明けましておめでとうございます!&2015年のまとめ

 みなさまあけましておめでとうございます.

 今年も「藤沼康樹事務所(仮)」をどうぞよろしくお願いいたします.

 更新もできるだけ頑張っていきたいと思っています.

 

 さて,週一日大学の職員をしているために,業績まとめみたいなものを年に一度提出する必要があります.こうしてまとめてみますと,自分は著述業的な仕事をしているのだと思ったりします.なお,ひろいきれない,書評みたいなのもあるはずですが,だいたい大学のまとめの書式で作っています.

 大学では原著や報告が評価されますので,エッセイや解説的なものはすべて「その他」送りになりますが,思い入れのあるものは,結構エッセイや解説的なものが多いので,自分の志向とアカデミックな評価が合致しないこともよくわかります.

 今後,研究論文もすこしづつ書いていこうかと思っていますが,むしろ研究や学術論文の作法をとりいれた,役に立つ面白い書きものをしていきたいと思います.

 (このリストでは,今年実施した講演やWS等は省いてあります.)

 

原著

<2015年4~12月>

  1. Tominaga T, Matsushima M, Nagata T, Moriya A, Watanabe T, Nakano Y, Fujinuma Y : Psychological impact of lifestyle-related disease disclosure at general checkup: a prospective cohort study. BMC family practice, 16(1), 60, 2015

 

学会発表抄録

<2015年4~12月>

  1. 藤沼康樹:日本プライマリ・ケア連合学会家庭医療専門医認定試験の現状と課題, 第6回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会抄録集, 127, 2015
  2. 藤沼康樹:総合診療医のコンピテンシーに基づく生涯学習~学習ポートフォリオに挑戦!, 第6回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会抄録集, 168, 2015
  3. 渡邉隆将, 松島雅人, 藤沼康樹, 阿部佳子, 稲田美紀, 菅野哲也, 喜瀬守人, 今藤誠俊, 高橋 慶, 富永智一, 西村 真紀, 平山陽子, 増山由紀子, 村山慎一, 安来志保 : 研究中間報告第2報:EMPOWER-Japan Study (Elderly Mortality PatientsObserved Within the Existing Residence), 第6回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会抄録集, 281, 2015
  4. 増山由紀子, 清田実穂, 喜瀬守人, 藤沼康樹 : 家庭医療後期研修における Case-based Discussion(CbD)導入の経験, 第6回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会抄録集, 359, 2015
  5. 田中公孝, 渡邉隆将. 藤沼康樹 : 家庭医療後期研修における e ポートフォリオの実 践報告, 第6回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会抄録集, 360, 2015
  6. 清田実穂, 増山由紀子, 喜瀬守人, 西村真紀, 藤沼康樹 : リーダーシップ・トレーニング・フェローシップ・ オンサイト(Leadership Training FellowshipOnsite:LTF-onsite)の試み, 第6回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会抄録集, 364, 2015
  7. 岡崎寛子, 小泉美都枝, 前里美和子, 河合由紀, 鈴木比有万, 鈴木佳奈子, 喜瀬守人, 藤沼康樹, 印牧義英, 中島康雄, 福田譲 : 乳癌検診受診率向上に向けて 家庭医との知識共有がもたらす可能性, 日本乳癌検診学会誌24(3), 506, 2015
  8. 大西 弘高, 藤沼 康樹, 高柳 亮 : 家庭医療専門医認定におけるポートフォリオ評価の信頼性, 医学教育46(Suppl), 176, 2015

 

報告書

なし

 

 

単行書

<2015年1~3月>

  1. 藤沼康樹(編集):新総合診療医学:家庭医療学編(第2版), カイ書林, 2015
  2. 藤沼康樹:Introduction:家庭医・家庭医療を学ぶ若き医療者のために, 藤沼康樹(編集):新総合診療医学:家庭医療学編(第2版), カイ書林, 2015
  3. 藤沼康樹:Ⅱ-3 ケアの継続性, 藤沼康樹(編集):新総合診療医学:家庭医療学編(第2版), カイ書林, 2015
  4. 藤沼康樹:Ⅱ-4 生物心理社会アプローチ, 藤沼康樹(編集):新総合診療医学:家庭医療学編(第2版), カイ書林, 2015
  5. 藤沼康樹:Ⅱ-5 患者中心の医療の方法(Patient centered clinical method), 藤沼康樹(編集):新総合診療医学:家庭医療学編(第2版), カイ書林, 2015
  6. 藤沼康樹, 森永大輔:Ⅱ-6 家庭医療の枠組みとしてのThe Clinical Hand, 藤沼康樹(編集):新総合診療医学:家庭医療学編(第2版), カイ書林, 2015
  7. 藤沼康樹:Ⅱ-10 複雑な臨床問題へのアプローチ, 藤沼康樹(編集):新総合診療医学:家庭医療学編(第2版), カイ書林, 2015
  8. 藤沼康樹:Ⅷ-2 地域基盤型医学教育の実践-診療所でどう教えるか指導医からの疑問に答える, 藤沼康樹(編集):新総合診療医学:家庭医療学編(第2版), カイ書林, 2015
  9. 藤沼康樹:Ⅷ-3 家庭医の生涯学習, 藤沼康樹(編集):新総合診療医学:家庭医療学編(第2版), カイ書林, 2015

