InterprofessionalismとValues Based Care

専門職連携実践が注目されているわけ

 専門職連携実践:Interprofessional work(以下IPW)は日本の医療・介護・福祉の領域において、現在ブームになっているといってよいでしょう。昔からチーム医療は大事だと言われ続けてきているわけですが、改めてIPWが日本の医療で注目されている理由として、以下の2点に注目すべきでしょう。

1.医療の高度化、細分化、分業化が急速に進行すると同時に、医療の安全性と質の保証への要求水準が高くなってきていること。

2.超高齢社会を迎えつつある地域のなかで、身体心理社会倫理的な要因がからみあう複雑で困難な健康問題にチームで取り組む機会が急速に増加してきたこと。
 
 医療はもともと多くの領域の異なる専門職により担われてきましが、従来それぞれの専門職は独自の知識技術構造と教育システムをもち、一定の排他的な世界を構築してききたわけです。しかし、上に述べたような状況下では、従来の専門職のあり方では適切に対応できない場面が多くなってきています。そうした理由として佐伯*1は以下の3つの限界性をあげています。


1.個人で仕事を行うことの限界性:医療技術の複雑化、細分化の中で自分の専門領域のみで治療・ケアを行うことは不可能になってきている

2.専門職種の縦割りで仕事をすることの限界性:専門職間の連携不全が医療事故やケアの質の低下につながることが認識されている

3.患者の問題領域を一つに絞って仕事を行うことの限界性:疾病のみでなく生活する人として患者や家族をとらえケアすることに、医療のパラダイムがシフトしてきている
 

 例えば、医師という職種には「主治医としてすべての責任を負い」「他の専門職種へ権限は移譲せず」「患者の生物医学的側面だけをとりあつかう」といった傾向が従来から強いとされてきました。しかしながらSabaら*2は、そうした伝統的な医師のモデルをLone physician model(孤高の医師モデル)と呼び、それはすでに現代の医療においては神話にすぎないとして、「協働」と「連携」そして「患者中心性」を軸としたあたらしい職業モデルが必要であると主張しています。そして、これは日本においても適用できる視点だと思います。


IPWと価値対立
 以下の2つのケースを読み、どんなタイプの対立や葛藤が生じているか考えてみてください。

ケース1
 誤嚥性肺炎を繰り返す高齢認知症患者が入院している。担当医はさらに抗菌薬治療を続け、胃瘻造設を考えている。家族もそれなりに治療をつづけてほしいといっている。しかし、これまでの入院ケアを担当してきた病棟看護師たちは、比較的コミュニケーションのとれていた状態で患者本人が話していたライフヒストリーをよく知っており、これでいいのか?と疑問を持っている。

 

ケース2
 久しぶりの休暇予定だった若い医師が、その当日の外来担当医師の体調不良で、急遽外来診療をやることになった。急に欠勤となった医師はしばしば「体調が悪い」とのことで診療を穴をあける問題医師であった。イライラする気分を医師はコントロールできないし、次々と予約外の患者がやってくる状況である。「今日は臨時対応だから予約以外はことわってくれ」と看護師に伝えた。窓口で予約外患者が看護師に大声でクレームをいっているのがきこえる。看護師は「先生からそのような指示をもらっているので、申し訳ありません」と答えている。

 

 専門職連携実践にはつねに葛藤と対立がつきものです。さらに言えば、おそらく連携とは対立の自覚化と解決の不断の連続がその本質であるともいえるのではないでしょうか。 
 実際の医療場面では仕事をスムースにすすめるために、職種間あるいはチームメンバー間の対立をそれをまあまあと水にながしたり、棚上げにしたり、隠したりすることがある種の「スキル」として、従来も求められてきたと言えるかもしれません。そうした状況は、医師を頂点とした各種権威勾配があり、またかく職種内にさまざまなヒエラルキーが存在することで可能になっていたと思います。
 

 ところで、チームメンバーのなにが対立するのでしょうか?

 それは価値の対立であるといっていいと思います。

 

 この価値はチームメンバーの個人的な価値観、そしてその背景となる職場価値、社会価値体系に由来するものもあれば、チームメンバーの属する職種における価値体系によるものもあります。そして、チーム医療では個人対プロフェッショナル、個人対個人、プロフェッショナル対プロフェッショナルといった様々な価値対立がキメラ上に存在しているというふうに思います。
 上記のケース1においては、おそらく医療自体の目的に関する医師と看護師のプロフェッショナルとしての価値対立が、対立構造の重要な側面を構成しています。ケース2においては、医師の個人の価値観と看護師や事務職員のプロフェッショナルとしての価値観、権威勾配にもとづくメンバーの内的葛藤が生じているでしょう。

 付け加えれば、これらの事態が、さらなる混乱を招いたり、状況がさらに悪い方向へ向かった場合も考えられますが、事態がそれなりに収拾したあとに、安全な環境で事後的にふりかえることで、チームの連携力の成長に繋がる契機にすることができるはずです。


個人の価値観の多様性
 ところで、チームメンバーの個々の価値観はきわめて多様性に富んでいるという前提に立つ必要があります。
 まず、平均的な日本国民としての価値観(むろん海外出身、あるいは外国籍のメンバーの場合は異なった価値観をもっているでしょう)があるでしょうし、個々のメンバーの生育史、生活史に由来するユニークな価値観もあります。たとえば以下の◯◯にどんな言葉を当てはめるかは、メンバーごとに相当なバリエーションがあるはずです。

- 人間の生きがいとは◯◯である
- 仕事とは◯◯のためにやるものである
- 人が死ぬということは◯◯なことである
- ◯◯は言葉ではつたわらない
- 家族とは◯◯であるべき
- 親の責任は◯◯である
- こどもは親に対して◯◯であるべき
 

 こうした個人の価値観は臨床上の価値判断において、実は大きな影響を与えるものです。そして、それらが、しばしば自分自身のプロフェッショナルの価値観と対立する場合もあります。たとえばある医療従事者が「もし家族メンバーが病気になったなら、なにはなくても駆けつけるべきであり、それは仕事に優先するものではないし、それが本当の家族だろう」という価値観をもっている場合、見舞いにあまりこない患者家族は、「まともな家族ではない」と感じている可能性があります。こうした個人的な価値観に基づく感覚や印象が臨床判断にバイアスをもたらす可能性は十分あることは容易に予測されるでしょう。

 実際には、家族のあり方はきわめて多様性に富んでおり、「正常」のレンジは相当広いと考えるべきです。そして、恵まれた家庭環境で育ってきた若い医療者の家族像の許容範囲はしばしば狭小すぎる傾向があります。


 プロフェッショナルとしての価値観
 次にプロフェッショナリズムについて考えてみたいと思います。

 一般的にすべての医療プロフェッショナルに共通のコアとなる価値は以下に列挙するようなものだと思いますが、実際には個人個人でこれらの捉え方や行動化は相当違うものです。


