読書をソーシャルに結び付けられるか?

 読書というのは,日常的な,あるいはソーシャルなネットワークからいったん切れて,コンテンツに孤独に向かい合う楽しみのことである。したがって,読書自体をリアルタイムに共有することは難しい。読み終わった後にさまざま語り合うことは可能だが,たとえば音楽コンサートにいって,同じ体験をしたものどおしのコミュニケーションとはかなり異なるものになる。

 ただ,たとえば小説を読んだ後,それについて語り合いたいというような気分は,やはりソーシャルなものと結びつけたいきがしていて,たとえばブッククラブという形式に興味があるのでした。

 今回のPodcast配信は,そのあたりをゲストと探っています。

 

 

https://www.instagram.com/p/BYFXMwfAhBm/

あったな~

soundcloud.com

ポッドキャスト再発見

 この2ヶ月はブログの更新ができずに申し訳ありません・・・

 じつは,このところPodcastというメディアに非常に興味を持ちまして,いろいろ調べたりトライしたりしておりました。むろん昔からその存在は知っておりましたが,最近あるきっかけから,雑談や対談系のポッドキャストで,とくにエンジニアに方たちが運営されているものに注目しています。例えば,RebuildやBackspace.fmのようなものです。内容も面白いのですが,対話や雑談は特に音質がいいと,とても癒やしてきな効果があるような気がします。また,ながらで聴くことも可能なのも,動画とちがって魅力があります。

 自分でもできないかなあ・・・と考え,マイクやミキサーを購入したりして,いろいろ試しています。とくに,SoundCloudのサービスがポッドキャストと連携していることを知り,開始のハードルがかなり下がりました。

 やっと念願の対談・雑談型のコンテンツをつくることができたので,ここにアップしておきます。

 今後発信は,Blog,Podcast,あとSNSでやっていこうと思っています。

 あと動画ブログ,すわなちVLOGにも興味があるんですが,これをやりはじめると,そうとう生活に支障がでそうなので,ちょっと控えておこうと思います。

 

soundcloud.com


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ブログ開設4周年

 ブログ「藤沼康樹事務所(仮)」開設4周年を迎えました!

 この間と投稿数もあまり延ばせず,すくないエントリーでしたが,一つ一つのエントリーはかなり気合をいれて作りました。案外,投稿を楽しみにしておられる読者の方も結構いらっしゃって,嬉しいです。

 今後はこのブログを起点に,その他のメディアにも情報発信を目指したいと思います。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い致します。

https://www.instagram.com/p/BTgSkYPA5Ah/

グルーミング

家庭医療学と糖尿病診療の関係について

2型糖尿病と患者中心のアプローチ

 2012 年 及び2015[1]に、ADA(米国糖尿病学会)/EASD(欧州糖尿病学会)による 2 型糖尿病治療の新たな Position Statement (合同声明)が発表された。このガイドラインは「患者中心の治療」という考え方を取り入れ たことで,従来の「疾患の管理」に主眼のある治療ガイドラインとは様相の異なるものとなっている。このガイドラインにおける「患者中心の治療」とは「個々の患者のニーズや価値観,選好を尊重した治療」とされ,診療における意思決定は患者 の価値観に基づいて,患者の視点で行われるべきでとされている。

 さて,家庭医療においては,あらゆるプライマリ・ケアの診療場面において,この患者中心性をCore value1つとして位置づけ重視してきた歴史的経過がある。また,家庭医の間では「糖尿病ケアには慢性疾患ケアの全てがある」という認識があり,レジデンシー(専門医養成過程)や生涯学習でも重要な課題として位置づけられてきた。

 このエントリーでは,家庭医療学及び家庭医の診療について概括し,現代の糖尿病診療に資することを目指したいと思う。

 

家庭医療学は実装科学である

 家庭医療学(Family Medicine)を定義するならば「質の高いプライマリ・ケアを効率的・効果的かつ公平に地域に提供することに資する学問領域」ということになるだろう。従って,家庭医療学はヘルスケア・システム,診療の質,費用対効果,公平性,地域などに関する多彩な学問のハイブリッドであるといえる。

 例えば,心房細動治療のエビデンスとして抗凝固療法の有効性が提示された後,その治療がプライマリ・ケア現場に適用される際の障壁となるバリアー因子を調査・介入を行い,抗凝固療法に対する忠実度(Fidelity)を改善させる研究がある。こうった研究は,実際にプライマリ・ケア現場でそのエビデンスがもたらすアウトカムの測定といった第二世代橋渡し研究であり,実は家庭医療学の研究体系に包含されるものである。つまり,家庭医療学は自然科学の一分野ではなく,プライマリ・ケア領域における実装科学(implementation science)とみなすことができるだろう。

