都市部におけるプライマリ・ケア総合診療(=家庭医療)の役割について、書いたもののダイジェストです。教育を考えるときに心しておきたいところをまとめてみました。
プライマリ・ケアとしての総合診療とは
主として診療所を拠点として地域基盤型のプライマリ・ケアを担当する総合診療医は、日本以外の国では、general practitioner(GP)あるいはfamily doctor(家庭医)と呼ばれている。GP/家庭医の役割に関しては、個々の国の体制やヘルスケアシステムを超えて、ほぼ統一した見解が以下のように存在する。
- 診療所における非選択的なプライマリ・ケア外来診療(医療の入り口)
- 継続的なケアを提供
- 予防医療・ヘルスプロモーションの提供
- 各種ケアのコーディネーション
- 家族の相談役
- 地域の健康問題へのアプローチ
さらに、日本の医療をとりまく状況を勘案した際に、GP/家庭医の重要な役割として「在宅医療の提供」が求められている。
この論考では、これらのGP/家庭医の役割が日本の都市部のプライマリ・ケアに必要とされる理由について、高齢者医療、過度の専門分化の弊害としてのプライマリ・ケアの分断、都市内部における健康格差の拡大といった視点を中心に考えてみたい。
2025年問題と高齢者医療
国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」によると、2015年には「ベビーブーム世代」が前期高齢者(65~74 歳)に到達し、その 10 年後(2025年)には高齢者人口は約 3,500万人に達すると推計される。これまでの高齢化の問題は、高齢化の進展の「速さ」の問題であったが、2015年以降は、高齢者数の多さが問題となる。
年間死亡者数は今後急増し、2015 年には約 140 万人(うち 65 歳以上約 120 万人)、2025 年には約 160 万人(うち 65 歳以上約 140 万人)に達すると見込まれる。そして、今後急速に高齢化が進むと見込まれるのは、首都圏をはじめとする都市部である。今後、高齢者の「住まい」の問題等、従来と異なる問題が顕在化すると見込まれる。都市部における高齢社会の問題は、高齢者の絶対数の爆発的増加にある。
この状況に対して、ヘルスケアシステムはどう対応すべきかいうことについて、高齢者救急と在宅医療の現場において、総合診療医が有効に機能することが必要であると思われる。
高齢者救急と総合診療
事例:89歳女性。高血圧、CKDで近医通院中。
1か月前から、軟便3-4行/日。2週間前から、嘔気、食欲低下。かかりつけ医での血液検査では変化なし。今月で3回目の救急受診となった。夫と二人暮らしで、今回は入院の準備をしてきた。結果的にはうつ状態、多剤投薬に起因する食思不振であった。結果的に入院の必要はなかったが、家での介護が困難とのことで入院となった。
救急搬入の各種統計によると、高齢者の救急件数は非常に多く、また救命処置や入院治療を要する件数も当然多くなる。しかし、また、入院の必要のない救急搬送も多く、それらが救急体制の非効率化を招いている実体もある。上記の事例のように、入院とならなくても家に帰れない高齢者に対して、退院援助ならぬ「帰宅援助」部門が必要なのではないかといわれるほどである。
海外でも高齢者救急は、通常の救急医学だけでは対応できない独自の領域(Geriatric Emergency)とされている。例えば、米国救急医学界の高齢者救急の質指標は意外にも以下の3領域に集約されている 。
- 認知機能の評価(高齢者の機能評価が不十分であることを反映)
- 痛みのマネージメント(高齢者の救急患者の痛みへの対応が不十分であることを反映)
- 紹介先との連携(施設やかかりつけ医との情報の伝達などが不十分であることを反映)
日本でも実は同様の状態が予想される。生活機能が低下している高齢者の評価が不十分で予期的な対策ができていなかったり、あるいは日常的な不安や心配の相談相手が都市部では不足していたりすることも原因として指摘されている。実際に高齢化率の高い東京都内団地に、敷居のひくい相談場所(「暮らしの保健室」)をつくることで、団地からの救急搬送件数が減少したという実例もある。