- まず害をなさないこと
- シンプルをよしとする
- 正直であること
- みんなで協力しあって行動する
- バランスよく行動する


 注意すべきなのは、職種が同じなら共通のプロフェッショナルとしての価値観を共有しているわけではなく、たとえば医師においても個人の価値がプロフェッショナルとしての価値体系にビルトインされていることがおおいものです。たとえば、どうすれば良いケアになるかを看護師と議論している時に、ケアのプロセスを重視する看護師に対して「要はなおればいいんでしょ。なおるようにやればいい。思いへの配慮とかっていう主観的なものでぐだぐだと議論するのは無駄だよ」という医師の発言はプロフェッショナルとしての「価値」対立の露呈なのだが、同時に、この医師のプロフェッショナルとしての価値観の個人へのビルトインの仕方の多様性も明らかにしてしまっています。
 職種ごとに倫理指針が各職能団体*3*4から発表されていますが、職種ごとのプロフェッショナルとしての価値とはこうした倫理綱領より幅広く、言語されていないものもあると思います。 

 たとえば一般的に医師は疾患の治癒(Cure)に価値をおき、看護師は患者のQOLの向上(Care)に価値をおくといわれますが、事態はそう単純ではなく、実際にはCare重視の医師もいるし、Cureを重視するセラピストも多いです。これらの個々のプロフェッショナルとしての価値観は実際の診療活動でプランや行動に具体的にビルトインされますが、それとして自分が意識していることは少ないものです。むしろ、前に述べたようにチーム内に生じる違和感や対立に関するやりとりを通じてそれが露呈することが多いという印象をもっています。そして、そこにこそ、効果的なIPWを促進するためのキーポイントがあるのではないでしょうか。


IPWにおける価値のマネージメントの実際
 さて、質の高いIPWのためには、チーム内コミュニケーションをいまいちど見直すことが重要です。なぜなら、日常的なチーム内のコミュニケーションを円滑におこなえることが、価値対立を見出し、解決するための条件だからです。 
 まず定期的なチームのミーティングの時間を保証することです。この時に、多職種で学習をすることが有用です、成人教育の観点からすると、実際のケースの検討を通じた、多職種による問題基盤型学習の形式をとるとよいと思います。これを通じて、自分以外の職種の専門性に関して、彼らの役割、価値観、問題にかんしてどのようなアプローチをするのか、あるいは問題にたいして、どこまでできるように教育されているのかといったことを知ることができるようになります。たとえば、セラピストがどのような教育課程を経ているのか、管理栄養士教育におけるカウンセリングスキルに関するアウトカムはなにか、そもそも看護学という学問はどのような体系なのか、といったことに答えられる医師はほとんどいないでしょう。しかし、それが重要なのです。逆に医師がオールマイティなスキルをもっているという幻想をいだいている他職種メンバーもいるかもしれないのです。

 これと関連して、個々のチームメンバーが他のチームメンバーに対して何を期待しているのか、その内実について共有することが大切です。たとえばあるメンバーが「ベストを尽くしたい」というときの「ベスト」とはなにか。それは個人によって定義やイメージが違う可能性があります。こうしたお互いへの期待は仕事の引き継ぎをたのむときに問題になることが多いです。情報の手渡しのスキルはつねに向上させる必要がありますが、情報の手渡しのコツは、伝える相手にどのようにして欲しいかを映画のように頭のなかで再現できるような、具体性をもった内容を伝えることです。 
 また、一般的チーム内コミュニケーションの促進をはかるために、一緒に昼食を取るなど。時間を確保して、落ち着いた雰囲気で「仕事以外のこと」について話し合うことにより促進されるでしょう。チームが一緒に昼食をとったり、仕事後に職場内でパーティをしたりすることは有意義です。

 

相互フィードバックの文化
 上述したさまざまな方略のインフラとして、チームメンバー同士のフィードバックの文化を醸成することが必要です。相手にフィードバックするスキルはすべての職種に重要です。
 効果的なフィードバックの一般原則として以下のポイントに留意しておきましょう。


1. 相手の人格ではなく、具体的な行動に対して評価するという姿勢を保つ。これを可能とするのがNo blame cultureである。
2. 推測や噂ではなく、具体的な情報や事実に基づいて行うこと。
3. 相手の失敗や弱点だけでなく、かならずうまくいったところ、強みについても同時に評価すること。
4. 相手がこのチームにどのように貢献しているかをチームメンバーで共有すること。
5. 次回はどのようにすればうまくいくか、どんな学習が今後必要なのかといった、前向きの議論に時間をかけること
6. 発言は一般的に、「私は◯◯と思う、考える」というように自分を主語にして発言するこころがける。「一般的にいうと・・・」や「世の中では・・・」といった相手への評価の主体が不明確なフィードバックは効果的でない。

 フィードバックはなんとなくできるようになるというようなものではなく,かなり意識的にとりくまないと,自然にはできるようにならないものです。

 

まとめ
 IPWにおいて、価値の対立とそのマネージメントは、チームの協働が有効に行われるためのキーになります。コミュニケーションのインフラをきちんと作りながら、対立や葛藤を明らかにし、チーム全員で考え、対応していく文化を形成できれば、IPWの質は不断に向上していくことになるでしょう。

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 このエントリーは、新興医学出版社モダンフィジシャン(Modern Physician) 2016年No.5に寄稿した記事に加筆訂正したものです。

*1:佐伯知子. IPE (InterProfessional Education) をめぐる経緯と現状, 課題: 医療専門職養成の動向を中心に. 京都大学生涯教育フィールド研究 2:9-19, 2014

*2:Saba GW., et al. The myth of the lone physician: toward a collaborative alternative. The Annals of Family Medicine 10:169-173, 2012

*3:日本医師会「医の倫理綱領」2000

*4:日本看護協会「看護者の倫理綱領」2003

情報伝達ではないコミュニケーションも医療現場には必要

 吉田尚記著「なぜ,この人と話をすると楽になるのか」太田出版,を読んで,いろいろ考えさせられました.
 

 プライマリ・ケアの現場では,患者医師関係はきわめて重要な構成要素であり,また地域基盤型ケアにおいては多職種連携実践が必要であり,また施設連携でもさまざまな情報をやり取りすることが多いです.プライマリ・ケア医とは,コミュニケーション量が相当多い仕事であるといっていいと思います.

 そして,医師の間では,コミュニケーションが効果的,効率的に情報を伝達しあう道具あるいは媒体とみなされることが多いことと,とくに患者から診断のヒントとなる情報を引き出すための問いかけが基本的はな臨床スキルとして求められるため,情報は正しく誤解なく伝えなければならないし,患者からは診療に必要な情報を必ず引き出すことができるという前提に無意識に立っていることが多いのです.
 

 しかし,構成主義的なコミュニケーション論の観点からみると,正確に意味内容が伝わるコミュニケーションというのは基本的に不可能であるという前提に,まず立つことが必要となるかもしれません.たとえば,発信する側が意図しなくても,何かが伝わってしまい,コミュニケーションが成立してしまう不可避性や,意味とメッセージの関係が恣意的であるということを前提にするということです.
 