家庭医療の原理

 家庭医療の原理というときの「原理」とは,なんらかの基礎科学領域(例えば解剖学,生理学)から演繹的にみちびきだされたものではない。衆目一致して地域から信頼されているプライマリ・ケアに関わる医師の診療自体を収集し,帰納的にみちびきだされた認識や行動の理論=行動原則(Principles)という意味で「原理」という言葉を使っている。

 代表的な家庭医療の「原理」は,Saultz[2]が提唱している近接性,継続性,包括性,協調性,文脈性の5つの要素である。これらは,プライマリ・ケアを実施する家庭医・スタッフ,医療施設,医療システムがよりよく機能するための指針といったものである。

近接性:アクセスしやすいということを意味する。居住地から近く,そこにいけば馴染みの医師あるいはスタッフに相談にのってもらえるということである。一方なぜアクセスしにくいのかを考えることも重要で,地理的条件,施設側,制度・システム側,地域住民側の要因等をどのように最適化するかが課題となる。

継続性:同じ医師がある特定の慢性疾患を継続的に診ると言うことだけを意味しない。例えば,数年間健康問題が生じず来院しなかったとしても,なにかあったらまたこの医師に相談しよう」という保健医療上のリソースとして,患者に位置づけられているならば,対人関係における継続性が維持されていると捉える。そのような継続性を提供できるようなコンピテンシーの獲得が家庭医教育のおおきな焦点の一つとなっている。

包括性:診療の幅広さを意味するが,現代日本では高齢者の多疾患併存状態(Multimorbidity)のケアに関して特に課題になる。各疾患をごとに専門医が担当し,それぞれが疾患ガイドラインで推奨されている検査や治療を実施するような分断されたケアは,多剤投薬をはじめ患者負担を大幅に増やし,QoLを低下させる[3]。ジェネラリストである家庭医がMultimorbidityのケアの担い手になるためにもこの包括性を獲得するためのトレーニングが必要である。

協調性:日本は地域包括ケアの時代となり注目される領域である。様々な医療機関介護施設の施設間連携に関する垂直統合と,地域における多職種連携によるケアの実践である水平統合という2つの統合の中で,チーム内の権威勾配に自覚的なりながら医師としての役割を果たすことが求められている。

文脈性:文脈(context)にもとづいて,様々な判断をすることである。個人のライフヒストリーや価値観と言う文脈,家族と言う文脈,そして地域や制度と言う文脈のもとでケアを実践することを意味するが,これは後述する患者中心性と深く通底するものである。

 

家庭医の臨床的方法論 患者中心の診療~共通基盤の形成

 McWhinney[4]は,地域で衆目一致して「優れた家庭医」の診療は,疾患の医学的診断と同時並行的に,症状や問題が患者自身にとって,どのような意味があるのかを探っていると観察研究を通じて明らかにし,生物医学的な診断プロセスであきらかになる次元を「疾患=Disease」,患者自身による現在の症状や問題の定義を「病い=Illness」として,疾患と病いの両面へのアプローチが家庭医の診療の特徴的な構造であることを提示し,疾患と病いへの統合アプローチを患者中心の医療の方法(Patient centered clinical method)と命名した。

 患者中心の医療の方法で目標は「共通基盤の形成」であり,医師と患者の間で,「何が問題なのか」「診療の目標やゴールは何か」「そのゴールに到達するためにお互いがどんな役割を果たすのか」の3点ついて合意形成することである。この共有化された意思決定(Shared decision making)は,「患者の問題を定義するのは医師である」あるいは「患者の治療方針を決定するのは医師であり,患者は医師の指示に従えば良い」といった医師中心の診療プロセスとは根本的に異なるパラダイムにある。

 こうした臨床的方法論に役に立つツールとして,解釈モデル,高齢者総合機能評価,家族と個人のライフサイクル,健康の社会的決定因子,健康生成モデルなどが取り上げられるのが家庭医の教育の特徴でもある。

おわりに

 患者中心性を重視する現代の糖尿病診療において,家庭医療の教育や研究の成果が貢献できることは少なくないと思われる。今後の有機的なコラボレーションを今後目指していきたい。

[1]: Inzucchi, S.E., Bergenstal, R.M., Buse, J.B. et al. (2015) Management of hyperglycaemia in type 2 diabetes, : a patient-centred approach. Update to a position statement of the American Diabetes Association and the European Association for the Study of Diabetes. Diabetologia 58: 429-442

[2]: Saultz JW (2001) Textbook of family medicine, McGraw-Hill, Medical Professions Division p1-36

[3]:  Fortin M (2012) A systematic review of prevalence studies on multimorbidity: toward a more uniform methodology. The Annals of Family Medicine 10(2) : 142-151,

[4]: Stewart, M (2003 )Patient-centered medicine: transforming the clinical method. Radcliffe Publishing, p17-30

 

