとえば軽症うつ病については家庭医とNPでほぼ同じアウトカムが得られているといった調査がある。
理論的に考えれば,プライマリ・ケアになんらかの健康問題が持ち込まれるということは,その健康問題が,疾患と「病いの患者にとっての意味」や生活への影響などが,未分化でキメラ状の塊としてプライマリ・ケア担当者のもとに持ち込まれるということである。この場合は,医師が対応した方が適切な問題や看護師が対応したほうが効率的な問題,セラピストが対応したほうが良い問題などが同時にあらわれるので,最初に対応するプライマリ・ケア担当職種にもとめられるのはある種のハブ機能である。外来診療を考えた場合,プライマリ・ケアのトレーニングをフォーマル受けた,たとえば家庭医やGPあるいは総合内科,総合小児科といったジェネラリスト医師が対応したほうが効率的であるということは,医学的診断治療という対応で解決(専門医への紹介も含む)する健康問題の頻度が相当多いことから予想できる。しかし,その医師が同時に他の専門職が対応すべき問題を嗅ぎ分けられることも必要であり,そのためのトレーニングや専門職連携教育が必須となる。
しかし,診療所やプライマリ・ケア病院外来を利用している患者集団,ありていにいえばかかりつけ患者集団全体をパネル[6]と呼ぶが,このパネルはその特徴,複雑性などによってレイヤー化が可能で,しかもパネルのレイヤーによって適した専門職がある。たとえば,複雑困難事例や重症なケースでは医師が中心となって対応するが,安定した慢性疾患集団ならば,看護師と管理栄養士が責任をもって有効なケアやアドバイスができるだろう。また軽症の急性疾患で時々来院する人たちには,健康診断やスクリーニングのリマインダーを出すことが重要で,それは事務職が責任をもって実施できるだろう。つまりプライマリ・ケアの現場とは,専門職の本来の職能を,責任や権限を与えられて発揮できるタイプの専門職連携実践の場といいかえることもできる。
知識と技術の教育から一般能力:Generic skillの教育へ
プライマリ・ヘルスケアの担い手として1994年にWHOが提唱したFive star doctor[7]という医師像は,どちらかというと途上国に必要な医師を想定したと思われるが,高齢社会日本においても,意義深いものとして読むことができる。
五つ星医の構成要素は,
*Health care provider
*Communicator
*Decision maker
*Community leader
*Manager
である。
特にCare provider以外は所謂一般能力(Generic skill)であり,その養成が現代の医学教育にはもとめられているといえるだろう。
また,以下に列挙する平成13年3月27日 医学・歯学教育の在り方に関する調査研究協力者会議が提案した「今後の医学・歯学教育の目指すべき目標」は,近未来の医師像として当時の時代のコンテキストを離れて再読すべき価値がある。
1 患者中心の医療を実践できる医療人の育成
2 コミュニケーション能力の優れた医療人の育成
3 倫理的問題を真摯に受けとめ,適切に対処できる人材の育成
4 幅広く質の高い臨床能力を身につけた医療人の育成
5 問題発見・解決型の人材の育成
6 生涯にわたって学ぶ習慣を身につけ,根拠に立脚した医療を実 践できる医療人の育成
7 世界をリードする生命科学研究者となりうる人材の養成
8 個人と地域・国際社会の健康の増進と疾病の予防・根絶に寄与 し,国際的な活動ができる人材の育成
これらも,一般能力の教育を重視した内容になっている。
専門職連携からTransprofessional workへ
また,地域基盤型の医師の必要性は,現代においては専門職連携実践(Interprofessional work:IPW)ができる医師の必要性にパラフレーズすることが可能である。高齢社会においては,プライマリ・ケアや在宅ケアにおいて,複雑事例や他疾患併存の問題に対応する頻度が上昇し,IPWが問題解決や安定化のキーとなる。また,専門職連携自体は高度先進医療の場面でも,医療の安全性確保と質保証の観点から非常に重要なことがわかっている。地域のプライマリ・ケアにおいても大病院のICUでも専門職連携がキーになっていることは,プロフェッショナルとは何かということについてパラダイムシフトがおこっているといってもいいかもしれない。
超高齢社会に対応する医療者教育においてはIPWを可能とする専門職連携教育(Interprofessional education:IPE)はもっとも重要なカリキュラムコンテンツの一つになる。様々な専門職において,共通のカリキュラムコンテンツの割合の増加がそのために必要である。さらに,市民や介護職など非専門職も含めたTransprofessional education:TPE[7]を導入することも今後キーとなるだろう。様々な場面での市民の医学教育への参画の組織化が求められる。
生涯教育システムからContinuing professional developmentへ
医師がフォーマルな教育すなわち卒前医学部教育,卒後初期臨床研修,さらには後期専門研修(レジデンシー)のステップで到達するのは,それぞれの診療領域における適切な教育をうけて,十分な知識・経験を持ち,患者から信頼される標準的な医療を提供できる医師(日本専門医機構による専門医の定義)ということである。そして従来は,専門医になってしまえば,自分の専門領域に関して学会などに出席し,専門領域のジャーナルを読み,研究会に出席して,専門医資格の更新のために必要な生涯教育コースなどに出席するというパターンが生涯学習とされてきた。しかし,実はこれは所謂「業績」を蓄積していく活動に近い。本来の生涯教育は,良いパフォーマンスを発揮して,患者や地域によい健康アウトカムをもたらすために実施するもので,業績をつくることと混同されるべきではない。