 さて,世に流通しているコミュニケーションに関する一般書籍のなかでから,とくにこの本に興味をもった理由は,著者が「コミュニケーションを通じて最終的に何が伝わるかは,こちら側の意図とはほぼ無関係なんです」と述べているように,著者はそうは語っていないのですが,この本が構成主義的なコミュニケーション論を実生活に生かす観点で読めるように思えたからです.
 

 繰り返しになりますが,本書の出発点は,医学教育で重視される医療面接,メディカルインタビューからイメージする情報媒体としてのコミュニケーションとは違った地平のコミュニケーション観です.というのは,著者は,そもそもコミュニケーションの目的は,楽しくなるため,うれしさや喜びを体感したいというところに本質があるといい,コミュニケーションはよいコミュニケーションを成立させるために行うということ,いわばそのためのゲームであるとしているところです.そして,ダンバー数(人間が意味のある関係を築ける最大数,おそらく150人程度)で有名なロビン・ダンバーを引用しながら,猿が毛づくろいという気持ちのよい行為により集団形成をしていったが,人間は毛づくろいの代わりにコミュニケーションを発明したといっています.つまりそもそもコミュニケーションとは意味のある社会=人間集団をまとめるためのものだったと考えます.
 

 そして,次のように述べています.
「いちばん気持ちいい,毛繕い的な会話とは何か? もう答えは出ているようなものですね.ムダ話,雑談,バカ話,そういう類のコミュニケーションだったんです」
「意味のない会話と意味のある会話,両方のハイブリッドこそが,現代の社会生活に絶えず要求されるコミュニケーション・スキルです.くだらないワイドショウと真剣な意思の疎通,両方大事.毛繕いをコミュニケーションに変えてきた人間は,そういう無意味と意味のハイブリッドを生きているんですね」
 

 こうした観点は非常に重要だと思います.コミュニケーションは必ずしも言葉によるものだけではないです.たとえば,子どものころ友達が家に遊びにきて,それぞれが別のマンガを寝そべって読んで,かっぱえびせんを一つの袋から二人でつまみながら,だまってマンガを読み続け,2時間位たって「夕飯だから帰るね~」といって友達が帰っていくっていうような経験は誰でもあると思いますが,この2時間は気持ちがよいもので,充実した時間だったのではないでしょうか.こうした沈黙の時間を共有するだけでも満足感の得られる関係は現代社会においてはずいぶん少なくなったように思います.おそらくこうした友達との沈黙の時間は,それ以前のどうでもいい世間話の継続がその基礎になっているのでしょう.
 

 さて,医療や介護などの現場ではどうでしょうか?意味のある会話がを追求しなければならないというプレッシャーのなかで,毛づくろい的なコミュニケーションはどこにあるのでしょうか.
 たとえば20年近くみている,比較的安定した患者さんとの外来における定期診察で,
「どうですか?」
「かわりないです~」
「あ? そう,血圧はかっとこうね」
「はい」
「いつものくすりでいいかな?」
「はい」
「じゃ,またね」
といったやりとりは,特別何かを伝えているものではないのですが,お互いに長いつきあいのなかで,到達した沈黙がそこにあるといえるのかもしれません.これは意味のある医療面接や,インフォームド・コンセントの結果生まれたというよりも,著者が「ムダなゴシップを延々やりとりしなければ絶対にたどり着けない場所,それが沈黙です」と述べているように,いわば毛づくろい的なコミュニケーションの蓄積の結果なのかもしれません.
 

 著者の吉田尚記さんは,ニッポン放送の人気アナウンサーであり,現代の若者のラジオ人気の復活に一役かっておられるようですが,彼は自分自身を「もともとコミュニケーション障害」があるともいっていて,自身が生活や仕事のなかで獲得してきたコミュニケーションに必要なスキルをていねいに解説しています.たとえば,「相手のことは完璧には理解できない,誤解ウェルカムでいこう」,「ふだんの会話から,「嫌い」,「違う」の単語だけ外すように心懸けてみてください」,「「ホメる」,「驚く」,「おもしろがる」は,コミュニケーションの技術を考えるうえですごく重要な三大テーマと言っていいと思う」といったフレーズは,実生活だけでなく,著者が意図しなかったであろう医療や介護現場でのさまざまな文脈で有用だと思いました.
 

 コミュニケーションとは,その場の全員が気持ちよくなることをゴールとするゲームであるという視点の咀嚼を続けていくことも必要ではないでしょうか.

 

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看護理論と看護のメタ・パラダイム イントロダクション

 看護ほど、病いのなかにいる人間に対してケアを提供しながら、その実践のなかから理論やセオリーを導き出そうという困難な道程を歩んでいる領域はないと思うが、そうした実践からうみだされた理論が看護理論である。

 看護学という学問領域は、人間とはどういう存在なのか、人間と環境の相互作用はなにか、健康とはいったいどういう状態なのか、そしてそもそも看護とはいったいどのような実践なのかということをめぐって展開されているといってよいだろう。

 城ケ端ら*1によれば、メタパラダイムとはある学問を体系化するための概念的枠組みのことであり、看護におけるメタパラダイムとは、 4つの概念、すなわち人間、環境、健康、看護か ら成 り立っていることは、かな りの同意を得ているとされる。

 おそらく規範的統合における基盤としての健康モデルを考えるときに、看護理論はきわめて重要である。看護理論における健康モデルが、医療者全体に共有されることも充分ありうるだろう。

 このメタパライムに関して、定義あるいは言及している理論家としては、ヴァージニア・ヘンダーソンとベティ・ニューマンをあげることができる。

 

ヴァージニア・ヘンダーソンの看護理論のメタ・パラダイム

人間とは

14の基本的ニードを持ち、必要なだけの体力、意志力、知識を持てば自立していける存在である

**14の基本的ニード**

・正常に呼吸する
・適切に飲食する
・身体の老廃物を排泄する
・移動する、好ましい肢位を保持する
・眠る、休息する
・適当な衣類を選び、着たり脱いだりする
・衣類の調節と環境の調整により、体温を正常範囲に保持する
・身体を清潔に保ち、身だしなみを整え、皮膚を保護する
・環境の危険因子を避け、また、他者を傷害しない
・他者とのコミュニケーションを持ち、情動、ニード、恐怖、意見などを表出する
・自分の信仰に従って礼拝する
・達成感のあるような形で仕事をする
・遊び、あるいはさまざまな種類のレクリエーションに参加する
・“正常”発達および健康を導くような学習をし、発見をし、あるいは好奇心を満足させる

環境とは

ニードの充足に影響を及ぼすものすべて

健康とは

必要なだけの体力、意志力、知識があれば、自力で基本的ニードを満たすことができる状態のこと

看護とは

すべての人々が基本的にニードを充足し、自立あるいは安寧な死をむかえることができるように援助すること

 