(このエントリーは,糖尿病 Vol. 60(2017) No. 5に寄稿したものに加筆訂正したものです。)

https://www.instagram.com/p/BTgTxU8g6Mt/

昼寝

小説よまない家庭医にすすめたい恋愛小説「マチネの終わりに」

 今回は私が注目して,フォローしている現代作家平野啓一郎氏の手による小説で,2016年の話題作でもあった恋愛小説「マチネの終わりに」(毎日新聞出版)を取り上げます。この作品は,アラフォーの天才クラシック・ギタリストの蒔野と,同じくアラフォーで紛争地ジャーナリストであり,クロアチア人の有名映画監督を父にもつ洋子の恋愛模様が描かれます。また,中東紛争,難民問題,東日本大震災そしてサブプライムローン問題など様々な世界情勢も物語をドライブする要素として盛り込まれます。
 平野氏の小説群は,昨今の会話を中心とした小説と違って,描写を駆使して物語を進めていくタイプの文体なので,気軽に流し読めるタイプのものではないのですが,文章自体は冗長さがないので,ちょっと精神を集中すると,一気に物語にはいりこんでいけます。
 物語自体は比較的シンプルといえます。二人が出会う⇒お互い惹かれあう⇒すでにいるパートナーの関係に悩む⇒すれ違う二人⇒別れる⇒お互いもとのパートナーと家庭をもつ⇒すれ違った真実の理由が明らかになる⇒再び二人が出会う⇒余韻をのこして終幕,といったストーリーで,物語自体は,よくあるパターンのものといえるでしょう。むろん,その間に蒔野の師匠,同僚の死,ギタリストとしての停滞,洋子の父との和解などのエピソードが盛り込まれるのですが,それを単に通俗的なものがたりにおわらせないのは,文章のちから,特に描写力によるところが大きいと思います。単に懐古趣味的な美文ではなく,現代性をふかく追求した帰結としての描写です。また,40代というライフサイクル上の移行期の困難性もよく描かれているなと思います
 実は蒔野と洋子は,ほぼ3回くらいのFace-to-Faceの時間の共有しかなくて,しかもほぼ「会話のみ」で,熱烈な恋愛関係になりますが,この会話のやりとりが非常にスリリングで,魂に触れる言その人の核心にいたる会話というのが,具体的に存在するのだという実感が得られます。おそらく洋子は蒔野の音楽をもともと知っていたこと,蒔野も洋子のルックスに惹かれたということを前提に関係がはじまってはいるのですが,コミュニケーションが人の人生にこれほどの影響を与えうるのか,という発見がありました。
 また,洋子が長く離れていて音信不通(亡命に近い状態)だった父親と,海辺で和解する場面には,むしろ父親の年齢に近い自分としては,かなりこころを揺さぶられました。そして,最終章では,二人はそれぞれの職業的キャリアの頂点にいるのですが,ニューヨークの公園の池の畔で数年ぶりに再会する場面の描写の美しさは印象的です。
 

 以下はちょっと蛇足ですが・・・

 プライマリ・ケアは異なる人生に出会う仕事であり,また個人から地域にいたるまで,様々な物語に出会う仕事でもあります。また、人間は苦痛や苦難と折り合いをつけるためになんらかの物語構造にそれを取り込むことで乗り越えようとします。たとえば、かぜをひいてしまったとき、「あの時に雨に打たれて帰宅したせいだ」、がんの病名を告知されたとき「なぜ自分がいまガンになってしまったのか、あの時のあの事件のせいではないか」といった物語の構造をもった解釈をしようとするものです。また、神経難病と長く生きてきた患者は「病気と折り合うための心構え」といった物語を語ることがあります。おそらく、医療、ケアの場面において、物語はキーとなる働きをしているものです。
  小説やマンガなどを読める力は職業人生のなかで残念ながら徐々に失われていきがちですが,依然として医療者にとって必要な力だと思います。「マチネの終わりに」は,「最近小説なんかぜんぜん読んでいないよ」という方が、物語の面白さを再発見できる、おすすめしたい一冊です。

 

(このエントリーはプライマリ・ケア連合学会実践誌2017年春号に寄稿したものに一部加筆訂正を加えたものです)

 

https://www.instagram.com/p/BTsDjirgug3/

アンティーク

 

米国の家庭医療専門医制度から学ぶべきものを再考察

 

 

