創発特性とプライマリ・ケア

 複雑性科学の最も魅力的な原理の1つは、複雑なシステムの動作が単純なルールで説明できる場合があるということだ。たとえば、鳥の驚異的に複雑な群れ行動は、以下の 3 つの単純なルールによって生み出されるといわれている。

  • 整列:近くの鳥たちときちんと並ぶこと
  • 密着: 周囲の鳥たちの中に出現する中心集団に向かって進むこと
  • 別々:衝突し​​ないように、隣の鳥と等距離になるようにすること

 

  さて、Etzら(1)は、現代における医療の主流コンセプトや組織化、評価測定法は、実はこの鳥の群れと同様に以下の3つのシンプルなルールから生成されているという。これらは専門医の行動原則であるともいえよう。

  • 治療対象となる疾患を同定し分類すること
  • 各科の専門的知識による解釈すること
  • 治療計画を生み出し、実行すること

 確かに、専門医は患者が自分の専門分野である病気に罹患しているかどうかを特定し、その専門知識に焦点をあてる方法で対象の病気の診断と治療することが中心的な仕事である。このやり方は、単一の問題に繰り返し集中することで構築された知識や技術を必要とするタイプの患者にとっては非常に有用である。しかし、この専門医のルールをシステム全体、特にプライマリケアに適用すると、ケアが断片化され、高コストかつ低価値になる危険性がつきまとうことになるだろう。

 では、プライマリ・ケアの特徴といわれるもの、たとえば全人性、継続性、包括性、回復と癒やしの提供、地域指向性ケアなどを生み出すルールはなんだろうか?プライマリ・ケアチームが毎日対応している健康問題の集積や、患者の年齢・性別ごとの数、かかわるスタッフの労働時間など、いわゆる診療統計や活動記録をいくらつみかさねても表現できないこれらの特徴は、なぜ生じるのか?Etzらは以下のシンプルなルールがこうした特徴を生み出していると主張している。

  • 幅ひろい多種多様な問題点や関わりの機会を認識すること
  • 健康、癒やし・回復、様々なつながりを促進することを目的とした関心や行動を優先すること
  • 地域という文脈の中で、個人あるいは家族の特性に基づく個別化されたケアを行う

 この3つのルールはまさに真正のプライマリ・ケアを実施するチームの特徴でもあり、ジェネラリスト医師の行動原則そのものであるといえる。そして、このルールは表面的にプライマリ・ケア活動をみているだけではみえない。

 これらのルールがあって、初めて複雑なシステムであるプライマリ・ケア活動の創発特性としての全人性、継続性があらわれてくるのだ。であってみれば、総合診療医・家庭医の教育はこの3つのルールを中心に実施されねばならないのだ。

 

(1)Etz, R., Miller, W., & Stange, K. (2021). Simple rules that guide generalist and specialist care. Family Medicine, 53(8), 697-700.

 

the typhoon has passed

初期臨床研修医へのメンタリングをはじめました

 今年度から、実験的に各地に散らばっている数名の初期臨床研修医への遠隔メンタリングをやらせてもらってます。具体的には大体2ヶ月に一度、リモートで1時間~1時間半くらいのマンツーマンのセッションです。

 

 セッション前に準備してきていただくこと(プレゼンテーションをつくっていただきます)は以下のようになります。

1.この間のスケジュール一覧(月間と週間)

2.経験ログ一覧(受け持ちケース、救急対応ケースなど)

3.達成できたと思うこと、10項目

4.今ひとつ不十分で課題として残ったこと、10項目

5.2ヶ月間で感情的にゆさぶられたことと、それに対するハンドリングをどのようしたか、2~3例

6.次の2ヶ月の目標

7.特に印象に残ったケース、あるいは相談したいケースを1例

 

 このプレゼンを聞きながら、わたしから問いかけをしていきます。そして、この問いかけは、相当なスキルが必要だなという印象です。これまでのプロフェッショナル生活がかなり反映するのと、「指導」とか「フィードバック」ではないという意識が必要になります。

 いずれにしても、私自身も学びになりますし、また研修医の皆さんの感想も概ね好評のようです。

 費用に関しては私自身の経験蓄積と学びの意味が大きいので、コーヒー代として1時間1000円程度の負担をお願いしています。

Flowering is earlier than usual this year


2023年からやるべきことを考える

 A Happy New Year !

