DPC・総合病院での総合診療の役割

 昨年末から今年はじめにかけて,僕は予想外の入院生活を20日間過ごすことになった。緊急入院や全麻手術,リカバリールーム,感染症合併など様々な経験をすることになった。そして,DPC病院/総合病院の内部で時間を過ごすことは,長い医師生活において,はじめてのことであった。紹介先・連携先としてしか,この25年はDPC病院とは関わっていなかったからである。そして,現代の総合病院がどのようなものなのかを考えることができた日々でもあった。

 自分自身の病状が落ち着いてくると,病院内をウロウロすることも可能になってくるわけだが,なにか楽しいことが病院内で行われているわけではないので,一階の飲料自販機(自動でコーヒー豆をミルして淹れてくれる,ちょっと高級なヤツ)の150円コーヒーを買って,外来の椅子にすわってそれをゆっくり飲むのが午前中の楽しみになっていた。そこで総合病院の外来を観察することになった。

 自分が入院していた病院には総合診療科はなく,また一般外来らしきものもあるにはあるが,臨時対応的なものを交代で各専門科医が担当してるもののようであった。

 おどろいたのは,午前中の外来はかなりFrailな高齢者や車椅子でしか移動できない患者が結構多いということであった。さすがに長年家庭医をやっているので,わかるのだが,まちがいなくそういう人たちは多疾患併存であり,また身なりやつきそいの方の様子から見て,様々な生活の問題をかかえているような,単身生活虚弱高齢者であったり,貧困の問題をかかえていそうな人たちであったり,老老世帯であろう人たちであった。

 自分自身が通院したり入院したりした経験からすると,DPC・総合病院の診療モデルはあきらかにある特定の疾患に対して,集中的・効率的に専門医療=Curativeな医療を行うように構築されている。外来も同様であり,あきらかにプライマリ・ケア機能では構造化されていない。かかりつけ機能あるいは継続性を保証しているのは,各診療科の外来クラークの人たちだったりする。看護師もかなり入れ替わりがあり継続性の担い手にはなっていないようだった。自分自身も外来の顔見知りは,担当医とクラークの人である。

 そして,通院患者は,DPC・総合病院の役割は一段落と判断されれば,いわゆる地域のかかりつけ医に逆紹介されるし,病院外来のフォローアップインターバルも特定の疾患焦点診療型なのでどんどん長くなっていく。現在自分自身のフォローアップインターバルは6ヶ月に一度となっている。自分自身は単一疾患で病院に通院しているし,病状もきわめてよく改善しているので,それでまったく問題はない。

 しかし,多疾患併存のFrailな高齢者はそうは考えていないだろう。まちがいなくDPC機能を期待して病院に通院してはいないと思う。たとえば心不全で通院していて,腰痛があれば,同じ病院の整形外科に一度はかかるが,そうした整形外科外来は退行性変化にともなう,手術適応のない慢性の腰痛は診療の対象にしていないことが多い。これは地元の病院か開業の整形外科に紹介される可能性が高くなる。

 また,多疾患併存や複雑事例(入院当初から退院困難が予想される等)の入院患者のマネージメントは当然存在しているのだが,DPC・総合病院の構造的特徴からフィットしにくいだろうことは,自分の入院中に,病棟の他の患者の様子をみて再確認したのであった。

 僕は,これらの経験からDPC・総合病院において間違いなく総合診療は必要であるという確信をもった。それは以下の診療領域が必要であり,実際に存在しているからである。

  • 多疾患併存,Multimorbidityの通院患者のコントロールセンターとして,継続性(Interpersonal & Informational Continuity)を保証した,かかりつけ医としての役割
  • 入院当初から退院困難と評価されるような複雑困難事例のコンサルテーションの役割
  • 専門科通院患者で,専門科領域ではないと判断されたあらたな症状や所見の臨床推論・治療する役割
  • 入退院を繰り返す下降期慢性疾患(慢性心不全,慢性呼吸不全,透析をしない慢性腎臓病,退行性変化由来の誤嚥,等)の入院主治医機能を持つことにより,地域包括ケアにおける垂直統合の担い手の役割