 はじめに

 プライマリ・ケアに携わる医師のトレーニングは、常にその国や地域のヘルスケアシステムから要請される医師像に依拠するものである。しかし、例えば心臓外科医ならば、心臓外科医にもとめられるコンピテンシーはヘルスケアシステムに依存することなく設定されるだろう。なぜなら、心臓外科医は、どの地域、どの国でも行う仕事は基本的に同じだからである。プライマリ・ケアを専門とする医師は、そういう点でSystem-oriented specialtyであるといえるだろう。従って、米国のプライマリ・ケア専門医の一つである家庭医療専門医研修プログラム(以下レジデンシーと略す)のアウトカムやカリキュラム、そしてトレーニングシステムをそのまま日本に適応することは不可能である。しかし、米国のレジデンシーには、家庭医療が専門科として認められるようになってから、時代の変化に応じて、家庭医が果たすべき役割を検討し、質の向上に取り組み、様々な教育上のイノベーションを展開してきた歴史がある。

 

米国家庭医療の歴史

 Taylor[1]は米国家庭医療の歴史を3つの時代区分があるとして、その時代の背景、家庭医療の状況、その時代に必要だったリーダーシップのタイプについて論述している。

The early years 1960年代~70年代後半 黎明時代 ゲリラ、戦士型

The growth years 1970年代から90年代 成長時代 マネージャー型

The emerging years 1990年代後半から現在まで あたらしい時代 ファシリテータ型

 米国には、過度の専門分化により身近に質のよいかかりつけ医が失われているという市民団体の問題提起を受けて、国家として家庭医療の専門医を発足させた歴史がある。

 世界的にみても、医学界内部からジェネラリストの必要性を認識し、その教育や研究を切り出して部門として独立させたという歴史はないといってよい。英国のNHSにおけるGPの役割は政策から生み出されたものである。2015年現在、日本における総合診療の専門性の確立に関しては、市民レベルと政策レベル双方から期待されて進んでいる事は、これまでの各国の経験と相似であるといえるだろう。

 さて、米国では1960年台に入って、公民権運動、女性解放運動、ベトナム反戦運動などに象徴される時代背景をもとに、市民運動として家庭医療の確立が求められるようになったことは前述したとおりである。家庭医療は当時の医学エスタブリッシュメントに対するいわばカウンターカルチャーであり、その推進者はファウンダーらしい独特の個性とある種の野蛮なリーダーシップを兼ね備えていた。

 その後、多くの医学生がレジデンシーに参入するようになり、急速に家庭医療の展開規模が大きくなり、診療、教育、研究いずれも大きな展開がもとめられる状況になり、有能なマネージャーがリーダーとして必要とされた。その後米国の医療環境が変化するにつれ、家庭医療の道をえらぶ医学生が減少するようになったが、様々な交渉や変化に適応し、連携やイノベーションを生み出すことが求められるようになり、組織ファシリテータとしての役割がリーダーに求められるようになっている。

 

米国家庭医療の動きから何を学ぶか

 外からみると米国の家庭医療には盤石の基盤があるようにみえるが、必ずしもそうではない。英国のようにヘルスケアシステム(National health service)上、GP(家庭医)の役割が明確に位置づけられているがゆえに、存立基盤に関して根本的な問い直しを必要としない国と違って、ある意味で米国の家庭医療は存在論的不安につねに直面しているといってよいだろう。常に自らの現状を見つめなおし、課題を設定し、改革を行い、評価することを継続し続けてきた。その改革の取り組みの経験から、日本がプライマリ・ケアの再編を構想するために学ぶことは極めて多い。

 では、日本のプライマリ・ケアは米国家庭医療の試みからどんなを学ぶことができるだろうか。ここでは、2000年代前半よりに米国家庭医療学会が一貫して重視し、取り組んでいる患者中心のメディカル・ホーム(Patient centered medical home:PCMH)のプロジェクトを紹介する。次に、PCMHに適した家庭医療専門医を養成するためには、従来のレジデンシープログラムの改革が必要であるという認識から、イノベーションをとりいれたレジデンシープログラムをサポートし、その成果を測定するプロジェクトであるPreparing the Personal Physician for Practice :P4について解説する。さらに、家庭医資格の維持と生涯教育を連動させようとする資格更新制度を紹介する。

 ヘルスケアを取り巻く様々な環境の変化に対して米国の家庭医療界がどのように対応し、未来を切り拓こうとする試みである。これらが超高齢社会など激変する日本のヘルスケア環境において総合診療の果たすべき役割やそのための教育についてよい示唆を得られるだろう。

 

患者中心のメディカルホーム:MCHC

2000年に入って、米国のヘルスケア改革のプライオリティに関して議論がなされ、以下の問題が指摘されている[2]

  • ヘルスケア・システムの質が国際的にみて低い(当時WHOの評価では191カ国中37位)
  • 医療の効率が悪い。多くの患者が必要な検査を受けていない、また逆に不必要な検査や手技も多い
  • 医療費が高騰している
  • 医療へのアクセスが悪い。無保険者の問題だけでなく、保険があっても医療にアクセスするためのバリアが様々存在する。
  • ICTも含めてオートメーション化のスピードが遅い