ベティ・ニューマンの看護理論のメタ・パラダイム

人間とは

人間はひとつの開放系である

環境とは

ある状況における人間を取り巻く内的・外的作用

健康とは

良好な状態あるいはシステムの安定性のこと

看護とは

人間・家族・集団・社会を援助し、良好な状態を達成することである

 

 ヘンダーソンの看護理論は、印象としてはナイチンゲールの直系的な具体性を感じる。看護覚書の具体性とホモロジーがあると思う。 

 また、ニューマンのシステム論は、家庭医療学のパラダイムと非常に親和性が高いと思う。ちなみに、メタ・パラダイムという視点からすると、おそらく従来の医学と家庭医療学は違うパラダイムにいることは間違いないだろう。

 

 看護理論は医療者教育全般に通底する普遍性があるように思うので、今後もResearchしていきます。

 

https://www.instagram.com/p/BIEFzNqgra6/

 

*1:城ケ端初子, 樋口京子. (2007). 看護理論の変遷と現状および展望. 大阪市立大学看護学雑誌, 3, 3

地域包括ケアと規範的統合そして健康の定義

1.地域包括ケアにおける水平統合、垂直統合と規範的統合
 地域包括ケアの時代においては医療専門家、介護専門家、福祉専門家、地域住民、自治体職員など地域ベースの統合(水平統合)と、在宅医療、診療所、各種施設、中小病院、大病院、大学病院などの医療福祉施設間の統合(垂直統合)のふたつの軸で家庭医は活動する必要がある。家庭医は、ある意味で「扇のかなめ」の役割を果たすことが必要だろう。

 さて、統合ケアにおいては、文化や価値観の共有という規範的統合(normative integration)が重要になる。なぜなら、規範的統合がないと、目標の設定ができないからだ。たとえばケアマネージャーの目標と医者の目標が同じ方向でないかぎり、ケアの組織化は困難だからである。残念ながら、日本においては医師が権威勾配の頂点にいる場合がおおく、水平統合の場でも、医師の顔色を他の職種がうかがってしまい、共有された目標が、服薬や通院をきちんとできるように支援するといったような、医学モデル寄りになる場合がしばしばみられる。
 この規範的統合のキーとなるコンセンサスは、おそらく「健康とは何か?」という問いに対する答えに存在すると思われる。極端にいうと、たとえば疾患のない状態を健康と定義すると、すべてのケアやサービスは疾患駆逐のために組織されることになる。むろんCurative medicineが求められる場、たとえば大病院の専門科医療、特に外科系のそれにおいては、すべてのスタッフはそれにむかって規範的統合が達成されている。また、急性期脳卒中医療においては、救急隊からStroke care unitまでいわゆる「Time is Brain」(時は脳なり)という価値で規範的統合が達成されているといえるだろう。

 しかし、そうした価値が普遍的かというとそうではない。そうした価値が地域の慢性疾患や退行性変化のケアの世界に持ち込まれると不適切なケアの目標設定が生じる危険がある。
 おそらく疾患フリーを健康とする価値観に対抗する価値観は、「QoL重視」ということになるかもしれないが、この2つは対立させるべきではなく、もっとメタレベルのコンセプトで双方を包含すべきではないだろうか。端的にいえば、この2つが対立している限り施設間連携、すなわち垂直統合における規範的統合は不可能ということになってしまうからである。
 たとえば大病院の中に地域基盤型ケアの現場〜水平統合の現場と規範的統合が可能な総合診療科や連携室の存在によって、垂直統合を図るというのは現実的な対策ではあるのだが、ここではもうすこし普遍的に考えてみたい。つまり健康の定義を地域包括ケアのすべてのレベルで共有できないかということである。それにふさわしい定義はあるだろうか?

 

2.健康モデル
 今回は、スイスの内科医・臨床薬理学者のBircherら[1]が近年精力的に展開している健康モデルの探索に注目したい。

 古くはWHOの身体的、精神的、社会的、スピリチュアルすべてで健康なら健康であるという定義、Ottawa宣言における健康は積極的に作り出すもの、といったような様々な提案がなされてきた。

 また、家庭医療の世界では、Sturmbergら[2]が身体・心理・社会・記号論(意味論)的にバランスのとれた状態を健康と定義するといった野心的な試みがあったが、より普遍的に適用できる健康モデルの提案が期待されていた。ちなみにSturmbergがSemioticsという言葉を健康モデルに導入したのは、近年のBiosemiotics(生命記号論、あるいは生命意味論どちらとも訳語としてつかわれている)への注目とリンクしているようで興味深い。通常自然科学としての生物学は、DNAと情報への還元しかないといってよく、意味は完全に排除される。この生命はなんのためあるのか、といった言説は、科学者がわかりやすく説明するときはあえて使われるが、科学論文ではつかってはならないものとされる。しかし、Biosemioticsの研究者達は、ミハイル・バフチンの「構成部分が外的な繋がりで時空間において単に結合しているだけで、統一された内的意味を持たない時、一つの全体は機械的であるという」という言葉に導かれて、生物のような機械的でないものは、必然的に一つの意味を創り出すという前提にたっているだが、これは人間相手の医療現場では至極当然の認識であり、人間は意味なしでは生きていけないし、そのことを勘案しない陰り健康について定義はできないということである。
 余談だが、いま日本でも注目されている急性期精神病へのイノベーティブな介入法「オープンダイアログ」も理論的基盤はバフチンポリフォニー(多声性)理論である。バフチンが、現代においても極めて重要な思想家・哲学者であることをあらためて痛感する。
 さて、Bircherの健康モデルに戻ろう。


3.Meikirch Model of Health
 以下の解説はこのモデルの提唱者であるBircherがOne Healthという国際会議で行ったプレゼンテーション[3]を元にしている。

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まず、人間には生きるための欲求(demand of life)がある。この要求水準は多くのレイヤーがあるが、主として以下の3つのレイヤーがある
* 生理的欲求:栄養、ホメオキネシス、生殖、等
* 心理社会的欲求:自己実現、成功、統合、参加、等
*環境的欲求:物理的、化学的、細菌学的安全性、環境の持続発展可能性、等



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 そして、これらの欲求に応えるために、個々人は二つの種類のリソースを所有してい。それは、生物学的にもともと持っているリソースであり、もう一つは個人個人で後天的に獲得するリソースである。
これらは将来も使えなけらばならないので、リソースというよりは潜在力、可能性があるということでポテンシャル(potential)と呼ぶべきものである。

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この生物学的ポテンシャルは加齢とともに低下減少していくが、後天的に獲得したポテンシャルは、いわば人生経験、教育学習、職業などにより生涯 にわたって増加していくと理論的には言えるだろう。このグラフはその辺りを表現したものである。この後天的獲得ポテンシャルは、アントノフスキーの首尾一貫感覚(sense of coherence)が含まれる。

 