<2015年4~12月>

  1. 藤沼康樹(編集) : 大都市の総合診療:ジェネラリスト教育コンソーシアム8, カイ書林, 2015

 

総説・短報・実践報告・資料・その他

<2015年1~3月>

  1. 酒井郁子, 大塚真理子, 藤沼康樹, 山田響子, 宮古紀宏 : IPEの達成とこれから 「地域で学ぶ」を中心に専門職連携コンピテンシーの確立 : 千葉大学亥鼻IPEの展開から, 看護教育56(2) , 112-115, 2015
  2. 藤沼康樹 : Dr.藤沼康樹のすべらない技, レジデントノート16(16). 2973-2980, 2015
  3. 藤沼康樹 : ブルーバックス 理系のためのクラウド知的生産術 メール処理から論文執筆まで(書評), 日本プライマリ・ケア連合学会誌38(2), 176-176, 2015

 

<2015年4~12月>

  1. 藤沼康樹:プライマリ・ケアにおけるマルチモビディティ(multimorbidity)の意味, 総合診療25(12), 13-16, 2015
  2. 藤沼康樹:超高齢社会におけるプライマリ-ケア医の心身医学的課題 認知症や経済問題などが絡む複雑困難事例への対応と臨床教育/臨床研究, 心身医学55(9), 1025-1033, 2015
  3. 藤沼康樹:研修医の育て方@診療所:ヤブ化しないための診療所教育, 治療97(8), 2015
  4. 藤沼康樹:日本の総合医療はどうあるべきか-新たな総合診療専門医制度の発足を迎えて 米国の家庭医療専門医制度から学ぶもの, カレントテラピー33(7), 713-717, 2015
  5. 岡山 雅信, 藤沼 康樹 : 日本の地域医療教育イノベーション, ジェネラリスト教育コンソーシアム7, 1-16, 2015
  6. 藤沼康樹:高齢者エマージェンシー-プライマリ・ケア医のためのスキルアップ大作戦 高齢者救急『困る前のその一手』 不要な救急受診&入院を防げるか?, 総合診療25(4), 380-384, 2015
  7. 藤沼康樹, 吉田伸 : 「家庭医」ってなんだ?, 週刊医学界新聞,第3153号, 2015年12月7日
  8. 藤沼康樹 : テイラー先生のクリニカル・パール1「診断にいたる道筋とその道標」(書評), 日本プライマリ・ケア連合学会誌38(3), 290-291, 2015
  9. 藤沼康樹 : 母乳育児支援スタンダード第2版(書評), 週刊医学界新聞, 第3150号 , 2015年11月16日

 

https://www.instagram.com/p/_xfDp0y-UY/

晴れました

専門職連携教育~亥鼻キャンパスで学んだこと

 千葉大学専門職連携教育研究センター(IPERC)で週一日教育と研究の時間を持つようになって、1年経ちました。たいへん得難い経験をさせていただいており、感謝の極みです。

 さて、専門職連携或は多職種連携とかいま医療者教育界のトピックになっていますが、いろいろ見聞きした範囲では、どうも仲良くやりましょう的な感じの企画が多い印象あります。

 専門職連携って、チーム内での対立や葛藤を、まあまあと水にながすのではないやり方で見つめることなんで、みんなで笑顔で話し合えばOKってことではないんだけどなあと思います。違う専門トレーニングをうけて、職種ごとに違う価値観をもった個人が、クライアントを中心にものを考えるときにはぜったい対立や葛藤が発生するのです。それは、明らかな対立だけでなく、隠れておりみんなが気づかない対立だったり、葛藤だったりします。で、それをなかったコトにできるのは、職種間の権威勾配が固く存在している場合ですね。たとえば、医者が一番エライとか、結局責任をとるのは医者ではないかという価値観がすべてを水に流してしまうような状況の場合ですね。

 で、現代ではこの既存の職種間の権威勾配自体が、たとえば高齢者ケアとか、医療安全とかにフィットしなくなっているってことなのですね。ニコニコとみんなが明るくわらっているWSとかカンファレンスの場合、よく観察してみると、権威勾配が確保されて、「人間的にはみな平等」みたいな価値が共有されているにすぎない場合が多いような気がします。

 権威勾配の最上位にいて、すべての医療の責任を理論的には取る立場にるような医師像を、最近は「孤高の医師=Lone Physician」っていいます。そして真正の専門職連携ができる医者をCollaborative Alternative Physicianっていうようです。協働的オルタナ医師。

 そして、協働的オルタナ医師が、特に今現在必要なのは、医療安全が厳しく問われるようなハイリスクでハイテックな病院の医療現場と、地域包括ケアにおける医療現場だろうと考えています。

 千葉大学の医薬看で継続的に実施している「亥鼻IPE」のカリキュラムはその辺りをかなり意識していると思いますし、むしろ医療現場の様々なチームにも適用可能なプログラムだと思っています。

亥鼻IPEの紹介です👇

www.iperc.jp

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書評:「独立処方と補助処方~英国で広がる医療専門職の役割」