 こうした問題群の解決のためには、プライマリ・ケア基盤型のヘルスケアシステムの構築が必要であると米国家庭医療学会は提案し、イノベーティブなソリューションとしてPCMHが定期された[3]

 PCMHの起源は、様々な医療機関に分散された小児患者の診療情報を一冊のカルテに集約するという、1976年に米国小児科学会の取り組みにある。そして、特別な医療ニーズのある小児のケアが様々な施設に分断されていた状況を改善させるために、医療保健上の「我が家:ホーム」に情報をまとめ、よく組織化されたケアを提供できるようにしようという運動をメディカル・ホームと呼ぶようになった。2002年にメディカル・ホームのコンセプトがより具体的な診療構造に拡張された[4]。2007年米国小児科学会に加えて、米国家庭医療学会、米国整骨医学会、米国内科学会が共同で、あたらしいレベルのプライマリ・ケアを記述するための表1のようなメディカル・ホームの原則(構成要素)を発表し[5]、患者中心のメディカル・ホーム:PCMHと呼ぶようになった。

表1 メディカル・ホームの原則

*かかりつけ医がいること

*医師が責任をもつ専門職連携実践

*全人志向がキーとなる包括ケア

*複雑なヘルスケアシステムの構成要素のコーディネーション

* 医療の質改善と安全性の意識的追求

*PCMHの価値をよく評価した従来と違う支払い方式

 

 米国においては、こうしたPCMHを普及し、すべての国民が自らのPCMHを持つことによって、より良い健康の実現、より良いケアの提供、より少ないコストの3つの目標を達成することができるのではないかと期待された。また、PCMHの普及はプライマリ・ケアを提供する施設の組織化、労働環境、労働満足度が改善も期待されていたようである。このプロジェクトは現在の進行中であるが、その成果も徐々に明らかになりつつある。

 

教育のイノベーションP4

 さらに注目したいのは、PCMHを自らのもっとも中心的なプロジェクトと位置づけた米国家庭医療学会は、家庭医療専門研修プログラム(レジデンシー)がPCMHに必要なかかりつけ医(Personal physician)を養成することをアウトカムとして、さまざまな教育的イノベーションを採用した14のレジデンシーを追跡調査し、その成果を評価するプロジェクトを2007年から開始した。これは、Preparing the personal physician for practice:P4と呼ばれる[6]

 従来の米国の家庭医療レジデンシーは、3年間で各科ローテーションをサイクリックに行うということが基本構造であった。特に各科の経験の積み上げによりジェネラリストを構築することがジェネラリストの教育法として想定されていたが、それが時代に合わなくなってきたという反省もあった。

 従来の米国家庭医療レジデンシーの構造は以下の要素が必須である。

  • 基本的に3年間
  • 3年間と通じて実施する家庭医療センターにおける継続外来
  • ブロックローテーションでの専門科研修(数週~2ヶ月)
  • 一般内科、家庭医療科病棟、小児科、救急科、外科、整形外科・スポーツ医学、産婦人科
  • その他施設の特徴を活かしたローテーション

 次にP4として採用された14のプログラムのイノベーションのうちいくつかを紹介する(表2)。

 

表2 P4に参加した家庭医療レジデンシー-の改革ポイント

 レジデンシー名

       イノベーションのポイント

 Lehigh Valley

 従来のような大型の(診察室が数十あるような)家庭医療センターではなく、コミュニティで活発に医療活動を行っている小規模の診療所で、レジデントに継続診療の経験を保証する

 Tufts University

 医学情報の取り扱いや情報を効果的に組織化するトレーニング(EBMトレーニング等)を縦断的かつアウトカム基盤型カリキュラム

 Middlesex Hospital  

 レジデンシー期間を4年として、予防医療と慢性疾患マネージメントに重点を置いたカリキュラム

 Baylor University

 レジデンシー期間を4年として、MPH(公衆衛生学修士)の同時取得を可能とし、国際保健あるいは入院医療と参加ケアを重視したカリキュラム

 West Virginia University Rural

 レジデント1年目を医学部4年でスタートさせる、へき地家庭医養成プログラム。慢性疾患マネージメントの縦断的カリキュラムを導入

 Christiana Care

 外来診療においてレジデントが指導医(メンター)とチーム組んで、重点領域を研修するカリキュラム

 University of  Rochester

 「理想的マイクロプラクティス(極小規模診療所)」を家庭医療センター内に設置する。指導医とレジデントがそこにおいて、重要な領域に関するあたらしい診療モデルを実践する

 Cedar Rapids

 レジデント2年目、3年目はローテーション方式をやめて、より継続ケアの経験を増やす

 Loma Linda University

 レジデンシー期間を4年とし、MPHコースと統合しつつ、医療に恵まれない人たちへのケアの経験を重視する

 Hendersonville  

 大型家庭医療センターからへき地の家庭医療診療所のネットワークに主たるトレーニングの場を移行

 