 これらは病院総合診療医の専門性そのものであり,卓越したジェネラリスト診療そのものであり,家庭医療とまったく同じパラダイムにある。そして,日本の内科学には上記に関する学的基盤は存在していない。あくまで,診断治療以外の「マネージメントの話」「接遇の話」であり,学会発表の対象にならず,研究業績としてはみとめられない領域ではないだろうか。成人の総合診療としてのAdult Medicineとして内科がそれなりに認知されている欧米とは相当異なる内科文化であることはリアルに見ておく必要があり,内科のサブディビジョンとして,こうした役割をになわせる部門を設定するのは,おそらくうまくいかないだろう。管理ライン上,内科とは違う部門にしたほうがうまく運営できるように思う。

 病院総合診療専門医を構想するのなら,たとえば大学病院においてサバイバルするために,針穴のようなカバーされていない専門領域を探すのではなく,現代の日本におけるDPC・総合病院の実際の患者層を直視することであり,そこにブルーオーシャンが広がっていることを基盤にしなければならない。そもそも日本におけるDPC・総合病院には構造的な欠陥があるからである。

 本気でこの国のヘルスケアシステムに貢献するために病院総合診療専門医を構想するのなら,過去のルサンチマンやネガティブな体験からくる自己承認欲求(僕の世代に近い人達がそういう傾向がある・・)からではなく,リアルな現状から出発すべきである。そこに未来は確かにあるのだから。

Homogeneous space

12年前に病院総合診療医について考えていたこと

 今回,地域立脚型中小規模病院が総合診療の拠点となるためのkey issuesというタイトルで,当時の総合診療医学会に寄稿したエッセイをRemixして再録してみます。
 当時の時代認識と現在の状況は異なるところもありますが,今読み返すといろいろ気づきもあります。ここでは主として中小規模の病院を念頭に記述していますが,大学病院等の「DPC病院」における総合診療の役割も,実は以下の議論の延長線上に展望できるのではないかと思っています。また,ホスピタリストのコンピテンシー議論とは違うベクトルの議論になっています。もし,議論されている病院総合診療医がなぜ家庭医と同じパラダイムにいるのか,つまり規範的統合が可能であるということが伝わるとウレシイです。


はじめに
 近年の日本におけるヘルスケア・システムの変化と医学医療自体のパラダイム変化により、医療施設は、curative careと入院医療を中心としたDPC総合病院、高齢者のケア施設、そして診療所におおきく三分される方向になっている。その中で今,地域の中小病院は、生き残りをかけて今後のあり方を模索しているといえるだろう。
 日本は人類史上類をみない超高齢社会となり、高齢者医療は日本においてもっともプライオリティの高い課題である。また、低経済成長が基調となった現代においては、いかに費用対効果を向上させ、増大する医療費をどうコントロールするかが愁眉の課題である。また、僻地や離島などの医療過疎地域の問題など、日本におけるヘルスケア・サービスの不均等が再びクローズアップされている。こうした様々な問題群に対しては、primary care drivenなヘルスケア・システムの強化が有効であることが、様々な研究から明らかにされている。

 筆者は、日本におけるプライマリ・ケアの強化の担い手は、診療所における質管理された家庭医と、中小規模病院において、外来、入院、在宅医療をバランスよく行える,病院総合診療医であると考えている。そうしたジェネラリストを数多く養成することが、日本における医療の未来のキーとなるのではないだろうか。
 現代の医学医療の到達点をふまえると、中小規模病院が自己完結的に医療を展開することは、妥当性に欠け、危険ですらある。むしろ地域の総合病院、中小規模病院、診療所群、各種ケア施設などが、それぞれの役割を明確にしつつ、連携してひとつのシステムを構成することが求められる。とすると、中小規模病院の主たる機能は、以下のように整理できるかもしれない。

 

  • 高齢者に対する入院機能,特に在宅ケアや施設ケアを支える入院機能
  • 外来や在宅と効率的効果的に連携したフットワークの軽い入院機能
  • かかりつけ医機能をもった「最初のよりどころ」的外来機能
  • 緩和ケアを可能とする「最期のよりどころ」的な外来、在宅、入院機能


 この論考では、病院総合診療医が主役となって、こうした機能を実現した「かかりつけ病院」としての地域立脚型中小規模病院のあたらしい姿を構想するためのキーとなる概念をいくつか提示したい。