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 こうした個人の健康決定要因をエリアの外側には、いわゆる健康の社会的決定要因があり、さらにその外には健康の環境的決定要因がある。f:id:fujinumayasuki:20160816190038j:plain

 これらの健康を構成するコンポーネントはお互いに非線形的な関係性をもち、健康システムとは内的、外的な変化に対し、バランスをとりながらある一定の統一性を保っており、複雑適応系のシステムであるとされる。

 特にこの太い赤色の矢印でしめされた関係が健康の維持において大変重要な寄与要因となっているとされる。

 まとめると、Bircherの提案するメイキルク健康モデル(Meikirch model of health)における健康の定義は以下のようになる。
 「健康とは、個々人の生物学的に始めからもっているポテンシャルと、後天的に獲得したポテンシャルの二つと、生理的、心理社会的、環境的な生の欲求の間の良好な相互作用の結果、安寧(Well-being、そこそこよい状態)が創発された状態のことである。そして、生の欲求、健康の個人的決定要因、社会的決定要因、環境的要因がそれぞれ相互に影響しあっており、この相互の影響関係の改善が健康に大きく寄与する」ということになる。

 

3.健康モデルは日本の地域包括ケアに寄与するか?カンファレンスの進め方を考えてみる

 現在残念ながら地域包括ケアにおける多職種連携において、医師が権威勾配の上位にいることは間違いない。しかし、医師が学んできたのは主として「疾患」である。「疾患」についてならいくらでも語ることができる。しかし、健康ってなんですか?あるいは、この患者さんは健康ですか?ということについて語るための語彙は貧困である。おそらく、医師は仕事の性質上、臨床経験から帰納的に健康とはなにかを考える機会がないので、トンデモ健康論を披瀝する様子も散見される。やはり、健康に関するモデルを学び、演繹的に健康について考えていくことのほうが、妙なオレ流の哲学を獲得するより有効だろうと思われる。
 そこで、「メイキルク健康モデルにもとづくケアカンファレンス」のフォーマットを考えてみよう。

1.患者の生の欲求を、生理、心理社会、環境から分析する
2.生物学的なリソースをリストアップする、身体機能、認知能、疾患の状態などを評価する
3.後天的に獲得したパーソナル・ヘルス・リソースについて評価する
4.1.2.3.のバランスをみる
5.健康の社会的決定要因で影響をあたえている可能性のあるものを収集評価する、近所づきあい、社会的サポート、貧困、ジェンダーなど
6.健康の環境的決定要因で影響を与えている可能性のあるものを収集評価する、家屋の衛生状態、周辺の空気の状態や騒音など
7.以上の全体像を再度みなおし、安寧状態とはいえず、生の欲求が満たされていないとかんがえられる場合は、どのコンポーネント間の関係に介入するか、個人の健康リソースをいかに支援できるかを計画する
8.ただし、全体としては複雑適応系なので、どこかに介入すると、予想外の良い結果、あるいはわるい結果が生じることも想定しておく

 こうしたプロセスで健康志向のカンファレンスを実施できると面白いかもしれない。

 

[1]: Bircher, J., & Hahn, E. G. (2016). Understanding the nature of health: New perspectives for medicine and public health. Improved wellbeing at lower costs: New Perspectives for Medicine and Public Health: Improved Wellbeing at lower Cost. F1000Research, 5.

[2]: Sturmberg, J. P., Topolski, S., & Lewis, S. (2013). Health: a systems-and complexity-based definition. In Handbook of Systems and Complexity in Health(pp. 251-253). Springer New York.

[3]: http://www.slideshare.net/GRFDavos/one-health-summit-kopie

https://www.instagram.com/p/BHqNLKPArxv/

Integrated Careと家庭医

 今年のプライマリ・ケア連合学会学術大会で私達のグループが実施した地域包括ケアに関するワークショップでご協力いただいた,兵庫県立大学の筒井教授のレクチャーに非常に感銘を受けました。なぜかというと,地域包括ケアの理論的基盤としてIntegrated Careというコンセプトを理解しないかぎり,地域包括ケアの理解も,そして地域包括ケアに資する家庭医や総合診療医の役割も理解できないということに気づかせていただいたからです。

 そして,最近筒井先生の著書*1を読み,さらに触発されたので,自分の考えを整理するために,久しぶりにブログ・エントリーを作成してみました。

 

 まず,多くの国々はIntegrated careを取り込んだ保健医療介護サービスの提供体制の改革を進めようとしているが,それは基本的にはケア提供をシステム化する際の基盤となる理念であり,患者のケアの改善を量る目的のために提供するサービスを調整するものと捉えられています。
 しかし,Integrated Careの意味はかならずしも統一されているわけではなく,Managed CareやDisease Managementなどの類義語が多く混乱しやすい。特に日本では統合ケアは,多職種協働の意味に捉えられている傾向があり,それは間違いではないものの,それだけでないようです。

 そこで,まずIntegrated careに関するキーワードをつかむことが有用です。それにより全体像が見えるようになります。

 

 最初に,Integrationの4つのタイプ(Nortle&Mackee)について解説してみる

Functional integration:機能的統合

システムのユニットにおける財務管理,人材,戦略的計画,情報仮,品質改良などの機能的統合のこと

Organizational integration:組織的統合

独立した医療機関同士のネットワークの形成や合併,契約,戦略的提携のこと

Professional integration:専門的統合

機関や組織内及び組織間のヘルスケア専門家による協働作業,集団実践であり,契約または戦略的提携で実施されること

Clinical integration:臨床的統合

患者のケアに際して様々なスタッフの機能,活動における協調のこと

 

 次にIntegrationのメカニズムの5つのタイプ(Rosen)について解説する
Systemic integration:システム統合
政策,ルール,規制のフレームワークにおける協調

Normative integration:規範的統合
組織,専門家集団,個人の間での価値観,文化,視点の共有

Organizational integration:組織的統合
資金のプール,業務歩合制といった公的私的な契約的,協調的な統合

Administrative integration:管理的統合
事務管理業務,予算,財政システムの提携

Clinical integration:臨床的統合 
従来からいわれている臨床場面での専門職間のケア提供における連携

 

 さらにIntegrationにはその強度といったものがある(Leutz)

 またIntegrationに必要な強度の程度は,患者ニーズの複雑性と関係する。複雑なほど必要とされる強度が強い。強度の弱い順に並べてみよう。
Fragmentation 

市場における商取引と同レベルで分断された状態~Integrationがもっとも低レベル

Linkage
よく日本の地域保健医療の分野でいわれる「連携が大事」という言説はこのレベルである。日常的な相互理解と必要に応じて他団体に照会して回答がえられるというレベル。顔のみえる関係を日常的につくるということに近い。

Coordination
個々の個人・団体は個々に調整の責任をもち,調整の場をもっているが,特定の状況については協働するレベル。定期的な困難事例検討会を実施しているような状態といえる。おそらく地域ケア会議を定期的に有効に実施しているようなレベルといえるだろう。