 P4における各種教育イノベーションは以下のように整理できると思われる。

  • 細切れでない縦断的なカリキュラム構築
  • プログラムの期間を従来の3年から4年に延長
  • 臨床能力の評価において学習ポートフォリオを活用
  • チーム基盤型のケアとその中でのトレーニング(専門職連携実践)
  • PCMHの原理に基づく診療所の再構築
  • 慢性疾患マネージメントの重視
  • 地域の小規模診療所をトレーニングの場として採用
  • 地域ケア、あるいは特定の人口集団へのケアを重視
  • 小グループ学習の導入
  • 入院医療のローテーションを減らし、診療所でのトレーニングの時間を増やす

 

 実は、これらは米国家庭医療レジデンシーの教育上の問題点として指摘されていた以下の項目に対する改善策ともいえるものである。すなわち、

  • カンファレンスでの教育は受身型のことが多く、成人教育の原則が適用されていないことが多い
  • 診療所運営や経営へのかかわりが少ない
  • プライマリ・ケアの専門トレーニングであるにもかかわらず、治療医学(キュア)が過度に重視されている。
  • Solo Practice或いはLone Physician[7](孤高の医師像)を想定したトレーニングが中心で、チームや専門職連携(Interprofessional work)の中の医師という役割を自覺することが少ない

 P4の視点は、日本において総合診療専門医プログラムを地域の実情にあわせて構築する際に示唆に富むと思われる。

 

家庭医療専門医資格の維持と生涯教育システム

 専門医資格の再認定は、その専門医制度の確立当初から、米国家庭医療学会が重視してきた制度である。従来は7年おきに書類提出とMCQの合格で資格更新とされていたが、この方式では、本来の再認定の目的、すなわち継続学習: Continuing Professional Development:CPDにより、医療の質保障を行い地域住民の健康に寄与するというミッションにはなじまず、不評であった。

 現在はCPDのプロセスそのもので再認定しようという方向となっており。以下の4パートの領域について、3年間のモジュールを3回つみあげることで、10年に一度の専門医資格の更新を行う形式となっている[8]

 

Part I: Professionalism

 医師免許を維持するとともに、米国家庭医療学会のプロフェッショナリズム・ガイドラインに従っていること。

Part II: Self-Assessment and Lifelong Learning

 3年間で最低一つのセルフアセスメントモジュールを完了していることと。必要な生涯教育単位を獲得していること。

Part III: Cognitive Expertise

 再認定試験に合格すること

Part IV: Performance in Practice

 3年ごとの少なくとも一つの診療実績に関するモジュールを終了していること

上記の4つのパートは、CPDの本来の構成要素であり、極めて妥当性が高いと思われることと、米国家庭医療学会はこれらのパートの継続学習をサポートするシステムを各種構築している。

 日本においては、超高齢社会を迎えて、プライマリ・ケアを中心としたヘルスケアシステムの実質的な再編が進んでいる。あたらしい世代のためのあたらしい総合診療や家庭医療の専門医制度の確立がそのために貢献しうるが、充分ではない。おそらく従来型の専門医から転向したプライマリ・ケア医のあたらしい生涯教育プログラムの開発も急務である。そのために米国家庭医療の様々な教育的な取り組みから学び、日本における適用を考えていくことも有用であろう。

[1] Taylor RB : The promise of family medicine: history, leadership, and the age of aquarius. The Journal of the American Board of Family Medicine 19(2) : 183-190. 2006

[2] Leatherman S, McCarthy D : Quality of Health Care in the United States: A Chartbook. Commonwealth Fund, New York, 2002.

[3] www.aafp.org/valueoffamilymedicine (2017年6月2日確認)

[4] Medical Home Initiatives for Children With Special Needs Project Advisory Committee, & American Academy of Pediatrics : The medical home. Pediatrics 110 : 184-186, 2002

[5] American Academy of Family Physicians : Joint principles of the patient-centered medical home. Delaware medical journal 80(1): 21, 2008

[6] David, AK. Preparing the personal physician for practice (P4): Residency training in family medicine for the future. JABFM 20:332-341, 2007;

[7] Saba GW, Villela TJ, Chen E, et al : The myth of the lone physician: toward a collaborative alternative. The Annals of Family Medicine 10 : 169-173, 2012

[8] https://www.theabfm.org/MOC/index.aspx (2017年6月2日確認)

https://www.instagram.com/p/BTqce0FAgJx/

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省察的実践家としての家庭医

省察的実践家とは何か

 医師の専門領域の細分化は、患者にきめ細かなサービスを提供できるようになるという利点があるが、複合的・領域横断的な複雑な問題に対応できなくなるというリスクがある。現代において、細分化と患者ニーズの複雑化が同時並行的に進む中、医師のあり方、さらには専門家のあり方そのものが問い直されている。例えば、医療の安全性の問題、QOL重視の医療など現代的な課題を考えるとき、旧来の医療のパラダイム、専門家パラダイムでは対応できない問題に直面しているともいえる。