 土橋朗、倉田香織訳「独立処方と補助処方~英国で広がる医療専門職の役割」(薬事日報)を読ませていただきました。

 日本は高齢社会に突入し、病院から地域へ、キュアからQOLの維持・向上へ、単一急性疾患モデルからMultimorbidity(多疾患併存)へといった医療やヘルスケアのパラダイムが確実に変わりつつあるなかで、医療専門職の役割もそれに応じた変化を要請されているといっていいでしょう。

 これまでの病院、キュア、急性疾患のパラダイムなかで、医師はすべての権限と責任を担う役割があり、例えば薬剤の処方は、現在でも医師が独占的におこなう業務となっています。しかし、上述のパラダイム・シフトの中では、医師を中心としたチームから各医療専門職が真に協働(Interprofessional work:IPW)するチームが求められるようなり、様々な権限の移譲や役割のオーバーラップも現実的な課題として浮かび上がってくるだろう。

 この本には、一足先にそうしたInterprofessional workの推進の中で、医師以外の職種(薬剤師や看護師)による独立した処方を進めてきた英国の動きを詳細に記述されています。読み進めるうちに、英国ではこの問題が技術的、倫理的、法的に極めて慎重に検討され、しかも医師以外の処方による効果が科学的に研究され、それを元に継続的な質改善に取り組んでいることが理解できました。

 また、処方とは、「生物学的異常を是正するために化学物質による介入を行うこと」であるという以外に、「ケアの継続性を確保するため」「なに何かを与えなければならないと思う深層意識のため」等心理社会的な考察が十二分に記述されており、医師が読んでも処方の本質について多くの気づきがを得ることができます。
 これから日本で必要とされる専門職協働の本質は何か、そして何が検討され、実践されなければならないのかといったことに関して、処方という切り口で多くの学びをこの本から得ることができると思います。そういった視点から、薬剤師、看護師以外にも、医師を始めとしたすべての医療人に一読をすすめたいです。

 

 (なお、このエントリーは雑誌「薬局」に投稿した記事に加筆訂正したものです)

 

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日本の総合診療は「Generalist Medicine」と呼びたい

 総合診療科

 2017年より総合診療が19の基本専門領域の1つとして認められることになり,「総合診療専門医」が日本に誕生する道筋がつくられることになった.

 日本の総合診療の特徴は,診療所をフィールドとする「家庭医」と,病院をフィールドとする「病院総合医」のハイブリッドとして考えられているということである.こうした“ハイブリッド型”の専門医像は,世界的にみてもあまり例がない.そして,地域のニーズに合わせた活動の場の多様性に,その特長がある.しかし,こうした「科」の設定は妥当なのか?という問いが絶え間なく現れている.

 総合診療と総合内科

 診療所家庭医,小規模病院の総合診療医,大規模病院の総合診療医あるいはホスピタリストは,それぞれ仕事の内容も求められる知識や技術が違うだろうという議論はもっともであろう.実際に必要とされるタスクはあきらかに異なる.たとえば病院の総合診療医っていわゆる総合内科とどこがちがうの?っていう疑問も当然のごとく存在する.そして,既存の診療科との違いが明確ではない,といわれることも多い.

 ところで総合内科ってなんだ?っていう問いに答えるディスクールは寡聞にしてあまりきかない.実は,「総合」内科が内科全般のオールラウンダーであること以外の定義をもとめられる場合,実は総合診療医ってなんだ?っていう疑問に応えるのと同等の努力が必要であるってことは,あまり指摘されていない.つまり総合内科における「総合」ってなんですか?という,内科領域特にサブスペシャリティ領域からの質問に答えなければならないことはあまり語られていないと思う.

 総合内科医の定義をオールラウンダーだとすれば,そういう分野はもし多領域の内科医がそろっていれば,いらないのではないかという根本的な疑問に答えられない.つまり内科医不足の状況下における便宜的な存在ということになる.しかし,総合内科にアイデンティティをもっている医師はそうした便宜的な存在であることを良しとはしないだろう.つまり,Expert general internistとは何か?という質問に答えなければならないのである.

 また,非常に多い疑問は総合診療科ってどんな病気を診るんですか?という仕事の対象を疾患で定義する,あるいは,テリトリー設定で科の境界線を確認する目的の質問である.これまでの「科」の境界線を疾患の集合できめていくタイプのパラダイムでは,総合診療医はオールラウンダーとしかいいようがなくなるので,前述した便宜的専門科というふうに認識されるだろう.

GeneralismとGeneralist Medicine

 内科をはじめ各科間の境界線を上述したようなやり方で設定しようとすると,重大な問いを隠蔽してしまう.それは「総合性=Generalismとは何か」という問いである.「これがあればジェネラリストといえる」という「専門性=Expertiseは何か」ということである.
 おそらく総合診療科という名称の本来の意味は,その出自がヘルスケア・ニーズであろうと,あるいは医療政策上の要請からであろうと,あるいは医師の地域ごとの不均衡配置であろうと,本質的に「Generalist Medicine」であるというのが僕の考えである.これは,コンテキストをあえて無視しているのだが.

 たとえば北米の家庭医,英国のGP,米国のホスピタリストなどは,ふつうに見れば,いわゆるオールラウンダーという意味にとらえられることが多い.幅広くすこしづつ(むろん能力によって「少し」ではなく「たくさん」の場合もあるが)いろんなことを知っていて,実践する医師である.しかし,オールラウンダーということをもって専門性であるというのは,おそらく専門性ということばの定義からしてなじまないと思う.むろんオールラウンダーということで十分仕事はできるし,そういう医師はもとめられているだろう.が,僕はExpertiseに関心がある.なぜなら,総合性って何?という問いの追求なしでは,医師の養成のしかたが恣意的になるだろうと思うし,それだけでは個人的には,単純に「面白くない」のである.