Full integration
これは利用者の必要なサービスをオーダーメイド的に作っているような状況のレベル。尾道モデルがこれにあたるという評価がある。

 

 そして,Integrationの幅については以下の2つがある
Vertical integration:垂直的統合
様々なサービス分野を1つの組織でおこなうというイメージである

Horizontal integration:水平的統合
様々なケアの連携を改善していくものというイメージである。

 

 非常に錯綜しているようにみえるが,従来の我々医師がもっている地域の統合ケアのイメージはおそらく信頼Trustに基づく,顔の見える関係づくりというような,ある意味ナイーヴなイメージだったかもしれない。しかし,Integrationとは,もっとシステムや組織マネージメントも含んだ非常に広いパースペクティブを持つものである。

 さて,家庭医としては,こうしたいIntegrationに関する構成概念を整理し,プライマリ・ケアにおけるIntegrated careのモデルを提示しているValentijn*2の以下の図に注目したい。Integrated primary careのアウトカムを,いわゆるTriple aimと設定し,規範的統合と機能的統合を水平軸にして水平統合を個別ケアからポピュレーションケアまで拡大し,統合のレベルをClinicalからSystemまでの4つのレイヤーの層化して垂直統合,水平統合に連結させています。非常にうまく視覚化していると思います。

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 この「カオスの虹」!!と名付けられたモデルは,地域でIntegrated primary careに携わる家庭医が自身の活動を計画したり,評価する際に非常に有用です。ここから,日本のこれからの地域包括ケアの時代における家庭医の役割について考えていきたいものです。

https://www.instagram.com/p/BGvuO8wy-Ui/

Instagram

*1:筒井孝子:地域包括ケアシステム構築のためのマネージメント戦略. 中央法規 2014

*2:Valentijn, Pim P., et al. "Understanding integrated care: a comprehensive conceptual framework based on the integrative functions of primary care."International Journal of Integrated Care 13.1 (2013): 655-679

都市型診療所家庭医の私的エッセンシャルドラッグ或いはP-ドラッグ(改訂継続中)

 家庭医の自家薬籠において,「よく処方するくすり」ではなくて,これがないと家庭医療ができないよ!!的なくすりのリストを作ろうとしていますが,いまのところあれこれ検討して,以下のようになっています。一部商品名になってます。わたしのコンテキスト(たとえばウイメンズヘルスの問題は比較的頻度が少ない)でえらんでいますので,すべての家庭医にフィットするわけではありません。

 さらに改変して種類を減らそうと考えています。50種類以下にしたい。さらにP-Drug的な検討も必要だと思います。グループ分けはかなり恣意的です。

 

喘息・COPDなど

  • フルタイド吸入
  • スピリーバ吸入
  • メプチンエア
  • 麦門冬湯

アレルギーなど

偏頭痛

  • スマトリプタン

消炎鎮痛

ステロイド

抗けいれん・鎮静

各種感染症

  • テルビナフィン
  • バラシクロビル
  • アモキシシリン(細粒含む)
  • セファレキシン
  • アジスロマイシン
  • レボフロキサシン
  • セフトリアキソン注

鉄剤

抗凝固・抗血小板・循環器

  • ワルファリン
  • ニトロール
  • サンリズム
  • インデラル
  • エナラプリル
  • アムロジピン
  • ベンチルヒドロクロロチアジド
  • フロセミド
  • ビソプロロール
  • カルベジロール
  • バイアスピリン

胃薬

便秘薬

  • センノシド
  • 麻子仁丸

甲状腺

  • チラージン

泌尿器

  • バップベリン
  • タムスロシン

各種メンタル・精神・認知症

糖尿病・脂質異常

  • メトフォルミン
  • グリメピリド
  • ジャヌビア
  • リナグリプチン
  • ランタス注ソロスター
  • ノボラピッド注
  • アトルバスタチン

痛風

  • アロプリノール

クランプ

  • 芍薬甘草湯

その他

  • ロキソニンテープ
  • エンシュア・リキッド
  • ヒルドイド軟膏
  • リンデロン軟膏
  • テビーナ軟膏
  • プロペト
  • https://www.instagram.com/p/BE-U4HWS-R0/

    Instagram

総合診療医養成のKey Issues

 最近時節柄?総合診療医の専門研修に関して,お呼ばれしてお話することが増えました。このところお話している内容をまとめてみました。

 

総合診療専門医のコアとなる6つの能力

 総合診療専門医に必要な6つのコアコンピテンシー(日本専門医機構)とは、1.人間中心の医療 2.ケア包括的統合アプローチ 3.連携重視のマネージメント 4.地域志向アプローチ 5.公益に資する職業規範 6.診療の場の多様性、とされ、これらは海外におけるプライマリ・ケアの専門医である家庭医やGP(general practitioner)教育におけるコンピテンシーセッティング[1]と相同性がある。そして、これらのコアコンピテンシーの内実の把握が教育設計上必要となるが、従来、医学における専門性(科)は、「対象とする疾患」「年齢・性別」「実施する手技」等によって定義されてきたため、こうしたジェネラリストに独特のコンピテンシー設定は、日本の一般の医師には馴染みがなく、直感的に理解しづらいかもしれない。そこで、総合診療専門医に必要な6つのコンピテンシーは6つを並列にみるのではなく、6つ目の「多様な場での診療ができること」をコアと考え、どのような場にあってものこりの5つのコンピテンシーを場のコンテキストにあわせて発揮することができるという視点からみると理解しやすいだろう。

 ここでは、総合診療専門医に期待される具体的な診療内容(外来、在宅、救急、病棟、地域を含む)を事例も含めて具体的に提示し、総合診療専門医教育の方略の方向性について議論する。

 

病棟診療教育のポイント

 病棟医療における総合診療医に期待される役割は、ほぼ以下のように要約される。これらはある意味で、現在の日本の病棟医療において問題とされている領域であるといえる。

  •  外来、在宅などとシームレスでスムーズな連携が必要なフレイルな高齢者の入院マネージメントができる
  •  他科専門医と連携して、併存疾患の多い患者の治医機能を果たすことができる
  •  心理社会倫理的複雑事例に対して、専門職連携実践(interprofessional work)によりマネージメントができる
  •  地域との連携機能を活用し退院支援ができる
  •  癌及び非癌患者の緩和ケアができる
  •  診断困難事例への対応ができる
  •  安全管理、診療の質保証、院内教育活動など、病院運営に必要なマネージメントチームの一員として役割を果たすことができる

 これらのコンピテンシーの基盤を獲得するためには、珍しい疾患の経験よりも、その施設でよくある病態を経験したほうが、熟練した他の専門職から多くを学ぶことができることもあって適している。重症疾患・希少疾患を診ることができるなら、軽症疾患・日常病を診ることはできるはずであるという、従来の内科トレーニングの発想は当てはまらない。たとえば、フレイルな高齢者で誤嚥性肺炎や慢性心不全で入退院を繰り返しているような患者をマネージメントすることが、総合診療医に求められる質の高い在宅診療のためのよい研修になることを強調したい。