高齢者は様々な問題点を複合的にかかえている。例えばある82歳の女性は、軽度の認知障害、不眠、白内障、難聴、骨粗鬆症、腰痛と膝関節痛があり、さらに糖尿病、高血圧症、心不全で投薬を受け下剤を常用している。足の爪の変形があり、冬になると体のあちこちがかゆくなる。健診では、貧血が指摘されており、消化管の精査をすすめられている。エレベーターのない団地の4階に住み、外に出る事が少ない。夫は進行した前立腺がんで、入退院を繰り返している。
この患者がある日家族につれられて受診することになる。主訴は尿失禁と食欲不振である。実は最近心不全症状がすこし悪化したため、循環器の担当医は利尿剤を少し増量していた。そのため、夜間の尿量が増し、腰痛、膝関節痛のために、もともと低下していた移動能力の限界が明らかになり、トイレまで間に合わなくなった。本人はそのことを悩み、食事がすすまなくなっていた。心不全、移動能力の低下、鬱状態といった病態生理学的な因果関係がない健康問題が累積して生じているこの女性を適切にケアできるのが、老年医学に精通した総合診療医であるといえよう。結果的に、この患者が不要な救急車要請することを未然に防ぐことになる。
在宅医療と総合診療
DPCの影響や在院日数の短縮傾向もあり、医療需要度の高い在宅高齢患者が増えてきている。また、癌、非癌ともにEnd-of-life careを在宅で受けたいという高齢者のニーズも高まってきている。
在宅医療は当然、検査や治療に関する制約があり、病歴や身体診察と簡易な検査により意思決定を迫られるばあいも多く、病院医療のみのトレーニングでは対応できない事例も多い。通常の高齢者内科等に加えて、緩和ケアのスキルや臨床倫理的な判断力も必要となるため、独自のトレーニングが必要である。日本の総合診療医養成においては、在宅医療のセッティングでのトレーニングを重視している所以である。
都市部におけるプライマリ・ケアの分断
都市部では、大きな人口を背景にして、専門性を前面に出した診療所が非常に多く、また経営的にも成立可能である。また公共交通機関の発達により比較的遠方の病院へのアクセスが容易である。したがって、一人の患者が複数以上の診療所や病院に通院することが可能である。例えば、以下のような患者はそれほど珍しくない。
事例:75才男性 72才の妻と二人暮らし
問題リスト
1. 糖尿病・高血圧 A内科医院(糖尿病専門医)にて経口血糖降下剤処方
2. 心房細動 B病院循環器内科にて抗凝固薬処方
3. 変形性膝関節症 C整形外科医院にてNSAIDS処方及び物理療法
4. 皮脂欠乏性湿疹 D皮膚科医院にて軟膏処方
5. 白内障 E眼科医院にて保存的治療
そして、ものわすれがひどいことが気になり、F病院神経内科受診する予定。
これらは、こうした事例では、健康問題毎にそれぞれの領域の専門医の受診を希望しているというよりは、しばしば大規模病院において「過度の専門分化」の弊害として指摘される事態が、都市部ではプライマリ・ケアの現場で生じていると考えたほうがよい。この患者においては主治医、すわなちすべてのケアを俯瞰的にコーディネイトする役割を果たす医師がはっきりしない。しかも、この患者は生活機能が低下していきており、今後移動能力の低下や経済状態の悪化により、各診療施設への通院が困難になり、不十分なケアしか受けられなくなる可能性が高い。
総合診療医の外来診療能力としては、以下のコンピテンシーが設定されており、上述した事例のような複数の健康問題を抱える患者の主治医として有効に機能できるはずである。
- 頻度の高い健康問題に対応し、相談にのり、適切な問題解決、あるいは安定化をはかることができ、必要な場合は専門家に紹介することができる、
- 健康問題は臓器、年齢、性別によって制限されず、また生物医学的アプローチと心理社会的なアプローチをバランスよく組み合わせた外来診療の枠組みを使うことができる。
- 頻度の高い慢性疾患のケアができる。
都市部における格差の拡大と総合診療
事例:53才男性
住み込みの契約社員として派遣労働に従事していたが、3ヶ月前より口渇、倦怠感が強くなり受診。血糖532mg/dl HBa1c 13.8%。すでに末梢神経障害、網膜症が進行していた。本人は無保険で、働かないと家賃が払えないとのことであった。