Expert Generalist
 僕は日本の総合診療は,家庭医と総合内科医のハイブリッドであるがゆえに,「エキスパート・ジェネラリストとは何か」ということを根本的に考えねば,それは見えてこないと思う.

 ちなみに,ジェネラリストの専門性を実地診療で発揮しているなら,専門科と関係なく「総合性をもった医師」といえるだろうが,それは“ナチュラルボーン・ジェネラリスト”であろう.つまり,そもそも資質がジェネラリストのマインドセットにフィットしていた,あるいは,たまたま上司がジェネラリストの価値観をもって診療をしていた,といった“偶然性”に多くを依存したタイプのジェネラリストである.ラッキーにも総合性を獲得すること自体は否定されるものではない.かくいう僕も,正規のプログラムを経ているわけではなく,上司が優秀なジェネラリストであり,研修の場が地域だったということで,海外の家庭医からは“Self-taught family doctor”と呼ばれていたりする.

 総合診療医は“ジェネラリストとしての特別のトレーニングを受けた医師”と言い換えたほうがよいのだが,ジェネラリストの専門性を言語化し,教育できるためには,従来の医学・医療パラダイムメタ認知して省察することが必要である.

 では,ジェネラリストの専門性とは何か? この数年,この領域で精力的に研究しているReeveら 1) によれば,それは「未分化な健康問題」「複雑な問題」「きわめて幅広い健康問題」に対応できることであり,そのために「診断治療技術」「ケアの継続性」「患者-医師関係構築」という患者次第でフレキシブルに対応する領域に加えて,どんな患者でも普遍的に適用する「患者と医療者の共通基盤の形成」「解釈的医療Interpretive medicineの実践」を組み合わせられることだという.

 このReeveらが提唱しているInterpretive MedicineはGeneralismの本質をつく非常に重要なコンセプトであると思う.いずれ日をあらためて紹介,考察しようと思うが,Biographical Disruption(個人誌における混乱)の解釈(Interpretation)とPersonalized Shared decision making(個別に共有化された意思決定)をコアにした医療スタイルである.

 この定義は家庭医ならすぐ腑に落ちるのだが,たとえば総合内科にオールラウンダー内科以上の定義を求めるなら,このジェネラリストの専門性がやはり当てはまると思う.実際に僕の知っている優秀な総合内科医はみな上述した実践をやっていると思う.ただし,学問としての日本の内科学にはこのGeneralismは射程には入っていない.実際に総合内科の認定試験においてはオールラウンダーあるいは総花的内科医としての知識を問う問題が出題される.

 そして,強調したいのは,総合診療あるいはGeneralist Medicineは診る対象の疾患で規定されないってことである.

MultimorbidityとGeneralism

 僕の考えでは,ジェネラリズムについて根本的に考えるうえで重要な領域が「多疾患併存=Multimorbidity」の問題である.Multimorbidityについて考え,ケアを実践することは,実は「ジェネラリストの専門性」について深く考えるところに直結していると思う.それは,日本における「総合診療とは何か」という問いに答えようとする試みでもある.この領域の研究と教育を今後数年で相当進めていくことが,日本の総合診療の離陸のために必須となるだろう.2015年12月号の「総合診療」(医学書院)において,Multimorbidityの特集を組んだことはそうした意図もあったのである.

 

文献
1) Reeve J, et al : Examining the practice of generalist expertise ; a qualitative study identifying constraints and solutions. JRSM Short Rep 4(12) : 2042533313510155, 2013.

https://instagram.com/p/-pJ3BKy-bg/

朝焼け

研究資金のない人のためのプライマリ・ケア研究!

 家庭医を長年やっていますと、やはり自分の現場に直接かかわる研究は非常に興味がありますし、特にプライマリ・ケアフィールドで実施された研究は、自分自身の診療にあたえる影響も大きいですし、また知的な楽しみや刺激があります。ですので、研究論文を読むだけでなく、自分たちでリサーチグループ(Practice based research network:PBRN)を構築して、研究活動もやっていますが、昨年Agency for Healthcare Research and Quality:AHRQから認証を受けています!以下のリンクを御覧ください。

PBRN | 家庭医療学開発センター CFMD|日本医療福祉生活協同組合連合会

 

 ところで、プライマリ・ケア研究のためのファンド=研究資金はなかなか獲得しにくいことは洋の東西をとわず同じようです。
 米国の著明な家庭医で、疫学の専門家であり、US preventive service task forceの中心人物であるMark Ebellが2013年の北米プライマリ・ケア研究グループ(NAPCRG、世界最大のプライマリ・ケア研究の学会)の記念講演で示したプレゼンがめっぽう面白いので紹介したいと思います。

 タイトルは「Research on the Cheap: Making an Impact Without Big Grants」で、思い切り意訳すると「お金がなくてもインパクトのある研究はできるよ!」っていうタイトルです。ヤラレタ/(^o^)\ですね。
 結局研究資金獲得を目指して、たくさん書類を作って応募しても落ちる確率が高いということを統計データなど使って説明しつつ「まあ落ちてもがっかりせず、前進する方法はある」って言ってます。