 さて、専門分野の体系化された標準知識や原理をまず学び、これを現場の問題に「合理的」に「妥当性」をもって適用し、そうした経験を反復していくことで熟達していく専門家像(technical expert:技術的熟達者)が従来の専門家像であった。これは医師に関しても例外ではない。マサチューセッツ工科大学のドナルド・ショーンは、こうした専門家像に対抗した専門家のモデルとして、省察的実践家(reflective practitioner)というモデルを提唱した。
 ショーンの「専門家の知恵」(ゆるみ出版 2001年)によると、「現場で実践する専門家」の本当の専門性とは、現場の実践のなかに存在する「知と省察」それ自体にあるという。実践する専門家は自分のそれまでの知識や技術、能力、価値観を超える問題に直面した時、不安や戸惑いを感じる。この状況を突破するために、それまでの経験を総動員して何か行動を起こし、直面する状況に変化をもたらす。問題をなんとかしのいだ後に、今回直面した状況の変化を評価し、教訓(実践の理論)を導き出す。この繰り返しによって、「状況と対話」し、「行為の中の省察」を通じて、専門家は自ら学び、解決策を身につけ、発達していく。これがショーンのいう専門家モデル=省察的実践家である。

省察的実践家をどう育てるか
 省察的実践家理論は、医学教育において非常に大きな意味をもっている。それは、ショーンは、こうした反省的実践家を育てるためにはどういう教育が必要かを検討しているためであり、この教育モデルは、これまで日本の医学教育では、重要でありながら、軽視されてきた領域に光を当てるものだからである。
ショーンの教育論を筆者らが医学教育に適用したモデルを提示してみよう。

 

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 上の図は筆者らがショーンの省察的実践家の発達モデルを医学教育に応用するためにあえて簡略化したものである。この図のプロセスを説明しよう。

1. 医師は、フォーマルに学んだ知識や技術と、それまで蓄積した経験から得た実践の理論(theory in practice: clinical pearls, コツ、自分の基準などと称される)が統合された「zone of mastery」の領域に基づいて、毎日の業務を行っている。その時点でのzone of masteryで対処できる限り、医師は特にひっかかりなく時を過ごしていく。無意識に仕事がこなせる状態である。
2. しかし、医療現場では予想外のこと「the unexpected」、あるいは驚き「surprise」に出会うことが多い。予想外の病状の変化、予期せぬ患者の怒り、自分が経験したことのない問題への対処、チーム運営の障害など、それまでのzone of masteryでは自然には対処できないようなことに医師はしばしば出会う。
3. さて、予想外だから、あるいは準備不足だからといって、その場から逃げ出したり、問題を放置しておいたりするわけにはいかない。医師は、それまでの経験や知識を総動員し、その問題に対処するためのヒントを見つけようとする。あるいは、テキストを読みなおし、インターネットを通じてあたらしいガイドラインを見つけようとするかもしれない。あるいはより経験のある医師、あるいは関連スタッフにアドバイスやを求めに走るかもしれない。いずれにしても、こうした予期せぬ出来事に対処しているその時に、なんとかその場を切り抜けるためにおこなう一連の振り返りを行為の中の省察(reflection in action)と呼ぶ。
4. ここまでは、仕事をする人なら毎日行っているプロセスであろう。しかし、ショーンは省察的実践家として成長するためには、この段階まででは足りないとしている。省察的実践家として成長する専門家は、この驚きや予想外の事態が終了したあとの振り返りをきちんとやっているという。この事後的な振り返りを「行為に基づく省察」(reflection on action)という。事態が終わった後に「あの事態はなんだったのか」「どういう意味があるのか」というテーマについて、できればチームや同僚で、忌憚なく話し合ってみることが重要なのである。そして、この振り返りから新たな自分なりの実践の理論を導き出し、また自分のプロフェッショナルとしての成長の課題を見出し、学びの次のステップを具体的に設定してみるということが、reflection on actionの目的である。特にこの次のステップの設定は最も重要なものであり、自分自身の課題を認識し言語化するプロセスを近年「行為のための省察」(reflection for action)と呼ぶようになった。
5. 驚きや予想外の事に関するこれら3つの振り返りを行うことで、zone of masteryの領域は増加し、自然に行える仕事のレパートリーが増え、実践する専門家として「ひと回り大きくなった」ということができるのである。そして、近い将来、また新たな驚きとの出会いと学びが生じることになる。

 