最初と最期のよりどころとしてのmedical homeをめざして
 「かかりつけ病院」としての中小規模病院を構想する際に、米国小児科学会のプロジェクトMedical Home Initiativeが示唆的である。これは、複雑ニーズを抱えた、慢性疾患や障害をもった子供たちへの質の高いケアを提供するために提唱され、困難をかかえた子供たちとその家族にとって、従来の病院や診療所にかけていた、我が家=homeのような機能をもった患者中心のアプローチの提唱である。
 Medical Homeがそれとして、成立するためには、以下の構成要素が必要とされる。これらはまさに、プライマリ・ケアや家庭医療の原則にほぼ一致している。

  • 近接性
  • 家族中心
  • 継続性
  • 包括性
  • 協調と調整
  • 献身的な一生懸命さ

 さらに、米国において,Medical Homeとしての施設をどのように地域住民にアピールしているかを、以下に紹介する。

  • あなたの性別、年齢、健康問題の質にかかわらずなんでも相談にのります
  • 私たちは皆あなたのことを知っています
  • 私たちはあなたの家族のことに関心があります
  • あなたとあなたの家族は私たちをパートナーとしてみてくれます
  • あなたとあなたの家族の意見や要求を尊重しています
  • あなたの歩みのたよりになる同盟者です
  • 慢性の疾患や障害をケアする際に、生活の質を重視します
  • 人生の最期の時peacefulな場でそれを迎えることができることを支援します
  • 地域にでるとりくみを行い、施設外への影響力をもつことをめざします
  • スタッフには医療者として成長したいという思いがあります

 これらは、かかりつけ病院を志向する中小病院がMedical Homeとして機能できるかどうかのチェックリストになるのではないだろうか。そして,これらが実現できるような組織運営が求められるだろうし、そのリーダーはプライマリ・ケアの原則を体現できる病院総合診療医がふさわしいのではないだろうか。

社会医学(social medicine)的視点の重視
 総合診療は、生物医学の枠にとどまらず、生物・心理・社会・倫理、さらに政治・経済・環境のコンテキストの中で、個別の患者や地域の健康問題を取り扱うことが特徴である。したがって、健康の社会的決定因子を重視する総合診療医は、ウイルヒョウがかつて"Physician was the natural advocate for the poor."といったように、医療に恵まれない人たち、差別し排除されている人たち、すなわちthe underserved peopleのケアを中心的に担うことが求められているのではないだろうか。現状では、地域の中小病院がthe underservedのケアの拠点としてふさわしいだろう。the underservedは国民皆保険がまがりなりにも成立している日本にもむろん存在する。医療にアクセスしにくい僻地や離島の住民はもちろんであるが、都市部においてもLGBTQや外国からの労働者などのマイノリティ、HIV、慢性障害、ホームレス、失業や貧困、片親家庭など、社会的に弱い立場にある層もthe underservedである、こうした領域のケアのリーダーは、世界に見やも地域に根ざした家庭医や総合内科や小児科などのジェネラリストである。そして、こうした活動の基礎となる哲学は「健康は人権:Health is human right」であり、それを実現するために診療、教育、研究を行う分野が現代的な社会医学(social medicine)である。

 以下の社会医学コンポーネントを総合診療医教育の中では重視しなければならない。

  • 住民が、効果的かつ効率的な医療システムに平等かつ公平にアクセスでき、適切に利用することができるようにする。つまり費用対効果にすぐれた質の高いprimary medical careの提供ができること
  • Preventive medicine を重視すること
  • Public healthを重視し、疫学、ヘルスサービス研究の手法によって、対象集団と地域の健康問題の解決や、診療の質の向上を図ること
  • Social well-beingをすすめるためのリソースを増やすために、施設の壁を越えた活動にコミットすること