都市部には様々な格差があり、格差そのものの存在が健康状態を悪化させるといわれている 。格差解消については多面的な取り組みが必要であり、医療の役割もその中の一貫としてある。特に都市部においては、地域住民は社会経済的に多様である。たとえば「東京下町の不健康集積」を指摘する研究 が示すように、健康問題に取り組む際に、以下のような、健康の社会的決定因子(Social determinants of health:SDH)を意識した診療が求められる。
- 貧困
- 教育水準
- 都市化
- 労働条件と失業
- 環境
- ストレス
- 初期の子供の発育
総合診療は、生物医学の枠にとどまらず、生物・心理・社会・倫理、さらに政治・経済・環境のコンテキストの中で、個別の患者や地域の健康問題を取り扱うことが特徴である。したがって、SDHを重視する総合診療医は、ウイルヒョウがかつて"physician was the natural advocate for the poor"といったように、医療に恵まれない人たち、差別し排除されている人たち、すなわちthe underserved peopleのケアを中心的に担うことが求められている。社会的に脆弱でケアが不十分になりやすい層は実際都市部に多く、例えばゲイなどのマイノリティ、慢性障害、ホームレス、失業者や絶対的貧困層、片親家庭、虚弱高齢者などに注目したい。
総合診療医に必須のコンピテンシーである地域志向性とは、地域におけるプライオリティの高い健康問題に取り組むプライマリ・ヘルスケアの実践のことであり、都市部での活動が期待されている。
多彩な都市部の健康問題
プライマリ・ケア現場の健康問題としては、感染症に注目したい。特に結核、HIV、性行為感染症は実際には都市部に多く、予防から治療までかかわる機会が増えている。また、都市部には海外からの流入人口が増えており、文化的背景を考慮したプライマリ・ケアも求められている。以下の事例はそうした特徴を反映している。
45才 東南アジア系男性 HIV感染症、多剤耐性結核、C型肝炎
上記診断で、拠点病院で抗ウイルス療法などを受けているが、カナマイシンの投与は自宅から近い家庭医により行われている。また、日常生活上の細々とした相談や小外傷などの処置もその家庭医により提供されている。来院時は地域の通訳ボランティアの協力が得られている。
これは専門医と家庭医によるShared careの実践であるともいえよう。こうした実践が可能になる知識やスキルのトレーニングもまた都市部の総合診療医養成においては重視されるべきだろう。
都市部のプライマリ・ケアを担う総合診療医のコンピテンシー
都市部における総合診療医、GP/家庭医のコンピテンシー(臨床能力)については海外でも各種検討されている 。筆者は、日本のおける都市型プライマリ・ケアを担う総合診療医は、世界的に標準とされるGP/家庭医のコンピテンシーに加えて、以下に領域を強化するべきであると考えている。
- 高齢者医学(Geriatrics)の実践能力
- 在宅医学、特にEnd of lifeケアの能力
- 主治医として機能するための、コーディネーション能力
- 地域の健康格差と健康問題に取り組む能力
- 都市部に多い感染症への対応能力
爆発的な高齢者人口の増大、格差の拡大、都市部の国際化などの動向を踏まえると、都市部のプライマリ・ケアを担当する総合診療医の役割は相当に大きい。現在のプライマリ・ケア担当とされる医師の総合診療領域の再トレーニングなどもふくめて、マンパワーの確保を急速に進めることが急務である。
参考文献
Terrell, Kevin M., et al : Quality indicators for geriatric emergency care. Academic Emergency Medicine 16.5 : 441-449, 2009
福田吉治, 今井博久 : 健康格差の研究 日本における 「健康格差」 研究の現状 (特集 健康格差と保健医療政策). 保健医療科学 56.2 : 56-62, 2007
高野健人 : 東京下町地域における不健康集積. 民族衞生 64.1 : 5-25, 1998
Urban/Inner-City Training Program in Family Medicine : http://www.aafp.org/about/policies/all/training-program.html(2013/7/8アクセス)