 2022年はウクライナ戦争の衝撃や国内の暗殺事件、そして円安やその他様々なスキャンダルで、特に政治経済面では様々なショックや言語化できない葛藤や不安が多く自分の中に生じました。ただし、ポップカルチャー面では配信や映画、アニメや音楽にみどころ、ききどころのあるよい作品にめぐりあえて感謝でした。

 2023年は医師生活40年、家庭医生活30年、指導医生活35年ということになり、ずいぶん時間が立った感あります。が、2022年9月よりはじめて12月に終了した個人のプロジェクトとしての「家庭医療ぶっ込みツアー2022」というリモートレクチャー&交流イベントを18回(18大学の有志医学生さん対象)をやりきることができたことは、自分自身の認知・パフォーマンスのあらたな側面に対しての自信を得たことと、此処から先10年やるべきことが見えたような気がします。「まだ、やれそうだな・・・」感を得ることができました。

 今後は、現場におけるダイレクトケアはもちろん重要ですが、それ以上に教育・指導や交流、ファシリテーションやメンタリング活動を増やすべきだというふうに考えています。また、その方面での学習や研究もあらためて追求していきたいと思っています。

 2023年もどうぞよろしくお願い致します。

new year sea

業界に関して最近思い出すことなど

 2010年に日本プライマリ・ケア学会と総合診療医学会と家庭医療学会の3学会が合併したとき、それぞれの学会や学会員のアイデンティティをそうとう組み直すことが必要でした。そして、合併自体に反対していた人もたくさんいましたし、ある種の血も流れましたし、結果様々なルサンチマンがうまれました。

 合併をきめる総会のときには「命をかけてこの合併を阻止する」っていう発言をする方もいらっしゃいました。さすがにそこまで自分と学会を同一視するのは病的ではないか・・・と僕は思いましたが、そういう方たちがいたことも確かです。そして自分自身がこの合併作業に直接かかわっていたのですが、学会って医者にとってそれほどの存在証明なのか・・・という驚きもありました。

 この合併に伴い、僕が主たる活動の場としていた家庭医療学会は学会名を捨てました。家庭医療という言葉を愛していた人たちのあいだでは、寂しさとともに新家庭医療学会つくろうという動きも一部にあったくらいですが、そこは全体の大義に従ったということでした。実地医家の方たちもより学術色の強い学会に変貌する方向性が示されていたため、自分たちの昭和的安心コミュニティではなくなった印象をもって離れていった方たちも多かったです。また、総合診療医学会に運営にたずさわっていた方たちは合併派と反合併派が半々だったという印象です。ちなみに合併と同時に生まれたのが病院総合診療医学会です。これは大学独自のニーズで生まれました。
 とにかく病院で総合診療やっていた医師、当時ニューウエーブだった家庭医、伝統的な実地医家がアイデンティティをなんとか組みかえて一緒にやろうってことでした。それは合併しないと先にすすめないっていうムードがあったわけです。もともと学術団体として力量の弱いものたちが、こまかくわかれてちまちまやっていることは、未来にむかう姿を示すことにはならないという大義です。
 そして、合併のプロセスで様々にとびちったルサンチマンや自己証明の欲望が合併した学会へのアンチに表現型をかえていったっていうのがリアタイでその渦中にいた僕のの実感です。そしてアンチ合併の一部の人たちが某機構の欲望とむすびついて、さまざまな首をかしげざるをえない動きがはじまったというのが、この6年くらいのながれでしょうか。
 アイデンティティポリティクスと権力欲求、そして自分探しは常に世の中にあるので、再びいろんな学術コミュニティが名乗りをあげているのは、まあ致し方がないところだとは思っています。
 ただ、一部で相対的に規模の大きいJPCAが考えの違うレイヤーを排除しているっていう言説があるようですが、それは歴史的には違いますし、JPCA=家庭医、病院総合診療学会=総合診療医、地域医療学会=地域医の学会っていう分類もされるようになっているですが、僕はそんなに単純ではないと思っています。