老年医学(geriatrics)の重視
 地域の中小病院が地域全体の保健医療ネットワークのなかで効果的に役割を果たし、経営的にも整合性のある活動を展開するためには、質が高く、妥当性があり、費用対効果に優れ、平等・公平の原理を保持した高齢者医療を展開する必要がある。その際に、キーとなるのは、高齢者の内科学ではない、真の老年医学(genuine geriatrics)に基盤をおいた運営である。
 高齢者は様々な問題点を複合的にかかえている。例えばある82歳の女性は、軽度の認知障害、不眠、白内障、難聴、骨粗鬆症、腰痛と膝関節痛がある。さらに糖尿病、高血圧症、心不全で投薬を受け下剤を常用している。足の爪の変形があり、冬になると体のあちこちがかゆくなる。健診では、貧血が指摘されており、消化管の精査をすすめられている。エレベーターのない団地の4階に住み、外に出る事が少ない。夫は進行した前立腺がんで、入退院を繰り返している。もし、個々の問題点ごとに担当者が違ってしまえば、有効な問題解決ができないことは自明であろう。
 この患者がある日家族につれられて受診することになる。主訴は尿失禁と食欲不振である。実は最近心不全症状がすこし悪化したため、循環器の担当医は利尿剤を少し増量していた。そのため、夜間の尿量が増し、腰痛、膝関節痛のために、もともと低下していた移動能力の限界が明らかになり、トイレまで間に合わなくなった。本人はそのことを悩み、食事がすすまなくなっていた。心不全、移動能力の低下、鬱状態といった病態生理学的な因果関係がない健康問題が累積して生じているこの女性を適切にケアできるのが、老年医学に精通したジェネラリストである。

マッチョな論理からの脱却とフェミニンな論理=ジェネラリズムの論理の重視
 「善」に関する女性心理学者C・ギリガンの研究 が、ジェネラリストにおける価値観とジェンダーの関連に示唆的である。彼女の「何を善き事と考えるか?」という質問に対して、男性では、他人に干渉されずに自分で決める自律性とそれを誰にも保証する正義・公正、どのケースにもあてはまる原則を貫くこと、といった答えが多かったのに対して、女性ではそのつど他人の必要としていることを気づかい、おたがいに満足できる関係を築くことが善いことであるという声が多かった。ギリガンは、後者を前者の男性(masculine)倫理と対比させて女性(feminine)の倫理「ケアの倫理」(ethics of care)として位置づけた。
 相談に来た患者の多彩な問題に臨機応変に対応し、治療、アドバイス、ケアを行い、病人が自立した生活に戻っていくチームで援助をすること、病気や障害を治癒させることが困難でも、その人なりに新しい生活を築いていく援助をすることがケアの倫理に基づく医療活動であり、ジェネラリストの基本的な価値観と一致するのではないだろうか。そして病院総合診療医が主役の中小規模病院の仕事は、地域で生活するものとして、独自の価値観や人生観をもった患者の相談にのる仕事、すなわち「異なる人生に出会う仕事」でもある。総合診療は女性の声、つまり「ケアの倫理」が生きる場所であるということが言えるかもしれない。

Silver Triangle


やりますか?理論家庭医療学研究会

 家庭医療学は様々な源流があるけれども,やはりIan McWhinneyによる1980年代の仕事が圧倒的に重要である。いわゆる患者中心の医療に関する一連の研究も当然その時代の重要なアウトプットなのだが,僕的には,A Textbook of Family Medicineにつながる哲学的・理論的仕事はきわめて大切なものなのだ。しかし,実はその後それを引き継ぐような理論的な仕事は,世界的にみてもかなり少ない。かろうじて現代ではLiverpoolのChris Dowrickのグループが家庭医療における主体の問題に取り組んでいるくらいしか目立たないようだ。

 実は,現代の医学におけるアウトプットの指標,すなわち単純化すればインパクトファクターという観点からみると,McWhinneyの仕事のインパクトファクターの規模はきわめて小さいのだ。研究の大多数はいわゆるトップジャーナルにパブリッシュされたものではない。このことについてはこのエッセイをみてもらいたい。

www.ncbi.nlm.nih.go

 しかし,インパクトファクターは基本的には基礎医学研究に圧倒的に有利な指標である。診療自体やシステムに深い影響を与えうる理論的な論文の価値をそうした指標で評価することは明確に間違っている。McWhinneyに源流をもつ理論家庭医療学(僕の造語である)を引き継ぎ,展開する仕事が大学のそうした部門からは一向に生まれそうもない状況は今の大学の業績の評価システムの機械化にあると思う。

 家庭医療をアカデミーのエートスに押し上げるには,理論が必要だ。大学医学部のジェネラル部門は,疫学や診断認知科学だけでは確たる学的基盤をつくれない。学的基盤を形成するためには,主体や個が根本的に検討されねばならないし,歴史や生命,価値,システムが問われなければならない。言語,対話,コミュニケーションが根本的に検討されねばならない。病いと健康を再定義し,コミュニティや家族を再定義する必要がある。新人世やポストヒューマンとの関係,テクノロジーとAI,身体性を問うのだ。いまもっとも注目すべきイーロン・マスクのNeuralinkのプロジェクトのインパクトを的確に考察しなければならない。

