「ユマニチュード入門」(医学書院)を読む


 フランス発の認知症高齢者ケアメソッド「ユマニチュード」の待望の解説書が登場した。

 日本が人類史上経験しえなかった高齢社会を迎えるにあたって、認知能などの機能低下のある高齢者の増加に医療、介護、福祉がどのような姿勢をもって望むのかということに関しては、主としてヒューマンリソース等のシステムに関する議論が、現時点では多いように思う。そして、ユマニチュードのようなケアメソッドが、今あらためて注目されているのは、具体的なケア現場への発信が、医療や看護の領域からかならずしも充分ではなかったことが背景にあるかもしれない。


  ユマニチュードという言葉は「人間らしさの回復」といった意味をもつ。そしておそらく、現象学やあるいはメルロ=ポンティの身体論などの大陸哲学の影響があると思われるが、人間らしさとは、他者と関係性の中で保証され、「立つ」という身体機能に多くを依っているのだという原理に基づいた具体的なケアの実践体系である。


 ユマニチュードの柱は、「見る」「話す」「触れる」そして、特に特別な地位を与えられている「立つ」の4つである。「見る」については、特に視線をとらえることがキーである。「話す」ことは「あなたはここにいる」ということを表現することであるとされ、それゆえ喋らない人にも語りかけねばならない。「触れる」ことが脳にもたらす情報量の豊富さと、特に5歳のこどもくらいの力で触れることが強調される。そして「立つ」ことは人間らしさの根源に関わることであり、この立つ時間を確保するために他の3つの柱があるといっても過言ではない。本書は、これらが魅力的なイラストともに、わかりやすい日常言語で説明されており、非常に読みやすい。


 本書は病院や施設の高齢者ケアの現場を想定して書かれているが、筆者のような地域の家庭医にとっても非常に参考になる。例えば、外来通院中のアルツハイマー病の患者で、診察室では無表情でいつも壁を見ているのだが、ある日筆者が前方に回りこんで、視線をとらえて、「こんにちは~」と語りかけたところ、ニコッと笑顔になり、付き添ってこられたご家族もびっくりされたという経験がある。また、在宅医療に携わる医師ならばだれしも経験するところだが、たとえば病院入院中に、誤嚥があるのでベッド上で食事がとれないという評価で退院してきた患者が、必要に迫られて立位になったり、室内で少しの歩行をくりかえすことで驚くほど食事がスムースになっていくことがある。感覚的に「立位」の意義はわかっていたが、こうしてユマニチュードで強調されていることで再確認できた。


 ユマニチュードで展開されているメソッドは、実際にはこれまで高齢者のケアに携わってきた優秀な専門職の間では常識といえる部分もある。しかし、その常識はどちらかというと倫理や価値観を基盤にしていたかもしれない。ユマニチュードはそれらを、理論的基盤から説き起こし、具体的に他者に伝えることができ、施設のシステムの改革に結びつけられる形に展開していることが新鮮である。


 高齢者のケアにかかわるすべての専門職の方たちに一読をすすめたい。

 

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