 彼は、前進するために必要なのは、以下の4つをあげています。

  • 良いリサーチ・クエスチョンを生み出すこと
  • 1つの臨床問題に関してシステマティックに考えること
  • イノベーティブだが質素な(つまりあまりお金がかからない)研究デザインとツールを使うこと
  • 研究力を増幅するために、他の医者や研究者とコラボすること

 ひとつひとつみていきましょう。
1.「よいリサーチクエスチョンを生み出す」

そのためには以下の5項目が必要とされます。

  • たくさん読むこと!自分の関心領域で研究論文が薄い領域をしること
  • 自分の診療を省察すること
  • 自分の診療における前提を疑うこと
  • 権威筋を疑うこと
  • 自分が情熱をもってとりくめる領域をピックアップすること
  • 同僚と、とくに異領域の同僚とブレーンストーミングすること

 2.「1つの臨床問題をシステマティックに考えること」

その意味は以下のようになります。

*鑑別診断は何か?それらの検査前確率はどうか?

 検査閾値、治療閾値はどうか?Clinical vignetes研究が有用。この領域は非常に重要かつこれまでの研究がうすい領域である。自分たちは検査と治療の閾値をいかに決断しているのか?専門科、患者によって違うのか?この研究を通じてClinical decision toolが作成できるか?

*病歴、身体診察、診断検査をどのように使うのがベストか?それらからえられる情報をわれわれはどのように使っているのか?

 身体診察の研究はまだ十分行われていない、特に身体所見に関する評価者間の信頼性の研究が少ないので同じ患者を二人の医師が診察して比べてみる研究が必要で、Systematic reviewもまだまだニーズがある。

*Clinical decision rules:CDRsは有用か?

 既存のCDRsのプライマリ・ケア領域における妥当性の研究はニーズが高い。新しいCDRsを開発しその妥当性をしらべることも必要。CDRsのシステマティックレビュー~Meta analysisはお金がかからず、面白く、そして臨床家の役にたつ研究である。

*一般的な治療はどのくらい有効で安全なものなのか?

 この領域に関してはステマティック・レビューや益及び害に関するメタアナリシスはお金がかからない研究デザインであり、かつ非常に有用な結果を提示できる。その際、発表されていないデータを含めて検討するとより素晴らしい。発表されていないデータをいかに入手するかの方法を見つけよう。

*予後あるいは自然経過はどのようなものか?

 疾患の予後や自然史はまだ良くわかっていない。よくある症状はどのくらい持続するのか?という疑問は古くてあたらしい。そして、PBRNによる研究がよりフィットしやすい領域でもある。電子カルテのネットワークがキーになるが、それは患者の受診エピソードとケアの内容の同定が必要だからである。またシステマティックレ・ビューのよい対象領域でもある。

 

3.「イノベーティブでお金のかからない研究デザイン」

 Ebellは以下の方法をあげています。印象的なのは、メタアナリシスやシステマティックレビューをきちんと研究として位置づけていることです。また質的研究も重要だといいます。

  • Clinical vignettesを使った研究
  • メタアナリシス
  • サーベイ
  • 質的研究
  • 費用対効果研究、決断分析研究
  • ~ただしトレーニングが必要で、モデレーターを要する
  • 2次データの解析
  • データ・マイニング法

 Ebellは2つの研究グループの実践を例示していますが、論文発表の件数に比して、非常にCheapに研究をすすめているのが印象的で、意を強くします!笑


研究事例1:急性上気道感染症の研究
方法:診断検査評価、Classification and Regression Trees modelling、メタアナリシス、システマティックレビュー、Decision rule開発と妥当性検討、Clinical vignettes研究(臨床現場で出会う場面を設定して、医師の判断などをしらべる研究)
共同研究者:13名
発表論文:9本
研究資金:1600ドル(およそ16万円)

研究事例2:DNRの意思決定に関する研究
研究方法:サーベイ、カルテレビュー、多変量解析、Classification and Regression Trees modelling、ニューラルネットワーク、メタアナリシス、Decision rule開発と妥当性の検討、費用対効果分析
共同研究者:16名
発表論文:17本
研究資金:0ドル!!

 

4.まとめとして、いくつかの教訓

  • 人的ネットワークの構築とと協働をすすめること:これはPBRNの構築が相即的にあてはまなるなと思います。
  • 毎年同じ学会や研究会にでて、積極的に関わること:継続は力なりですし、人のつながりもそこでできます。
  • 自施設で、Speed-dating(お見合いパーティ) for researchのセッションをやってみる:一つか2つの研究アイデアを3分間でプレゼン、5分でディスカッションし、共同研究をしてくれるひとを見つける(ここが告白タイムか?笑)。アイデアを揉んで整理する。このプロセスを参加した研究者全員にやってもらう。で、おわったら懇親会を行う。これ面白そうです。やってみたい。
  • ある程度の研究のトレーニングを受けること:慈恵医大のプログラムなんかが非常にいいと思います。かならずもPhDコースとかでなくてもいいと個人的には思います。

臨床疫学研究室

 