 参照し,対話すべきは,哲学であり,精神分析学,文芸批評,宗教学,人類学である。あるいは,コンピューターサイエンスやオントロジーだろう。むろん家庭医療学は疫学とイコールではないし,看護学でもないし,ましてや内科学ではない。

 理論家庭医療学を推し進める世界的ネットワークをこの東京を起点に作ることを展望したいと思う。

https://www.instagram.com/p/Bz7PcjcF2hW/

 

 

 

 

家庭医療学研究がマヂに盛んになってほしいです

ふたたび、家庭医ってなんですか?
 いいかげんもう定義云々はやめにしたいが、日本では今後おそらく以下の仕事をする医師が家庭医と呼ばれることになるだろう。


*診療所あるいは病院において非選択的プライマリ・ケア外来診療を行う
*在宅ケアチーム及び地域包括ケアチームに属し医学的管理を行う
*地域ベース、あるいは一定の限られた人口集団に対して保健予防活動を行う


 上記3つは家庭医療の実践表現型である。

 そして、いま議論されている「総合診療」がもしジェネラリストが行う医療(generalist medicine)の総称するとするなら、家庭医療は総合診療の派生型のひとつといえるだろう。ちなみに日本において総合診療の英語名として、general practiceやgeneral medicineが使われることがあるが、諸外国では前者は家庭医療、後者は総合内科を示す用語であることは知っておきたい。

それで、家庭医療学ってあるんですか?医学部にはそういう科目はないようですが?
 家庭医療学の定義は世界的にコンセンサスがあるわけではないが、私は「質が高く、費用対効果に優れたプライマリ・ケアを、地域住民に公平かつ効果的に妥当性をもって提供することに資する学問分野」と考えている。
 では、この定義自体からどんな研究課題がみちびかれるだろうか?それは以下の質問群にさらに限りなく足すことができるはずのものである。

  • プライマリ・ケアってなんですか?
  • どんな診療の内容のことですか?
  • 患者にとってどんな意味があるんですか?
  • 社会にとって必要なんですか?
  • ヘルスケア・システムにおいてどんな役割があるんですか?
  • そもそも質ってどういうことですか?
  • 質の高い医療ってどんな医療ですか?
  • 質は評価できるんですか?
  • たとえば糖尿病の患者さん達の診療の質はどんなふうに測ることができるんですか?
  • 費用対効果の高い医療ってなんですか?
  • コストはかければかけるほどよい結果がえられるんですか?
  • どんな検査や治療が費用対効果が高いんですか?
  • プライマリ・ケアにとって地域住民ってだれですか?
  • 地域ってなんですか?
  • 妥当性のある医療ってなんですか?
  • 必要なところに必要な医療が保証される必要条件はなんですか?
  • 公平をたもつためにはなにが必要ですか?平等とどうちがうんですか?

 こうした質問群にきちんと自分なりに答えることができるだろうか?私はこれらの質問にそれなりの根拠をもった見解をもっていることが、優れた家庭医の条件の一つであると考えている。

家庭医が行うプライマリ・ケア研究のタイプ
 家庭医療学はその定義上、「世界の真実」あるいは「これまで知られていなかった新しい真理(ノイエス)」を実証的にあきらかにするという通常の自然科学研究とは違う。もっと多様で放射的な射程のある研究領域である。
 ランダム化比較試験で有効性が示された治療、たとえば「抗凝固療法による心房細動患者の脳血管障害の予防」が自分の診療現場のコンテキストでもやはり有用なのか?あるいはそうした診療内容が実施しにくいとすれば何がバリアなのか?というようなことを調べるような、第2世代橋渡し研究(2nd generation translational research)や実装科学(implementation science[1])という分野の研究がプライマリ・ケア研究らしいスタイルの一つである。
 また、地域の具体的な健康課題(たとえば小児や思春期の肥満[2])に対して、アクションリサーチの手法を用いて、地域ぐるみでその問題に取り組み解決をめざすような、実践と研究のハイブリッドのような地域基盤型参与研究(community based participatory research)のような手法が用いられることもある。
 さらに、家庭医の診察のプロセスにおいて、「主体としての患者」はどのようにたちあらわれ、そしてそれにかかわる家庭医の主体の働きはなにかということを、現象学的に追求している研究グループ[3]もある。
 自然科学、社会科学、人文学など多様な研究領域がクロスオーバーするのがプライマリ・ケア研究であり、家庭医療学と呼ばれているのである。