省察的実践家としての医師の教育法
 上記のサイクルを繰り返し行っていくことで、省察的実践家としての「現場の専門家」が育つ。このモデルから、医学教育や卒後臨床研修、さらには生涯研修にとって重要な示唆を得ることができる。すなわち、医師の教育においては以下のポイントを押さえておきたい。
1. 日常業務上の「予想外のこと」「驚き」を重視する
(ア) 臨床経験のなかのSignificant events(自分にとって重要に思えた経験、出来事)を抽出する。
(イ) 気になったこと、心配なことに関してこまめにメモをとって蓄積する
2. 行為の中の省察を効果的に行う
(ア) 現場での学習者への時宜を得たフィードバックで振り返りを援助する。
(イ) マイクロスキルなどのフィードバック技法を指導者が学ぶ。
(ウ) インターネットなど高速な情報検索環境をそろえる。
3. 行為に基づく省察行う
(ア) 事後的に構造化された振り返りを行うセッションを恒常化させる。
(イ) 起きてしまった過去の批評のみを行うのではなく、学習者の未来の課題に焦点を当てた「行為のための省察」を行う。

省察的実践家としての家庭医
 この省察的実践家という専門家モデルは、家庭医にとって極めて親和性が高いといえる。それはなぜだろうか。
 家庭医の定義は、特定の個人、家族、地域に対して、継続的にかかわっていく仕事である。「成人高血圧の1例」を治療するというよりは、〇〇さんと長くつきあうというニュアンスがより強いといえる。個別性の領域に入れば入るほど、複雑性、決定不能性の色彩が強くなる。大規模な臨床研究から導き出されたエビデンスガイドラインで示された推奨された治療法でも、具体的に〇〇さんにそのまま適用できるわけではなく、「薬をのむことは自分に負けること」という価値観を○○さんが持っている場合、どういう判断が適切といえるだろうか?
 家庭医の意思決定プロセスに関する質的研究 によると、意思決定に影響を与えるのは、エビデンスだけでなく,以下に列挙するように多くの要因がある。これらの要因に関しては、いわば正解の無い、不確実性に満ちた領域である。技術的熟達者教育のように、なにか特定のコースを受講したり、文献をよんで原則を理解することだけでは、到底対応できない領域ともいえる。プライマリ・ケアの現場が不確実性にみちているという実質はここにある。

家庭医の意思決定要因

  • 医師の要因
  • 以前の臨床経験、自分自身の健康観、医療哲学
  • 患者の要因
  • 患者の解釈モデル、健康信念、背景因子
  • 患者医師関係
  • 患者とよい関係を続けることの重視
  • 言語的・非言語的コミュニケーション
  • 診察中の言葉や態度が意味するものに左右されることがある
  • Evidence-based medicine (EBM
  • 信頼のおける臨床研究
  • 外的要因
  • コストとメディア

 「実践する専門家の意思決定」について教育学者の佐藤学はおよそ以下のように述べている。

 「~である(to be)」という言説に代表される「説明」と「分析」という枠組から、「~すべき(ought to be)」という枠組にジャンプする過程が意思決定であり、これを規範的跳躍(normative leap)と呼び、この規範的跳躍を事後的に分析することが振り返りである。このプロセスで、データ(エビデンス)は解決のための「推奨」に変換され、事実は「価値」に変換される。家庭医の日常診療はこの規範的跳躍に満ちているのである。この跳躍には、「うまくいった側面」「うまくいかなかった側面」があり、また医師自身の感情を伴うプロセスでもある。これらを言語化することで、実践の理論(Theory in practice)を蓄積することができる。

 しかしこの「実践の理論」は高度に文脈依存性なため、他者には伝わりにくいが、不確実性に耐えなければならない家庭医の成長に不可欠なものなのである。

 

驚くことができる家庭医
 もし、医師があらかじめ自分の対応できる領域を設定し、それに合う患者を診ることを自分の仕事と設定するならば、ショーンの言うところの技術的熟達者型の生涯学習をしていけばいいだろう。自身の領域のアップデートを学会参加や、講習会、ジャーナルなどで行い、同じ領域の医師とグループを組み情報交換していけばよい。実はこれがサブスペシャル専門医の生涯学習のやり方である。しかし、家庭医は非選択的な健康問題への対応をその行動原則とする。いいかえれば、何に出くわすかわからない仕事なのである。持ち込まれる問題は、未分化であり、そもそも医学的問題ではないかもしれないし、自分がこれまでまったく経験したことがない問題かもしれない。こうした現場に対応できる専門家像は省察的実践家モデルであろう。
 家庭医療の現場は驚きにみちている。もし、驚くことはあまりないと感じているのなら、それは家庭医療ではないかもしれないと思った方がいいだろう。「驚くことができること」これが家庭医にもとめられる究極の臨床能力であるといえるかもしれない。

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こうし