ただし,知識や技術の研鑽を積めば,よいパフォーマンスを発揮しつづけられるかとい うと,そうでもない。たとえば,自分が働いているシステム(施設や部門)がよくオーガナイズされていなかったり,医療活動のポリシーの質が悪かったりすれば,どんなに優秀な医師でもよいパフォーマンスを発揮することはできないだろう。また,能力もあり施設文化のレベルが高くても,人間的に問題があったり,モチベーションが保てなかったりすれば,当然よいパフォーマンスにはつながらないだろう。生涯学習とは,自身の働く場,部門,施設,地域のシステム改善や人間としての成長,モチベーションの維持など,広い領域をとりあつかうもので,いわゆる生涯教育ではなく,Continuing professional developmentと呼ばれるようになっている。また,不確実性をうまく取り扱い,予想外の医療環境変化などにうまく適応して行く能力はやはり一般能力Generic skillに属するものであるが,生涯を通じて成長させるべき分野として今後重視される。
こうしたCPDの教育学習方略は,本来卒前教育から一貫して継続的に身に着けていくべきものであるが,現在の卒前,卒後,生涯教育が分断されている状況は早急に改善が求められる
意識変容学習:Transformative Learningと学習コミュニティの形成
特に様々な状況に応じて自分自身を変化させていくことを目標とするタイプの学習は意識変容学習といわれ[8],上述のCPDにおいてキーとなる教育方略として認知されている。
意識変容学習は,成人教育の中でももっともラディカルなタイプの学習といわれ,現在の自分がよって立つ基盤を問い直し,あらたな価値観のもと「変身」するというような学習が求められる。それまで自分が当然とおもっていたことを疑い,学んできたことをアンラーニングするということで相当の痛みをともなう学習である。
この意識変容学習が生じる場面は,臨床上の予想外の出来事や驚きについて省察刷る場合だけではなく,それまで専門医であった医師が地域医療の現場に異動したり,年齢によって手術や手技が困難になった医師,都市部から地方・僻地への異動,国内から海外の現場に異動するときなどが想定されるだろう。
周囲の人物,自分の仕事における予想外のできごと,周囲の変化から,自分が当然と思っていた前提に疑問符が打たられた場合,前提を吟味し,省察し,あたらしいパースペクティブを獲得する過程が意識変容学習であるが,これを一人で実行することはきわめて困難で,そのためのファシリテータと仲間が必要である。従って,今後の医師はスタンドアローンではなく,医師同士の学習コミュニティ形成が生涯にわたって重要になってくるだろう。これは学術団体というよりは,もっと生活空間に根ざしたプロフェッショナルコミュニティといったもので,現在はそのようなモデルは少ない。しかし,ファシリテーションを可能にする仕組みとしては,おそらくBalintグループ[9]が有力だと予想される。
医師の高齢化とキャリアサイクルの変化
さて,最初に述べたように,超高齢社会において必要なイノベーションはは65歳〜75歳の働き方の創出である。高齢者自体は徐々に生活機能が上昇してきており,この年代を新しい勤労世代と考えたいし,80代以降とそれ以前の世代の生活像の違いを意識しつつ,高齢者の活用を考えることは創造的なことでもある。
医師に関しても,この世代の医師が地域基盤型機能を持てば,地域の健康状態だけでなく,社会保障の仕組みや,地域経済にも相当のインパクトがあるだろうと予想される。およそ60歳までの医師と,60歳〜75歳(以上)の医師のあり方,社会貢献の仕方が違う可能性があるが,実際にはこうした高齢医師のあり方はこれまでまったく検討されていなかった課題である。参照されるロールモデルも英雄的な医師以外ないといっていいだろう。
しかしこのイノベーションを現実化するヒントは多数あるように思う。おそらく世代的には,省察力やレジリエンスは,それらに関する学習習慣が身についていれば,相当高い状態が維持されるのではないだろうか。そして,やはりICT,情報技術革命がキーとなる。高齢者として不可避な体力の低下を補うSocial networkなどのコミュニケーションツールを手にした高齢医師は,強いつながりStrong tiesと弱いつながりWeak tiesを双方活かして縦横に社会貢献するようなイメージをもちたい。
クロージング
近未来の医学教育を構想する上で,やはり日本社会の将来像と超高齢社会のありよう。そのなかで地域指向,連携重視,学び方の変化などのトレンドのなかで医師の生涯にわたる働き方も変容していくだろう。日本の将来はかならずしも暗いものではなく,発想の転換が必要だが,あたらしい社会の姿は構想可能だと思う。
[1]: 西村周三(2015). 大都市の医療・介護・福祉を省察するー医療経済の視点から 藤沼康樹編 大都市の総合診療 カイ書林 pp.29−48.
[2]: Boelen, C. Prospects for change in medical education in the twenty-first century. Academic Medicine, 1995; 70(7); 21-8.
[3]: 広井良典.「コミュニティの中心」とコミュニティ政策.公共政策.2008;5(3):48-72.
[4]: Saba W, et al. The myth of the lone physician: toward a collaborative alternative. The Annals of Family Medicine 2012;10(2): 169-173.
[5]: Seale C et.al. Comparison of GP and nurse practitioner consultations: an observational study.Br J Gen Pract 55; 2005: 938-943.
[6]: 藤沼康樹 吉田伸 「家庭医ってなんだ」週間医学界新聞 第3153号 2015
[7]: Boelen C. Frontline doctors of tomorrow. World Health, 1994, 47:4–5.
[8]: パトリシアクラントン:大人の学びを拓く(入江直子・美輪建二監訳)鳳書房 2004
[9]: 小嶋一. 日本におけるバリントグループの展開. 日本プライマリ・ケア連合学会誌34(2); 2011:167-170
(追記)このエントリーは2016年篠原出版新社より出版された「人工知能時代の医療と医学教育」に寄稿したものに加筆訂正を加えたものです