看護研究が家庭医療に寄与するもの

Introduction

 看護研究に医師が日常的に接するという場面はこれまであまりなかったのではないかと思います。看護研究は看護の研究であって、医師の仕事や役割は看護とはちがうところにあるとかんがえられていたこともその原因のひとつでしょう。看護師と医師はそれぞれ独自のプロフェッショナルアイデンティティがあるということは、以前にくらべてかなり明確に医療会では意識されてきていると思います。むろん一部の古い世代では、看護は医師の補助、介助の仕事であるというふうな言説はのこっていて、看護師が行う看護研究の具体的イメージがまったくもてていない現状もあると思います。さらに、医師の卒前医学教育では、専門職連携教育(IPE)が徐々にひろがりつつあって、看護師の職能を理解する機会は増えてきています。例えば、すくなくとも看護の独自業務としての、保助看法における「療養上の世話」に対する認識は医師の間でもかなり理解されてきたといえるでしょう。しかし、看護学あるいは看護研究とは何かといった内容のカリキュラムが医学部で行われているという話は、あまりききません。

 しかしながら、結論からいうと私が専門とするプライマリ・ケア、家庭医療学、医学教育の領域では、看護研究の成果は極めて有用だと考えています。

 

看護研究と家庭医療学

 家庭医療学(Family Medicine)とは、シンプルにいえば「質の高いプライマリ・ケアを地域住民に効果的、効率的かつ公平に提供することに資する学問領域」のことです。そして、プライマリ・ケアに従事する医師の基盤的学問でもあります。ただし、日本においては歴史的にプライマリ・ケアの担い手医師は、専門医である開業医により多く担われてきました。感染症が主たる健康問題だった時代には非常に有効なシステムでした。しかし、慢性疾患から退行性変化へ健康転換がすすむとともに、現代に必要なプライマリ・ケア医をそれとして養成する必要性が認識されるようになり、海外ではスタンダードな存在である家庭医やGP(一般医)が注目され、その基盤となる学問領域としての家庭医療学も認知度が上がってきています。

 さて、上述した家庭医療学の定義の一つ一つの言葉を取り上げてみると「プライマリ・ケア」「質」「地域」「住民」「効果的」「効率的」「公平」といったキーワードが、研究の領域を示すといえるので、狭義の医学研究である「疾患を対象とする生物医学的な研究」にとどまらないものであることが理解できると思います。こうした家庭医療学のパースペクティブStangeらはGeneralist Wheel[1]として俯瞰的に提示しています。プライマリ・ケア担当の総合診療医である家庭医が現場で遭遇し、解決・安定化を求められる領域、具体的対象の例、研究方法を整理すると

1)臨床医 自己への気付き、省察ジャーナリング

2)関係性 対人関係 参与観察

3)患者・家族・地域社会 個々の価値 深いインタビュー

4)正義 社会的価値 政策分析

5)システム 組織 ヘルスサービス研究

6)優先順位 医療の価値 費用効果分析

7)疾患 自然科学的対象 疫学や実験医学

8)情報技能 根拠に基づく医療(EBM) 教育学

9)統合 ヘルスケアと癒し 越境的研究や混合研究

の9つとされ、医学生物学、疫学、医療社会学、人類学、心理学、政策科学など多くの学問領域がクロスオーバーしている領域であることがわかります。こうした領域設定は、あきらかに現代的な看護研究とホモロジーがあり、しかも研究方法論に関して共有できるものもすくなくありません。

 ただし、北米やヨーロッパにおいてさえ、家庭医療学への研究ファンドは必ずしも多くありません。しかし、プライマリ・ケアの重要性は各国の医療保健政策のステイクホルダーにはよく理解されており、近年急速に発展してきている分野といえます。

 

卒後医師研修、医学教育と質的看護研究

 次に、医学教育、特に卒後研修において看護研究の成果を導入した経験を紹介したいと思います。

 臨床の場面において、複雑な(complex)問題に直面した際に若い医師が抱えやすいいくつかの困難性がありますが、その中の一つに「複雑であることをどのように分析・記述し、伝え、共有すればいいのかわからない」ということがあります。

 実際に経験した教育事例ですが、あるレジデント(専攻医)が癌のエンドステージの患者の受け持ち医になりました。丁寧に家族に病状を説明した翌日、患者の家族に呼び止められ「うちのひとは、大丈夫なんでしょうか?」と聞かれたので、ふたたび丁寧に説明したのですが、その次の日も家族に病棟で呼び止められ、説明をしたとのことでした。ベッドサイドの回診のときも家族に「つかまって」しまい長い話をきかされたり、さらに状態安定しているので、家に帰れるうちに帰りましょうと提案すると「家ではとても面倒見れないです」と断られたとのことでした。専攻医は私に「どうも話が通じない、理解の悪い家族」だと思うが、どうしたらいいのでしょうという相談をしたのです。