 

path in the mountains

家庭医がブラウジングしたい海外ジャーナル

 私が家庭医として海外のプライマリ・ケア関連のジャーナルを読むのは、主として新しいコンセプトや問題設定を知るところにあります。いわゆるCritical Appraisalはしません。大抵はタイトルをみて、アブストラクトを読み、わからないタームを知りたいときのみイントロダクションを読み、大体理解できたらそれでおしまいです。論文自体を批評的に(必要なとき以外は)読むことはしません。
 以下のジャーナルは、こうしたブラウジングを定期的に実行することを心がけているものです。プログレッシブな家庭医、研究や教育に関心のある家庭医におすすめしたいリストです。
 
Annals of Family Medicine
 
British Journal of General Pratice
 
BJGP Open
 
BMC Primary Care
 
Journal of General Internal Medicine
 
Family Practice (Wonca Journal)
 
Family Medicine(STFM Journal)
 

floating cosmos flowers

 

家庭医的問題リストとはなにか?

 外来診療の場面でのカルテ上の問題リストですが、たとえば80歳女性の患者さんを想定すると、よくみるタイプというか、大多数が以下のような書き方になります・・・

 

問題リスト(一般的なもの)

間質性肺炎

#高血圧症

#2型糖尿病

認知症の疑い

脳梗塞後遺症・左不全片麻痺

既往歴

5年前 右脳梗塞

12年前 胃がんで胃切除

背景

#50歳の息子さんと二人暮らし

#要介護1

 

 これを家庭医的に書き直すと・・・

問題リスト(家庭医的なもの)

1.80/50世帯

2.Frail Elderly

Stroke survivor、要介護1、入浴はデイサービスを利用

3.安定した間質性肺炎

4.2型DM、高血圧症

コントロール目標はHbA1c8%前後

5.Cancer survivor

6.Personal health resourceは東京ロマンチカ

 

 この家庭医的問題リスト作成のポイントは、重要度ランクあるいは優先順位を表現することで、そのために順位(ナンバリング)をつけること。そして、BioPsychoSocialな様々な問題点を「等価値」なものとして評価することです。つまり、安定した間質性肺炎と80/50世帯の、どちらが優先度が高いかということを「あえて」考えることが家庭医としては大切なのです。よくきく「まず、Bioの問題は◯◯、Psychoの問題は◯◯で・・・」といった言説はある意味で「内科医的」であって、家庭医的ではないのです。

 家庭医療のトレーニング、特に診療所や在宅医療の場では、患者の問題リストの立て方の脱構築を、私は重視しています。病院病棟医療に必要な問題リストの立て方はプライマリ・ケアにおいてはそれほど有効ではないと考えています。

vacant house

診療中こんなことを考えています

 50年以上CP(脳性麻痺)の娘さんを介護していた80歳の女性を診ました。最近娘さんは施設に入所したのですが、娘さんがいなくなって、はじめて介護自体が自分を生かしてきたのだということに気づいて、「これからいったい何をしたらいいかわかなくなってしまった」とのことでした。家族をはじめ周りからは「時間ができたのだから、いろいろ楽しいこと、なにかあたらしいことをしなさい」といわれるが、出来ない自分がつらいとのことでした。

 ここで私は米国の家庭医Robert Taylor先生のRetirement(定年や退職)で悲しげな表情を浮かべている患者さんに対するアドバイスのあり方に関する記述を思い出す。家庭医療学のテキストブックの記述です。長く続けた仕事からリタイアすると、つい温暖な地域に転居しようとか、あたらしい突飛なことをしようとするが、それは家庭医としては止めなければならない。転居や突飛なことをやることによって、これまで自分にとってきづかなくても重要だった所属コミュニティや人との関係をたちきってしまうことの危険性を指摘しなければならないってことが家庭医療のテキストには書いてあります。シンボリックには「じっとそこに座っていなさい」ということばをかけなければならないということです。

 私はそれを思い出し「新しいことはしなくていいですよ。ただ、毎日淡々と普通にいつものことをくりかえしやればいいんですよ」とその患者さんにおはなししたところ、「そういうふうにいってくれるひとははじめてです。それでいいんですよね、安心しました。ありがとうございます」と安堵の表情をうかべていました。あたらしい生活ルーチンやリズムは坦々とした日々の生活から派生してうまれてくるはず。ちなみに医学的問題は高血圧症のみです。Havi CarelやJoanne Reeveの患者主体(Self)の研究、特に日常ルーチンの重要性に関する研究も理論的にこうした診療を下支えしていると思います。

Fuyo flower