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ジェダイ・マスター的家庭医になるために

 

 Robert B. Taylor著 吉村学/小泉俊三 監訳 テイラー先生のクリニカル・パール1:診断にいたる道筋とその道標 メディカル・サイエンス・インターナショナル が出版された。

 僕が個人的に勝手に「Taylor三部作」と呼んでいる一連のRobert Taylor先生のマスターピース単著群の日本語訳が開始されたことは、まことに喜ばしい。超一流家庭医の臨床能力はこの三部作により表現されていると思っている。

 僕にとっての家庭医のジェダイ・マスターは、Ian McWhinney、Robert Taylor、そしてGayle Stephensである。Taylor先生以外はすでに鬼籍に入られたが、Taylor先生がまだまだお元気だときいている。

 この本は、目次をみると、新生児から高齢者まで、婦人科的問題から眼科的問題まではばひろくとりあげられている。米国家庭医のFull scope診療を垣間見ることができる。

 しかしながら、項目は特に網羅的というわけではなく、また項目に関連した総論的な記述がされているわけでもない。いわば、臨床医のつぶやきのようなものである。「140字で語る臨床医学」みたいな本がもしあるとすれば、ここに提示されるような形態になるかもしれない。実は最近、Twitterで書籍がかけないかとおもっているのだが・・・だから、この本は、Point of Careで臨床的な疑問を解決するためのリファレンスとしては使えないだろう。むしろこの本の価値は、Taylor先生が超一流の家庭医であり、本書でとりあげられている問題が、自身の臨床経験に由来しているというところにある。そして、それ故に通読することが重要な本であるともいえる。通読することで、マスター家庭医の頭の中を追体験してみることが可能になるのだ。

 生涯学習の重要なモメントとして、驚きや予想外のできごとを重視すべきであると、ドナルド・ショーンは言っているが、臨床上のサプライズに対して、その場をなんとか切り抜けるために、過去の経験や、文献、情報ネットワークなどを屈指するのだが、事後的にそのことを振り返ることで、自分なりにサプライズの経験を理論化することが重要だといわれている。この実践の理論の構築の習慣がマスターになるためには重要である。このプロセスが、省察的実践家として成長するプロセスそのものである。そして、この書籍の記述は省察的実践家としてのTalor先生の「実践の理論」の集積であり、パーソナル・ナレッジベースが披瀝されているということもできるだろう。

 たとえば、「発熱」002において、「熱射病は、深部体温を急速に低下させるとともに、迅速な介入が必要となる危険信号である」と記述されているが、いわゆる熱射病を熱疲労などと一緒にしてはいけないというパールである。おそらく実際にこのような経験、あるいは重篤な熱射病をそれとして認識することができない事態を目撃した経験があったのではないかと推察される。また「乳幼児と小児」048には、「5日以上発熱が続く小児では川崎病を考慮する」とサラリと書いてある。発疹やリンパ節腫脹が書かれていないところが重要である。とにかく5日熱がつづけば考えろということであるが、これが「実践の理論」であり、クリニカル・パールである。

 クリニカル・パールというのは、ヒヤリとした経験や失敗した経験から生まれるものである。しがたって、事故やミスを防ぐための認知領域の方略ともいえる。よいパールをたくさん身につけることは、医療事故をおこしにくい体質をもつというふうにいいかえることもできるだろう。

 また、クリニカル・パールは過去の文献などを参照することによってより磨かれる。単に、ひとりよがりのパールというのもあって、危ないバイアスにみちているものである。自分自身の臨床経験を課題評価するのは危険である。やはりパールは、いつの時代でも大事な文献による検討、同僚とのディスカッション、SNSなどのネットワークのなかでブラッシュアップされるべきものである。

 本書のような個人的なクリニカルパール集は、ヤブ医者にならないために、意識的に作るべきだろうと強く思う。臨床経験から疑問の抽出、振り返り/省察、文献による検討、自身の課題の記述ということが日常化され蓄積されるならば、ヤブ化は防げるだろう。

 ところで、家庭医と総合内科医の違いはどこにあるか?といった疑問に対しては本書と、著名な総合内科医であるローレンス・ティアニー先生よるクリニカル・パール群のフォーカスの仕方との差異に、一つの解答があるといえるような気もする。

 

 

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