  手技に関してはその施設の文化や必要性に応じて計画的に習得すればよい。たとえば、地域のリソースの観点から、上部消化管検査を総合診療医が実施することが必要であるとなれば、上部消化管内視鏡検査のトレーニングをカリキュラムに入れることは正当である。総合診療医に必須の侵襲的手技は設定すべきでなく、あくまでコンテキストや本人の希望に応じて目標を設定したい。 

 

病棟診療教育の事例

  病棟での総合診療医の研修や医療活動をよくイメージできるように、事例をいくつかあげて解説する。

 事例1:87歳男性、定期訪問診療を受けていたが,高熱が出現,ADL低下し紹介入院 した。身体診察からは熱源不明 、血液培養実施し,画像診断にて急性胆道感染症と診断 された。入院によるせんもう予防のプロトコール(HELP)も他職種で実施した。

 在宅医療の現場では様々な制約から、病歴、身体診察のみから症状の原因を推定せざるを得ないことがあり、また発熱による生活機能の急速な低下による入院依頼となることも多い。この場合、何科に入院するのが適切かを紹介元が判断できない。こうした診療コンテキストを理解して、入院を受け、診断と治療を行うことが総合診療医には求められるだろう。   

 そして、胆道感染症改善後速やかに在宅医療に移行することができるように、せん妄予防やリハビリテーションの導入などにチームで意識的に取り組むことが必要である。こうした要素はすべて総合診療医の教育コンテンツである。

 事例2:63歳女性、乳がん,多発性骨転移,高カルシウム血症による意識障害で入院 。スタッフ&家族と今後の方向性についてカンファレンスをくりかえし,自宅での最期を希望されており,在宅医療担当グループに移行するためのミーティングを行うことになった。

 日本においては緩和ケアが必要とされる入院患者は一般病棟にいる場合が多い。一般病棟入院中のがん患者の緩和ケアや在宅緩和ケアの導入などは、総合診療に求められている重要な任務である。がん及び非がん患者の緩和ケアは総合診療医の教育コンテンツとして重視される。また、地域の在宅チームとの様々な架け橋になることも重要なで、ミーティングの運営技術もふくめて様々なマネージメントスキルにかんする学びも必要であろう。

 事例3:70歳男性 、くりかえす失神発作の原因精査目的で紹介入院。入院後洞機能不全症候群の可能性が高く、循環器内科にコンサルテーション,PPM挿入となった 。基礎疾患に糖尿病がありインスリン導入を実施 。

 診断困難事例のマネージメントを様々な専門家にコンサルテーションしながら行うことも総合診療医の病棟における役割として求められている。総合診療医は必ずしも「診断専門医」である必要はない。様々な情報を統合し、主治医として患者とよく話し合い、ゴールを設定してくような姿勢が期待されている。

 

プライマリ・ケア外来診療教育

 プライマリ・ケアにおける非選択的外来ができることが目標となるが、これは年齢、性別、臓器、健康問題に種類によらず、初期診療や継続診療ができることを意味する。そして、総合診療専門研修においてもっとも重視すべき領域である。

  日本では、特に内科領域においては病棟医療がトレーニングの中心であり、「病棟診療ができれば外来診療はできるはずだ」という誤った医学教育観が長く保持されている。しかし、海外の家庭医療やGPの領域における様々な研究結果によれば、外来診療は、独自の教育コンテンツをもち、それとして教育され、評価されなければならないとされる。残念ながら、日本においてはプライマリ・ケア外来診療領域の研究も教育もほとんどなされてこなかった。また、本来実施すべき価値の高い医療(High value care)であるヘルスメインテナンスや、外来医療の重要なタスクのひとつである受療行動の指導などが行われていないことも多い。また、おそらく今後の日本の外来における総合診療教育を有効なものにするためには、外来医療自体のシステムや制度にも工夫が必要でである。総じて、教育の場、方略、評価にイノベーションが必要である。

 教育コンテンツとしてとくに重要なのは、慢性疾患ケア、老年医学(geriatrics)、こどもの成長発達支援(予防接種や健診など)、多疾患併存(multimorbidity)のマネージメント、外来患者集団をpopulation at riskとして捉え診療の質改善に取り組むこと、などがあげられる。

 

外来診療指導の実際

 まず、かぜ症状を主訴に外来受診した患者に関する教育内容について考えてみよう。17歳の女子高校生が3日前より生じた咽頭痛で来院。咽頭所見より溶連菌感染を考え、迅速検査で陽性反応あり。抗菌薬を10日処方した。

 この事例においては、急性咽頭感染症の鑑別診断と治療が指導内容になるだろうが、総合診療の外来では、めったにあわない思春期の地域住民に医師が出会った場合、何をタスクとすべきかという視点が重要である。たとえば、「タバコは吸ってないよね」「何か他にききたことある?なんでもいいよ」といった声掛けが、意外な健康問題を浮かび上がらせることもあるし、そうでなくてもいつか健康問題を相談したいときのリソースとしてその医師が位置付けられる可能性が高い。カゼは普段接することのない地域住民との出会いのきっかけをつくるものとして位置付けると、なんでもない外来診療の風景が変わってみえるだろう。

 次に、転居してきたばかりの1才の男児が、1週間つづく咳と鼻水で来院した事例を考えてみる。この場合、小児のかぜ症状への対応が教育内容であり、こうした症状から重症になりやすい疾患を念頭においた診断と治療や、母親への説明の仕方が大切であることはいうまでもない。

  そして、連れてきた母親に対して、母子手帳を見ながら妊娠中のトラブル(入院、中毒症、高血圧、タンパク尿などの指摘)がなかったかどうかきいてみたい。実は妊娠中に高血圧を指摘されていたが、実はその後フォローされていなかったかもしれない。また、転居して慣れない育児環境の中で何か気になること、相談したいことはないかどうか気軽にきいてみたい。場合によっては、実家の近くに越してきたが、自分の母親の物忘れが気になっているという話が出てくるかもしれない。こうした、小児の健康問題だけでなく、家族もふくめた相談相手になるためのタスクが総合診療医にはある。

  次に、高齢者の外来診療を取り上げてみる。89才の女性が夜間尿失禁を主訴に来院した事例を考えてみる。通常の医学生物学的診断治療のみで解決可能な健康問題の割合は、虚弱高齢者の場合は約半分である。日本の老年医学の教育は、長く高齢者に特有な疾患の教育にとどまっており、本来の老年医学geriatricsの教育は不充分であったといえるだろう。

 高齢者は漠然とした症状が多いので、まず、この患者はどのような生活をしてるのか、その全体像を、ADL、IADL、認知機能、社会的サポート状況を聴取しないと、問題の真の姿はみえてこない。結局この患者はもともと糖尿病、心不全で他院に通院していた。利尿剤が最近増量され、夜間尿が増えた。もともと膝関節症で動きがおそく、白内障の悪化でくらい廊下をトイレまで歩くのが困難だった。これらの要因が重なって、夜の排尿が間に合わなくなったのである。これらに病態生理学的な因果関係はなく、問題が累積した結果である。虚弱高齢者のプライマリ・ケア外来診療においては、主訴を一旦カッコに入れて、全体を評価することが必要な場合が多い。