 貧者のための研究手法がいろいろあって意を強くもちました笑。ただ、時間の確保が最大の課題でしょうか。

 これからも研究活動続けていきたいものです。

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角川インターネット講座5「ネットコミュニティの設計と力 つながる私たちの時代」

Kindle for Android近藤淳也 の 角川インターネット講座5 ネットコミュニティの設計と力 つながる私たちの時代<角川インターネット講座> (角川学芸出版全集) を読み終わりました! http://www.amazon.com/kindleforandroid/

 

興味深く読みました。

 

 はてなの近藤氏の企画により、サル学、哲学・科学史、SNSベンチャーなど様々な領域から、ネットコミュニティについてのエッセイが並びます。

 サルから人間への進化の過程でうまれたコミュニティとそのサイズの限界などについては、全く知らなかったので、面白かったです。

 また、少子高齢化社会というのは、こども+高齢者の数が増えるというふうにかんがえてみたときに、要はそうしたレイヤーは地域密着型の生活スタイル、あるいはコミュニティ基盤の生活スタイルがメインなのであって、これからの日本はコミュニティ単位で経済、産業、教育、ケア・医療を考えていくことがむしろ主流になるので、地域活性化にはこうした視点が必要というお話が印象に残りました。

 コミュニティ自体を原理的、本質的にみる視点がないと、単にリアルか、ネットか、という2分法にからめとられてしまいます。

 また、ネットコミュニティの成功事例の分析では、創設者のヴィジョン、そしてアーリーアダプターたちの熱量が、決定的に重要で、とにかく成功と成長だけをみていては、ほぼ失敗するようです。一緒にどんなおもしろい未来になるか、みてみようっていうような姿勢が必要なもようです。

 

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中年以上の家庭医がLow Performerにならないために

*まず、はじめに 

 中年以降~初老期にどんなスタイルのプライマリ・ケア医や家庭医になるかについて、意識的にならないとヤバい医者になりかねない。こうした感覚は実感としてわかる。

 勢いだけでUptoDateが保てなくなってきた年齢からが、ほんとうのプロフェッショナルとしての勝負どころだと思う。以下すこし自戒もこめて記述してみる。

 注:なお、この文章は2015年8月号に雑誌「治療」寄稿した内容に加筆訂正を加えたものである。

*ヤブ化とは
 藪医者になること、「ヤブ化」の定義はむずかしい。が、現象面ではいくらでもあげることができる。たとえば、「風邪症状にかならず抗菌薬を処方する」「多弁で症状の多い患者にベンゾジアゼピン系薬剤をやたらに処方する」「製薬企業の宣伝(MRなどを経由)にしたがって新薬を発売直後から使うようになる」「症状がみなれないものだったり、経過がいままでの経験と違ってきたりすれば思考停止して、すぐ紹介してしまう」「金曜日の夜に、上から目線で緊急とは思えない入院を病院に依頼する」などがその徴候である。総じて言えるのは、若い医師からは疑問符が付けられるような診療を、正しいこととして続けていることである。

 日本の保険制度においては、患者が自由に医者を選べる、言いかえれば自由にかかるのをやめることができるため、いつの間にかこなくなった患者がなぜこなくなったかを医者が知るすべがない。一般的にいえば、自分自身の診療へのフィードバックが、せいぜいレセプトの査定とかあからさまな苦情程度しかなく、質向上のためのシステムがないのである。
 もっとも重要な「診療への構造化されたフィードバックシステム」が日本のプライマリ・ケア医には保証されていないので、ヤブ化を防ぐためには、意識的な生涯学習や継続的なプロフェッショナルとしての成長戦略が必要なのである。そこで、自分なりの留意点を記述してみたい。

 

*ひとりぼっちにならないようにしよう
 診療所の医者はひとりぼっちになると、明らかに危険である。このひとりぼっちというのは、友達がいないとか、医師会にはいっていないとか、そういうことではない。自分の診療内容を語り、他のひとの診療内容をきき、なんらかのディスカッションができるコミュニティをもつということである。
 だんだん年齢を重ねていくと、他の医師からのネガティブなフィードバックはなくなってくるものである。それは、他の医師特に若い医師は単純にフィードバックに関して心理的にバリアができてしまうためである。また、病院に苦情の電話をいれる診療所医師はたくさんいるが、病院から診療所への苦情が届くということも慣習上ほとんどない。
 ひとりぼっちにならないためには、できれば地域の同じ診療所の医師同士で、バリントグループのようなあつまりがつくれると良い。そして、できれば診療の場を共有する同僚がいればよりよいだろう。病院の外来や救急などを定期的に担当し、そこに同僚をつくるのも効果的である。そして、実は診療所に医学生や研修医、専攻医がやってくることは、一時的であるとはいえ同僚を得ることになる。
 現代において、診療所医師が属するコミュニティはFace-to-faceのものに限らない。SNS(Social network service)、特にFacebookなどで、個人情報に注意しつつやりとりするのは、薄いつながり(weak ties)が現実世界にくらべて圧倒的に広く作ることができるし、実はセーフティネットとして有用である。

 いずれにしても自分の診療への他の医師からのフィードバックをおそれてはいけないし、むしろフィードバックを歓迎する気持ちを持ちたいものである。

 