家庭医が必要とするプライマリ・ケア研究のテーマ系

世界的にどんな研究テーマ系があるかを以下に5つ程紹介しよう。
1.質 Quality
 医療の質は何で測るか?という問いについては、疾患の軽快・治癒、症状の緩和、機能改善といった通常のアウトカムで測定するだけでは不十分であると家庭医は考える。安全性、患者中心性、適時性、公正性といった、ヘルスケア・システムに関するアウトカム、そして、よりよく生きること、ハッピーであることといったソフトなアウトカムも医療の質を考える時には重要である。 
 また、質保証のための、医療質改善(quality improvement)をどうすすめるか、施設の運営やマネージメントをどのように進めるかといった経営やリーダーシップに関連した研究が行われている。
 医療者教育に関する研究も広い意味でこの医療の質向上の問題につながる。たとえば日本の医学教育研究については、生涯教育の研究が非常に少ない。家庭医はどうしたらヤブ化を防げるのか?「◯◯病治療の最近の進歩」のような講演をたくさん受講すれば大丈夫なのか?おそらく成人教育の原則に基づいた生涯教育の仕組みの変革が求められており、そのための教育研究が必要だろう。

2.患者中心性 Patient Centeredness
 日本においても、社会状況の変化、国民の医療に関するニーズの変化などから「患者中心の◯◯」といった言葉がよくきかれるようになった。患者中心性は「良い接遇」から「患者の主体へのアプローチ」まで、さまざまな意味合いで使われている。研究の側面からみると、患者医師コミュニケーションの量的・質的研究、患者の病い体験の現象学的あるいはエスノグラフィー研究から、患者中心性自体を測定する研究まで多彩に実施されている。

3.技術発展 Technology
 聴診器とペンだけで仕事をするような古典的な家庭医像は、近年の技術発展、特にICT技術の普及もあって、テクノロジー領域の言説なしでプライマリ・ケアを語ることは不可能である。
 高速通信環境を基盤としたインターネットを基盤とした電子カルテ、遠隔診療、施設間ネットワークにと診療のアウトカムの関係に関する研究が近年目立つようになった。また、従来は病院でのみ実施されていた診断検査や治療(超音波検査や化学療法など)が診療所や在宅に導入されるようになってきている。これからもプライマリ・ケア現場に有用なテクノロジーの開発が進むだろう。

4.研究 Research
 プライマリ・ケアにおける研究環境づくりや研究手法の開発そのものが、プライマリ・ケア研究の対象となる。
 自分たちに必要なエビデンスを生み出すことの価値と必要性はもはやいうまでもないだろう。現在エビデンスを生み出している研究施設とプライマリ・ケアの施設では、「なにか問題か?」という研究テーマ設定自体が違うからである。たとえば多疾患併存(Multimorbidity)は世界的には今最もホットな研究テーマであるが、日本のアカデミックな研究環境からの発信はほとんどない。その理由はMultimorbidityの問題が主としてプライマリ・ケア領域の課題だからである。
 家庭医が気軽に研究にかかわることができる環境をいかに作るかという点では、自分たちの診療所を家庭医療学の「ラボ」としてとらえ、その「ラボ」のネットワークを一定の地域内で構築することが必要である。このネットワークをpractice based research network: PBRNとよぶ。私達の経験では、この運営の成否のカギは以下の要因にある。
*大学のアカデミック部門(プライマリ・ケア部門、総合診療部門、臨床疫学部門等)との協力関係の構築
*研究指向の家庭医を養成するためのフェローシップの設置
*定期的なミーティングが、「出席すると楽しい」「勉強になる」「人のネットワークができる」といった参加したくなる運営を心がけること
*研究テーマは1〜2年で結果がでるようなものを設定し、できれば複数の研究を同時に走らせる

5.政策 Health Policy
 その出自から考えればすぐ理解できることだが,プライマリ・ケア研究そして家庭医療学には、ミクロからマクロまでの水準のヘルスケアシステムと医療政策に影響をあたえることが、もともとビルトインされているといってよい。たとえば、医療供給や健康格差に関心をもつのは、生活や地域の中にいきる患者に接することの多いプライマリ・ケア現場の特徴であろう。たとえば孤独や貧困、環境などの健康の社会的決定因子自体に、地域住民や自治体と協働して取りくむような研究が世界中にあることを知っておきたい。

まとめ
なによりも家庭医にとって、診療だけでなく研究(そして教育も)にかかわることは、職業人生において非常に多くのものを得ることができることを知ってほしいと心から願っている。


[1]: BAUER, Mark S., et al. An introduction to implementation science for the non-specialist. BMC psychology, 2015, 3.1: 32.