 

プライマリ・ケア外来診療の構造

 前述したように日本では、外来診療は病棟医療における診断治療プロセスを外来に適用することであるという誤った考えが従来から根強くある。しかし外来診療の現場に実際出てみれば、そう単純ではないことは、すぐわかるのだが、診断治療以外の部分を、接遇やコミュニケーションの問題とする傾向があり、まともに学ぶ機会がほとんどなかった。そのため、フィードバックを受けたことのない、自己流の外来診療様式が蔓延することになった。しかし、世界的にみると、家庭医療やプライマリ・ケアの世界では、プライマリ・ケア外来診療は、病棟医療とはちがう構造化が必要であり、それとして教育されるものであると捉えるのがスタンダードである。

 もっともシンプルな外来診療モデルはStottら[2]によるプライマリ・ケア外来診療の「4つのタスク」モデルである。これは外来診療のタスクを「急性の問題への対応」「慢性の問題への対応」「予防医療的介入」「適切な受療行動の指導」の4つとするものである。たとえば、外来診療診療後にこの4つの領域に添って指導医と症例を振り返ることによって、このモデルにもとづく診療所が可能になる。さらにもっと洗練された外来診療構造モデル[3][4]もある。

 プライマリ・ケア外来診療の教育は、その構造自体の理論的な学習と、ビデオレビューなどの新しい教育技法の導入の2本立てで取り組むことが必要である。

 

救急医療教育のポイント

 救急医療については一般外来、あるいはプライマリ・ケア外来と違う臨床推論を学ぶことになる。たとえば、腹痛の診療においては、それが同程度の症状であっても、プライマリ・ケアと救急医療では事前確立・検査前確率が異なるため、鑑別診断の優先順位を変化させる必要がある。しかし、これまで医師一般のトレーニングの場が2次ー3次医療機関に設定されていたため、そこにおける臨床推論をプライマリ・ケアの場にそのまま適用しがちであったといえるだろう。総合診療医はそうした場における推論プロセスの違いを使い分けることができるように教育されなければならない。

 総合診療専門研修中だけでなく、生涯教育の観点からも、またプライマリ・ケア外来診療の安全性や質の担保のためにも、救急医療は専門研修修了以降も継続して関わりたい。診療所が主たる仕事の場面であっても、病院の救急医療に一定関わり続けるというスタイルが、あたらしい総合診療医には必要である。

 救急現場でのトレーニングで目標になるのは、重症疾患の治療経験というよりは、一般的な主訴であっても、危険な症状や所見(red flags)を見逃さない能力の獲得であろう。いわゆる北米型ERでの研修が最も教育効果があるといわれる所以である。

 

在宅医療教育のポイント

 今後の超高齢社会と地域包括ケアの時代において在宅医療は重要な医療の場となるが、現代にもとめられる在宅医療は、比較的介護度が高いが医療需要度は低いタイプの患者のケアのことではない。DPCの時代になり、入院患者がトータルにすべての問題をマネージメントされた状態で退院することはなくなり、医療需要度の高い在宅患者が増えてきている。特に急性期対応や在宅緩和ケアを実践できる知識と技術が求められるだろう。

 また、かつては社会的入院という名目で、入院させることで事態を前にすすめることができた地域の複雑困難事例を、入院させずに地域でマネージメントする頻度が急増している。

 おちついた在宅患者の訪問診療、本人の状態が変化ないことを確かめ、介護者と談笑し、定期薬を処方して笑顔で帰っていくようなノスタルジックな往診風景はだんだん少なくなるだろう。逆に、発熱で臨時往診し、身体診察と限られた検査を行い、血液培養をオーダーし、鑑別診断は何か、緊急入院の適応はあるのか、抗菌薬の選択はどうするか、といった行動が必要になる。

 また、在宅医療においては、地域ベースの様々な職種でチームを形成する機会が多いが、ふだんから顔のみえる関係を構築すること、また専門職連携実践の促進因子と阻害因子を理解し、適切なリーダーシップの発揮あるいは移譲を行うことが大切である。

 総合診療研修における在宅医療の経験においては以下に列挙するようなケースをバランスよく受け持ち、多職種参加のカンファレンスを実践できることが目標になる。

  • 緩和ケアを必要とする患者(がん、非がん)
  • 在宅ケアを新規に導入する患者
  • 心理社会的倫理的に問題の多い複雑事例
  • 介護度は高いが医療需要度が低い安定した患者

 

地域ケア教育のポイント

 地域ケアは従来最も医師教育には欠けていた領域であると言える。この場合の「地域」は自治体の区切りではなく、何らかのリスクを共有する人口集団ととらえたほうが良い。市町村単位の人口集団全体を対象にした活動はむしろ公衆衛生や医療政策のテリトリーであろう。

 例えば、自分の病院や施設の外来に通院している90才以上の患者集団に関して、なんらかのヘルスプロモーション活動を行い、あるいは地域にすんでいる子育て中の外国人に対して育児や小児保健にかんする定期的な情報交換の集まりを作るプロジェクトに取り組むような活動が、総合診療医養成プログラムにおける地域ケア研修のイメージである。単発的に住民をあつめて健康講話を開催するようなことも悪くはないが、講話の設計をたとえば教授設計法であるガニエの9教授事象[5]などを参考にして行い、実際に講話の参加者に事後アンケートを評価として得られるようなカリキュラムでないと、「やってみた」以上の教育効果は得られないだろう。

 

おわりに

 総合診療医養成を行うためのキーポイントは、様々なコンテキストの現場でのトレーニング環境をつくるところにある。それは、これまで医師養成の中心であった病棟医療の現場での教育だけでは、総合診療医に期待される社会的役割を果たすコンピテンシーを身に付けることは困難であり、プライマリ・ケア外来診療、軽症~中等症救急診療、在宅ケア、地域ケア等における教育をバランスよく効果的に実施できるための教育イノベーションが必要になるということでもある。

 

参考文献

[1]: 公益社団法人地域医療振興協会診療所委員会(訳). 英国に学ぶ家庭医への道. メディカルサイエンス社, 2013

[2]: Stott H, et al. The exceptional potential in each primary care consultation. Journal of the Royal College of General Practitioners; 29: 201-5, 1979

[3]: Stewart M. Patient-centered medicine: transforming the clinical method. 3rd ed, Radcliffe Publishing 2014

[4]: Neighbour R, 草場鉄周(監訳), The Inner Consultation 内なる診療. 第1版, カイ書林, 2014

[5]: 市川 尚 (著), 根本 淳子 (著), 鈴木 克明 (監修). インストラクショナルデザインの道具箱101. 北大路書房 2016

 

 

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