*臨床スキルを維持するために病院の仕事を継続的にやってみよう
 診療所にはMedical、Non-medical両方の多様な健康問題がもちこまれるが、特に症状や疾患という側面では当然、発生頻度に応じて偏りがある。たとえば多発性関節炎の患者や肺動脈血栓症の患者が、初診で診療所にやってくることはそう多くないものである。しかしながら、診療所で出会いにくい症状や疾患は軽視していいかというとそうではないのは自明であろう。診療所で絶対みのがしては行けない症状や病態はある。たとえばアナフィラキシーの初期症状は都市部の診療所にも受診することがある。不全型川崎病も最初は「かぜをひいたようです」という訴えをもって、プライマリ・ケアの場に現れるものである。
 診療所のパネル(かかりつけ患者集団)の性質は、地域コンテキストに依存するので、ジェネラリストの家庭医といっても、実際に診ている患者の多様性には限りがある。そういう点で、疾患頻度の異なる病院において一般外来や救急外来を週1日担当したり、症例カンファレンスに参加することは、幅広いスキルの維持という点で重要である。診療所にひきこもらないようにしたい。

 たとえば僕は、週に3単位病院で一般外来、予約外来をやっているが、症状や疾患の事前確率はあきらかに診療所のそれとは異なることが実感されるものである。

 

*自分の臨床経験を過大評価しない
 それまでの臨床経験が臨床決断に影響を及ぼすことは当然であるし、それ自体は誤りではない。しかしながら、臨床経験が十分振り返られ、根拠のあるパールとして自分のナレッジベースに蓄積されているかというとそうでもない。それは、Reflection on action(行為の後の省察)を通じて、経験が、「理論化」していくというプロセスを継続的に追求するような省察的実践家の学習スタイルは、まだまだ一般的ではないからである。おそらく臨床経験は貴重ではあるが、バイアスもまた大きい。この認知バイアスはかなり問題になる。たとえば、胸痛で、非常に狭い範囲の胸痛はほぼ筋骨格系の痛みであるというのは、疫学的には確かにそうだが、しかし、他の冠動脈疾患のリスクを勘案する必要が当然あるが、この思い込みが重大な見落としになったりする。あるいは息切れで診療所を受診した場合、肺動脈血栓をみのがす認知バイアスはベテランほどありそうである。

 「経験上こうだから」という、自分のマインド傾向を「ほんとうにそうだろうか?根拠はどこか文の献等にないだろうか?」とメタ認知的に疑ってみるというのは、ヤブ化を防ぐ重要なスタイルである。

 

*自分にフィットする学習スタイルをみつけよう
 臨床を毎日コツコツやることで、経験を積めばヤブ化を防げるかというとそうではないだろう。たしかに、コツコツと診療を行い、そこから生じた疑問をコツコツと解決していくことは重要である。それは生涯教育の基盤とも言える。しかし、上述したように頻度の低い問題がどうしても学習課題にのぼってこないのが問題である。

 家庭医には「網羅性」が必要なのである。特に知識に関しては徹底した網羅性を追求しなければならない。網羅性を意識しない家庭医は、家庭医ではない。

 とすると、日々の仕事以外で学ぶ、自分なりの学習スタイルをみつけなければならない。それは、個々人によって異なるだろう。自分にとって一番Comfortableな方法はなにか?静かにジャーナルや本を読むことなのか、あるいはセミナーや学会にでて、レクチャーを受けることなのか、あるいはPBL(問題基盤型学習)ひとりひとりが自分にフィットした学習スタイルをアセスメントしなければならない。そのためには、同僚などと、かつて自分が一番感銘をうけた教育経験などを振り返ることが有用だろう。

 

 *いつの時代でも文献を読むことは大切

 論文や本を読む習慣は、今も昔も絶対的に重要である。特にヤブ化を防ぐためには、読む対象としてまず学術雑誌を重視したい。製薬会社の宣伝がたくさんのっている大手新聞社関連の商業誌はできるだけ避けたいものである。

 そして、ここでいう「文献を読む」ということは「文献を調べる」ということではない。臨床上の疑問を解決するために文献を調べることをここで意味しているかわけではない。そうではなくて、直面する臨床問題に関係なく、その領域で何がディスカッションされ、どういうリサーチがされているのかを継続的に学び考えるということは、プライマリ・ケア専門医として重要な活動という意味である。
 たとえば血液内科の専門医が「Blood」という学術誌を定期的に購読しているのは、直面する問題の解決のために読んでいるわけではない。むしろ血液内科学の全体像、あるいはナレッジベースを常に更新しつづけるためである。このことは、プライマリ・ケアでもまったく同様である。それは診療所の医療がそれ独自の専門性があるということであり、プライマリ・ケア独自の領域のナレッジベースの全体像をつかむことにつながる。
 たとえば、Annals of Family Medicine、British Journal of general practice、Family Practice(WONCA Journal)、Journal of General Internal Medicineといったジェネラリスト系の学術誌から一つ選んで、毎月目を通しつづけることは、診療所医療やプライマリ・ケアの職業的アイデンティティを確立させていく上で重要である。
 そして、国内のプライマリ・ケア関連の学術的商業誌(「治療」「総合診療」「Gノート」等)を一つ定期購読することも有用である。こうした商業誌においては、情報のキュレーションが生命線であり、どのような視点で特集を組んでいるかということに注目して選びたい。