 そもそも人間は、論理や仮説に基づく行動をしないことがしばしばあり、人間の主観とそれに内在する不合理性に焦点をあてなければうまく説明できない現実が多く存在します。特に生身の人間に向き合う医療現場ではしばしば困難な問題としてそれが立ち現れます。こうしたことに対しては、質的看護研究による様々な対象研究と理論構築が参考になります。複雑困難な事例を前にして、その事例をフレーミングする枠組みや記述するボキャブラリーが「自分自身の人生経験」しかなければ、ただ困惑するだけでしょう。 

 私は、平 [2]による終末期がん患者を看取る家族が様々な緊張状態とどのようにして折り合い、乗り越えているのか?という問いに対する質的研究を専攻医に紹介しました。この研究では家族が折り合うためのストラテジーとして、「状況や自分の行動を受け入れる」「面倒や負担から自分を守る」「可能な添い方を試みる」といったカテゴリーを抽出しています。終末期のケアにおいて、家族が何度も病状の説明を求めたり,「本当に治らないのでしょうか?」「何かよい治療がほかにあるんじゃないでしょうか?」といったことについて若い医師が対応する場合、そうした家族の行動を「病状理解が十分でない」と評価しがちですが、この質的研究によれば家族は状況を受け入れるための「吟味」をしていると理解することができます。また,自宅への退院をすすめる際に「この状態では家にかえれない」「入院をつづけてください」と家族から意見が出た場合「自宅での介護にあまり熱心ではない」などと評価しがちですが、実際には状況に折り合いをつけるために「家族を守る」という戦略を採用していると理解することができます。質的看護研究の中には、医療における複雑で困難な状況を理解するためのタームとモデルを提供しているものがあります。専攻医はこの研究論文を読み、自分の患者やその家族の捉え方が、狭かったことに気づき、この家族への対応を看護師と相談しながら、うまく行うことができるようになりました。

 別の事例を紹介します。超高齢社会である日本において、定期訪問診療はプライマリ・ケアにたずさわる医師にとって非常に重要な仕事となってきています。一人の若いレジデントがある単身生活の高齢者の定期訪問診療を担当していました。「一人暮らしで寂しくないですか?」ときくと、「さびしいときもあるね・・・」というこたえがかえってきて、施設で生活したほうが、他の人もいるし気が紛れていいのではないか」と私に相談したのでした。

 通常若い医師は、家族としては、自分とその周辺の家族くらいしか知らなかったりするので、「正常」にみえる家族構成はかなり狭い場合があり、単身世帯だったり、少し変則的な家族に出会ったりすると、ハッピーにみえなくて、なんとかならないのか!と考えてしまったりします。

 この医師の指導する側としては、「この方のQOLはどうなんだろうね?」と問いかけてみました。このときに、たとえば一定の数の単身生活高齢者を対象にして、なんらかのQOL測定ツール(例えばSF-36)によるサーベイを実施したという研究は、果たして役にたつでしょうか?私の考えでは、むしろ田村[3]によるひとり暮らしの高齢女性のQOLに関してグラウンデッド・セオリーを用いた質的研究論文の方が役にたちます。この研究によると、ひとり暮らしの高齢女性のQOLは「しあわせ型」「心残り型」「あきらめ型」「うらみ・くやみ型」の4パターンに識別され、特に「一人暮らしをどうして選んだのか」という要因が重要で、特に自分で意識的に選んだレイヤーは「しあわせ型」と「心残り型」に集中するという知見が非常に興味深いと思います。論文自体もいきいきと記述されており、すでに発表されてから20年以上が経過していますが、いまでも色あせない印象があります。この論文をこのレジデントに読ませたところ「自分の人に対するみかたの幅の狭さを実感した」「この枠組みを念頭に、患者さんと対話してみたいと思う」とコメントが得られました。

 この教育事例にように、優れた質的看護研究はそれを読むこと自体が医師に対してきわめて教育的であるということがわかります。

 対象の理解と説明、すなわち意味(meaning)の探求をめざす質的研究は、本来的には処方的研究、つまり「こういう場面ではこうしなさい」という推奨をめざすものではありません。しかし、質的看護研究との対話によって、自分自身の認知バイアスに気づき、別の視点から患者や家族に向き合えるようになるという意義は、医師にとっては非常に大きいことだと考えています。現在の日本の医学教育においては、こうした側面への教育はほとんどなく、医師個人の資質に還元されてしまうところがあり、へたをすると不適切な「オレ流」の患者さん理解が横行してしまう現状もあります。