[2]: GOH, Ying-Ying, et al. Using community-based participatory research to identify potential interventions to overcome barriers to adolescents’ healthy eating and physical activity. Journal of behavioral medicine, 2009, 32.5: 491-502.

[3]: REEVE, Joanne, et al. Revisiting biographical disruption: Exploring individual embodied illness experience in people with terminal cancer. Health:, 2010, 14.2: 178-195.

このエントリーは雑誌「治療」2018年7月号に寄稿したものに大幅な加筆訂正を加えたものである

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複雑困難事例により地域力は上昇する

 複雑困難事例は、しばしば問題解決が困難で、予想外の要因が途中で絡まりながら。見守るしかないという帰結になる場合があります。かかわったさまざまな職種の人たちは、ある意味敗北感や無力感に陥ることもあります。しかし、スタッフで、時には対象となるクライアントや家族を含めて、対話し、議論し、計画を立て、実行し、振り返り、そしてまた同じサイクルを繰り返すことは、チーム力を確実に上昇させます。そして、チーム力が上がったということは、イコール地域の力が上がったことと同意です。ここが、地域医療の広がりの重要な要素で、施設の枠にとどまらない影響を生じます。

 また複雑困難事例に対応する医療者は、同時に複雑度の低い、予後良好で、よくコミュニケーションがとれて、ケアしていて逆にこちらがいわば「癒される」ような患者層を同時に診ている状況をつくることが必要です。それにより困難な事例に対応できるのです。すべての仕事の時間が困難事例で占められてしまうようでは、むしろチームの継続性がむずかしくなるでしょう。

 有り体に言えば、軽い患者さんをたくさん診て、比較的少ない数の複雑困難な事例に取り組むという状況は、地域のprimary careの場にあります。あるいはそれを家庭医診療所と言い換えてもいいと思います。だから、大学病院のジェネラリスト部門の外来がcomplex casesが主体とするならば、複雑度の低い軽い患者さんをたくさんみる場をどこかに確保すべきなのです。

 

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Expert Generalist PracticeにおけるInterpretive Medicineの意味

 健康とは、繰り返し必ず実施している日々の生活(ルーチン)を保証ためのリソースであるという前提で、健康をどう支援できるかを考えることが自己あるいは主体へのアプローチだといえるでしょう。生活ルーチンは、たとえば職業上の複雑な業務から、日々の買い物、仏壇への線香立てまで、実に様々なです。

 この生活ルーチンは自己/主体の一貫性の根拠となると考えられますが、この一貫性こそが、自己/主体というものの本質の一つです。
 さて、病いのなかにある主体は、ルーチンを行っていくことに様々な支障をかかえていますが、なんとかルーチンをすすめていくために、生活上の「創意工夫」を行っているものです。ちょっとした身体の姿勢や動かし方の工夫から、生活道具の創作まで様々な、創造的ともいえる能力を発揮すしています。この「創意工夫」する力をCreative Capacityと呼び、病いのなかにある主体は、単に病み、弱っていく主体ではなく、クリエイティブな主体、Creative Selfであるというのが、Expert Generalist Practiceにおける主体認識のキーだと考えられます。Creative Selfを支援することが、患者の主体へのアプローチであると言い換えることができます。

 この病む主体におけるCreative Selfという考え方は私自身の病い体験からも、その重要性が納得できるものです。

 そのためには、患者自身がきづいていないこともある、自己の一貫性を保証する日常ルーチンを医療者ととともに探索し、その意味を見出していく必要があるのです。おそらくこれがInterpretive Medicine(解釈学的医療)の、実践的な内実だと思います。

 

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Instagram post by 藤沼 康樹 • Mar 16, 2019 at 9:12am UTC