 もちろん医師会雑誌やたとえば内科系のジャーナルで組まれている疾患や病態に関する特集を読むのも悪くはない。悪くはないのだが、むしろそれはリファレンスや調べ物をするとき、そして、これまで知らなかった概念やコンセプトを知るという点での、いわばBackground searchのために「のみ」有用だと思う。

 僕はちなみに医師会雑誌の対談の部分はなるたけ読むようにしている。なぜなら、対談には実は重要なポイントが要約的に語られていることが多いからである。

 

*ICTに親しもう
 ICTの進歩のスピードは驚くほど速い。現在では、クラウドにすべてのデータを保存し、個別のPCやスマホはネットワークがあってはじめて意味を持つようになっており、SNSも日常生活にとけこんだものになっている。たとえばFacebookのデータは自分のPCやスマホにはなく、クラウド上に存在しているのだが、そういうことをもはや意識することもなくなっている。
 こうした時代において、医者の仕事(直接の診療、マネージメント、教育や研究、プライベートライフ等)にもICTのパラダイムチェンジが大きな影響をあたえている。しかし、案外「ITは苦手」とか、「IT弱者」などと自嘲気味に語るものも中高年の医者の中には少なくないが、堀正岳氏による「ブルーバックス:理系のためのクラウド知的生産術 メール処理から論文執筆まで」講談社などを一読することで、案外ハードルは下がるはずである。

 現代においては、「ICTなしでは間違いなくヤブ化する」とはっきり断言したい。便利だからやったほうがいいよ、というレベルの話ではないのである。
 そして、僕が考えるところ、ICTでもっとも注目すべきは、SNSに代表されるあらたなコミュニケーション様式の出現であり、広範囲に構築される弱いつながり(weak ties)、そして共有の文化である。クラウドを活用して仕事をすることはこうしたことと直結しているのである。

 

*パーソナルなナレッジベースの構築とEポートフォリオ作成に挑戦してみよう
 調べたり、読んだりした文献、臨床上の気づきのメモ、診療や学習のログ、様々な動画や写真などを蓄積整理することは、古くから医師の習慣として確立した生涯学習法だったといえるだろう。この方法はより個人のコンテキストに立脚したナレッジベースの構築ともいえる。そして、それは以前の紙ベースのファイルの集積とちがって、現代においては、EvernoteDropbox等によって、個人の電子データベースとしてだれでも簡単に構築・管理できるようになった。
 しかし、この方法の欠点は、外部とのコミュニケーションを欠いていることであるが、近年電子化した個人のポートフォリオ(Eポートフォリオ)の構築が、対話型のナレッジベースとして注目されている。Eポートフォリオは、自分自身のWeb spaceを作って、そこに生涯教育あるいはCPDのカテゴリー(たとえば糖尿病の診療水準の向上等)の達成を示す成果物を登録していく活動である。Eポートフォリオは公開範囲を自分で設定し、自分の学びの経過をみてほしい人と内容を共有し、ヴァーチャル空間で対話することができる点で、生涯学習的にきわめて有用とされる。
 たとえば、印象深い事例や思いがけないデータを記録したり、日々の出来事のふりかえりを書いたりすること、すなわちReflective journalingは非常にすぐれた生涯学習法だが、これをEポートフォリオにエントリーすることによって他者とのディスカッションが可能になり、対話による新たな学びが生まれるだろう。

 Eポートフォリオは、公開範囲を限定した、自分のホームページをつくるという感覚でやっていけばほぼ間違いなく構築できる。たとえば、Google siteなどで無料で作成することができる。ハードルは低くなってきている。

 

*教えることは学ぶこと
 教えることは学ぶことという原則は、今も昔も「真」である。診療の見学をすることで、学習者は何を学ぶのか?そのためにはどんな言葉かけをすべきか?といったことについて考えることは、イコール自分の仕事の正体を省察することそのものでもある。
 例えば、安定した高血圧の患者を診察しているところを学生が見学しているときに、「安定した高血圧は医学的には特に面白いものではないから学生にみせても勉強にならないだろう」と考えたとしたら、それは間違いである。あまりにルーチン化している業務から学ぶところはないと考えやすいが、それはヤブ化の始まりかもしれない。
 そもそも「高血圧の治療目標とはなにか?」「それはどのような根拠に基づいているのか?」「今の処方内容の根拠は?」「患者の生活習慣への介入は?」「ずっと継続的に通院するのはどんな意味があるのか?」「この年令で必要な予防医学的介入項目はなにか?」「地域における高血圧患者集団へどうアプローチするか」など実はTeaching pointはいくらでもある。そして、おそらくこれらのTeaching pointは現代の医学教育では無視あるいは軽視されている部分である。プライマリ・ケアに関する学術研究誌はこのあたりの視野を大きく広げてくれるだろう。かわった症状や所見、珍しい病気が学生や研修医向けとかんがえるのは間違いである。

 

*おわりに
 プライマリ・ケア医や家庭医の生涯教育のスタイルは、おそらく「キュアからケアへ」「病院から地域へ」などと称される健康転換と、ICT技術の進歩、そして社会構成主義的学習教育観への転換など、現代の様々な変化に影響を受け、大きく変容してきている。診療所医師のヤブ化を自ら防ぎ、成長しつづけるために、省察を続けていきたいものである。

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