 私は、良い質的看護研究は「医療における意味」の探求成果として、すべての医療職が共有すべきと考えています。

ヘルス・システムと看護研究

 次に、私が関心を寄せている看護研究領域として、ヘルス・システムを対象とした研究群があります。ナイチンゲールの活動の歴史をみればわかるように、もともと看護師は一定のポピュレーション(入院患者、地域住民等)に対して看護師集団として取り組むという特徴を持っています。また、病院や施設という医療やケアの環境調整、チームのスムーズな運営、指揮命令系統の最適化などが、看護師という仕事の本質と関連しています。また、この看護が対象とする「一定のポピュレーション」には地域=共同体=コミュニティも含まれます。

 看護師はしばしば個別ケアの場面でその仕事の内容が語られることが多いですが、例えば、ナイチンゲールをモデルにした藤田和日郎の手によるマンガ「ゴースト・アンド・レディー」には、個別ケアと組織マネージメントを有機的に結びつける看護師の様子が活写されています。

 たとえば、RCTなどによりその有効性、安全性が科学的にあきらかになった看護師の介入行為としての「身体抑制はしない」というエビデンスが、それまでのその施設で伝統的におこなわれてきた身体抑制をいかにゼロまでもっていくか、という課題はエビデンスをどう組織文化にしていくことができるかという研究分野でもあります。医師の場合、エビデンスに基づく医療を実践するかどうかは、あくまでその医師個人の意識の問題になっていることが多いのです。しかし、看護は組織で動きますので、どうしたらそのエビデンスを組織に実装できるのかというまったくちがった動きをします。こうした、Evidence based practice implementationEBP実装)をむしろ医師が学ぶべき時代になっていると思います。例えば、アイオワ大学の看護学部が提案している、EBPの実装プログラムであるアイオワモデル[4]はとても洗練されており、すべての医療者が一読したい内容をもっています。

 病院における医療の質の担保をどうするのか、そして安全性をどう確保するのかついては、組織変革が重要で

 さて、2006年に米国のThe National Institute of Nursing Researchが発表した、インパクトの大きい看護研究10[5]をみてみると、以下のようなテーマのヘルスシステム変革に関連した研究が多く取り上げられています。

*不十分な看護師の配置が患者のリスクを増大させる

*若者が健康的な運動食事習慣を確立することを看護師が援助できる

*看護師を中心とした多職種チームの介入により、都市部の黒人の高血圧を改善させることができる

*若いマイノリティの女性のHIVのリスクを減らすために看護師が介入できる

*高齢のヒスパニックの関節炎のセルフマネージメントを改善させる看護師による地域基盤型プログラムの効果

*ケアの場がかわることを看護師が援助することで、退院する高齢患者のアウトカムが改善する

低所得者層の母子への看護師による家庭訪問が有効である

こうしたリストの論文を読みながら、では自分の地域では、あるいは病院では何が可能かを医師も含めたチームで考え、とりくんでいくことは、とてもワクワクすることです。

まとめ

 看護学自体が極めて広大な領域を対象としており、医師にとってもその専門性によって、関心をもつ看護研究の分野は違うでしょう。たとえば、感染症の専門家なら院内の感染コントロールシステムの構築に関する研究に興味をもつだろうし、心臓血管外科なら、手術室の効率的な運営に関する研究に興味があるだろうと思います。今回の論考では家庭医であり、医療者教育をライフワークとしている私自身が看護研究をどのように利用しているかについて述べました。結局看護研究がめざすところも、家庭医療学がめざすところも、ひとりひとりの患者さんのQOLを改善させること、住民が地域の中で充実した生を生き抜くことができるよう支援することですし、同時に限られたリソースで最大のパフォーマンスを発揮することにあります。実際の医療現場だけでなく、研究においても看護師と医師が「専門職連携」をすすめ、Interprofessional researchをそれぞれの地域で進めていければと思っています。

 

[1]: Stange, K. C. et al. Developing the knowledge base of family practice. Family Medicine 33: 286-297, 2001

[2]: 平典子: 終末期がん患者を看取る家族が活用する折り合い方法の検討. 日本がん看護学会誌 21: 40-47 2007

[3]: 田村やよひ:一人暮らしの女性老人のクオリティ・オブ・ライフ 自己概念とLife Satisfactionを中心として, 看護研究, 25, 249-264, 1992

[4]: Cullen L: Strategies for Nursing Leaders to Promote Evidence-Based Practice, 看護研究 43 : 251-259. 2010

[5]: Changing Practice, Changing Lives: 10 Landmark Nursing Research Studies : National Institute of Nursing Research, U.S. Dept. of Health and Human Services, National Institutes of Health, 2006

 

なお、このエントリーは医学書院「看護研究」2016年12月号 に寄稿した原稿を元に、加筆訂正して作成したものです

 

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